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婚約者を妹に奪われた可哀想な姉。
最近そんな評価を受けているのは十七歳になったばかりのルネ・ベルトランだ。豊かな金髪と豊満な体つきに加えて、美しい顔立ち。そんな彼女から乗り換えた妹はと言えば同じ金髪という共通点しかないほど地味だった。
最初はそんなルネを不憫に思う同情の声が多かった。
しかし次第にそれは「よっぽど性格が悪かったのだろう」「身体で繋ぎとめ損ねたのではないか」などという話に変わっていく。
ルネは学園の内外から聞える噂話にひっそりとため息をつくばかりだ。誰も正面からはルネに聞いてこない。高嶺の花といえば聞こえが良いが、いわばこの社交界でルネはぼっちなのだ。
(みんな、好き勝手言うんだから。全然違うわよ)
確かにルネは婚約破棄をしたが、それは自分から二人の背中を押したのだ。
『お姉様ごめんなさい! 彼を好きになっちゃったの!』
『婚約を破棄するなど大変申し訳ない。だがどうしても――ッ』
次期伯爵伯子息である婚約者は、ルネの妹に会わせた途端二人同時に恋に落ちた。ルネは「なるほど人が恋する瞬間に初めて立ち会ってしまったわ」などとのんびり考えていた。
元々好きでも嫌いでもなかった相手だ。その相手が愛する妹を望み、妹がそれを望むならむしろどうぞどうぞと差し出したいと思った。しかし二人ともやはりルネを気遣い一度はその恋を諦めようとしていたが、ルネが焚きつけたのだ。
――貴方たち、それでいいのッ!
その結果、二人の間でウエディングベルが鳴ったのを、ルネは確実に耳にした。まあそれは気のせいだが。
とにかくそんな経緯があり、幸せな二人が変に噂の的になる前にと、さっさと領地に引っ込むように指示したのもルネだ。そのせいでルネにおかしな噂が広がっているが、それもまた別に構わない。
この年齢で婚約破棄された女にどうせまともな縁談などこないが、幸いなことに父と兄には理解を得られた。一生行かず後家として家のスネをかじらせて貰うことを了承してもらっている。贅沢をするつもりはないし、離れでのんびり趣味の絵画でも描かせてもらえたらそれでいい。
そう思っていたのだが。
「ルネ、お前に縁談だ」
「なぜ?」
婚約破棄の噂が広がって一ヶ月も経たない頃、縁談が舞い込んだ。
それも
「公爵家当主から直々の求婚だ……。すまないがルネ、我々には断る選択肢がない……」
言い忘れていたがルネの家は伯爵家だ。つまり格上の公爵家、さらに社交界で力を持つイケイケな家門にノーと言える家ではない。
ルネの頭の中には、この国の五つの公爵家の名前が浮かんだ。独身公爵なのは五十も過ぎたゲラン家、そして最近公爵家を継いだまだ若き十九歳のフォーレ家だ。いかにルネが美しかろうと、妻にと求めてくるのはどう考えても前者だろう。フォーレ家の新しい当主は寡黙だが見目麗しく、学園でも信仰に近い熱狂的信奉者が多かったはずだ。
だが。
「フォーレ家の、若き当主様がお前を妻にと望んでいる……」
本来ならば喜ばしいことなのかもしれないが、現時点でのルネの社交界的評価は地に落ちている。そんなルネを妻に欲しいと言うからには、きっと、いや絶対、断固として何か裏があるに違いない。
「……異常性癖の持ち主なのかしら?」
「ルネ、未婚の娘がそんな事を口にするものじゃない」
父は娘を窘めるものの、同じような事を考えているに違いない。とにかくルネの行かず後家としての夢は、あっけなく消えたのだ。
そうしてルネはフォーレ家の新当主、ジュール・フォーレとの婚約が成立してしまったのだ。
そして何故かルネと新しい婚約者は、出会う事無く縁談は進んでいた。
忙しいからという断り文句だったが、それでも未来の妻と一度も会わず進めてもにいいものなのだろうか。
学園でもルネと新しい婚約者の話も早々に噂になっていた。
身体でたらしこんだのだとか。婚約破棄前から粉をかけていたらしいとか。そのどれも勿論間違っているのだが、誰もルネに真実を聞きに来ないのだから否定もできない。
しかし耳に入ってきた噂の中で、一つだけ面白いものがあった。
――ジュール・フォーレ様は側近のリュカ様と道ならぬ恋をしているからよ。
つまり、二人の恋のカモフラージュにルネを使おうとしているのだ。
恋は愛する男と、対外的な妻として恐らく白い結婚相手としてルネを使った。
「なるほどね……嫌いじゃないわ」
