It's raining cats and dogs

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 書類をめくりながら説明する今の翔は学生服など着ておらず、作業用のツナギを着て、それはちょっと汚れていたりもして、「働いているおとな」感が否めない。白のゆるTシャツにデニムという軽装で学生の自分との隔たりを感じ、翔の説明にとき折り相槌を打つことでわかっていない話のわかったふりをする。圭の知らない専門用語は、まるで見知らぬ土地の方言みたいに聞き慣れなかった。  支払いは父がすませているようで、翔から車検内容の説明を受けたあと、車を引き渡されれば用は終わりだ。外に出ると、雨は勢いを増していた。来客駐車場までの短い距離の間、翔は圭にビニール傘を差し出した。柄の部分に社名が書かれており、なるほどこういう対応なのかとびっくりする。「すぐだし大丈夫だよ」と言えど、彼はたった数メートルのために傘をたたむことをしなかった。  車の引き渡しの際、「ありがとうございました」と翔が頭を下げる。圭も会釈したあと、ふだんあまり乗らない車のドアハンドルに手をかけた。  何台か車が停められるそこそこ広い駐車場に、今は圭と翔しかいない。整備士たちが働くピットまでは、ここから距離があった。 「青葉さ、携帯の番号変えた?」  翔に背を向けながら、圭は声をひそめて尋ねた。 「壊れたってだけ。機種変より新規のが安くて」  ふつうに返されたので、内心ちょっと驚く。 「急に繋がんなくなったからさ、びびるじゃん」 「ごめんね」  およそ、「ごめん」とは思っていないそっけない口ぶりだった。ビニール傘に、雨がばたばた落ちている。雨だれが、圭のTシャツの袖をすこしだけ濡らした。どうにか会話を引き伸ばしたくて、時間稼ぎのためにわざとらしく「免許証持ってきてたっけ?」とつぶやく。ポケットに手を突っ込んでごそごそ漁るが、最初からこんな場所に入れていない。 「ふだん運転すんの?」  高校時代を思わせる翔の口調に、圭は振り返る。見下ろされるほど彼は背が高いことを、今思い出した。 「いや、ほとんどしない。めっちゃ久々」  だって用ねえし、と続けると、翔はちょっとだけ口をへの字にする。 「気ぃつけなよ? 雨だから」  圭は、ふと笑ってしまう。学生時代にもたしか、こういう会話をしたなと。 「だからさー、小学生じゃねえっつの」 「小学生は運転できませんが」 「あー、じゃなくて……」  覚えてないのか、と拍子抜けする自分がいた。言い淀む圭を、翔はただ見下ろすだけだった。 「青葉は相変わらず、淡々としてんね」  懐かないきれいな黒猫みたいだ。 「あんたも相変わらず犬っぽいね。そそっかしそうっつーか」 「だからそれ、オレにも犬にも失礼だかんな!」  圭は思わず、翔の胸もとを軽く叩く。すると彼は、ほんのすこしだけ目もとを綻ばせた。この笑顔は見覚えがあり、再会してしまったのだと実感する。 「じゃあ帰る。きょうはありがとう」  フロントドアを開ける前、圭は今度、ぺこりと深めに頭を下げた。顔を上げると、一面グレーの空が泣いている。彼のピアスと色が似ていて、黒髪によく似合っていた。 「あんたは、大学でサッカー続けてるんだっけ?」
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