ルネは友達がいない。その分、本を読むのが好きだ。家の書庫にある本はあらかた読み尽くし、最近は大衆小説に嵌まっている。その中には妹たちのように婚約者がありながら惹かれ会う恋模様もあったし、同性同士の禁じられた愛に燃える男達の話もあった。
そのどれも面白く、そして人の恋を応援する愉しさを知ったのだ。
「応援しましょう」
そうしてあわよくば、公爵家の離れで絵を描く余生をいただけたら――そんな思惑もあったが。
そんなルネの思惑を知ってか知らずか、あっという間に結婚式当日になった。
結婚はジュール側の希望により、半年という短い期間で用意された。在学中に結婚する令嬢は少なくないが、公爵家ともあろう家格の者がこんなにも性急に結婚するには何か裏があるのだろう。
周囲はそう噂をしていたが、ルネも同感だった。
早く結婚し身を固めたフリをして、恋人と甘い生活を楽しみたいのだろう。
初めて会う婚約者――もとい旦那様は実際とても見目麗しく、令嬢達が夢中になるのも頷けた。手をかけた腕はジャケット越しでも分かる位に逞しい。真っ黒な髪の毛を後ろに撫でつけ、花婿衣装に身を包む男はムスリと浮かない表情だ。
そしてその後ろに控える、線の細い金髪の青年。なるほどあれが側近のリュカであり、ジュール公爵の恋人なのだろう。応援しよう、そう思ってルネは彼に向かって親指を立ててみたが困った顔で首を傾げられてしまった。
「チッ……時間だ。行くぞ」
ジュールは舌打ちをして、ルネを伴い会場へと歩く。
(自分の恋人に色目を使ったと勘違いされたのかもしれない。私は無害だと折に触れお伝えしていこう)
そうして見た目だけなら美男美女の夫婦が誕生したのだった。
その日は二人の初めての夜、つまり初夜だったが、ルネの元にジュールが来る事はなかった。
「ま、そうだと思っていたわ。今頃は側近のリュカと愛を確かめ合ってるのかもしれない」
そういう話を、ルネは百回は読んだ。今ルネは、恋の当て馬というやつだ。二人の仲を燃え上がらせるスパイスになっているのなら、なかなか悪く無い立場だろう。
そうして一人で大きな寝台に横になり、のんびりと眠ったのだった。
しかしその頃、新郎であるジュールの部屋では。
「無理だ、結婚なんて、俺には」
私室で酒を飲み、すっかり出来上がっているジュールがいた。
転がる酒瓶を抱えながら、リュカはため息をつく。
「もう、飲み過ぎですよ。ほら、さっさとルネ様のところに行ってください」
「無理だ。見ただろうリュカ、あの美しさ、愛らしさ。天使が俺を迎えに来たと思ったぞ!?」
「……」
「舞踏会で一目見たときから恋に落ちた。だがその時にはもう、彼女には婚約者がいたんだ。一度は諦めようとした、だが……奇跡が起きた! 分かるかリュカ! 女神に求婚するチャンスが訪れたんだ!」
「百回は聞きましたそれ」
「二百回は聞け! しかもダメ元で求婚したら……了承を貰った! 夢の中にいる心地で、だが彼女に出会ったら夢から覚めてしまいそうで会うことができなかった!」
「はあ、そのせいで巷では愛のない結婚だと言われてるそうですが――」
「そんなもの! 事実とは異なるからなんとでも言わせておけ! 俺のような家柄しか能の無い男を女神が受け入れてくれただけでも奇跡なんだからな……万人があの魅力の前に平伏すべき」
「言い方がもう、きもちわるっ。それ、酔ってない時にルネ様に言うべきでは? 貴方、一度も愛の言葉を伝えてないでしょう。花の一本も送らないし」
「花なんて、彼女の前ではゴミ屑同様だぞ!?」
「ほんと、その崇拝っぷりがもう気持ち悪い……式の前も、ちょっとルネ様が僕を見てるだけで舌打ちするし」
「勘違いするなよリュカ、俺は道ばたの石に嫉妬などしない」
「うわあ」
「俺はただ、彼女を危険から守り見つめるだけの壁になりたい……」
「……いいからさっさと新妻のところに行けッ!」
「無理だ! 舞踏会で一目見たときから恋に落ちた。だがその時にはもう、彼女には婚約者がいたんだ。一度は諦めようとした、だが……奇跡が起きた! 分かるかリュカ!」
「それ、二百回聞きましたぁ」
「三百回聞け! いいか、しかも――――」
酔っ払いながら熱く語るジュールの姿には、世の令嬢達が憧れる寡黙な公爵の欠片もない。リュカは酔っ払いの相手にげんなりしながらも、天井を仰ぎ見るのだった。
そんな二人の誤解が解け、まさかの勘違いにリュカが鳥肌を立てるのは、もう少々時間がかかるようだ。
終
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