It's raining cats and dogs

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 思いがけない台詞に、圭はどきりとする。ふと、さっきのタウン情報誌の表紙が浮かんだ。 「続けてるけど……、なんで?」 「べつに。ただの世間話」  ビニール傘から、雨の雫がぽつぽつ流れた。雨音がひっきりなしに聞こえ、きょうは完全に体育館練習だと思った。 「青葉、また遊ぼうよ」 「考えとくわ」  ご来店ありがとうございました。平坦な調子で告げ、今度こそ翔は柴崎モータースの整備士に戻ってしまった。どうやら時間切れらしい。濃紺のツナギは、着慣れた風合いでところどころ色落ちしている。  慣れない運転は緊張した。エアコンのつけかたくらいはわかるが、オーディオの変えかたがわからない。聞き慣れないラジオから、Bluetoothに変えたい。今無性に、落語が聴きたくなった。  ――気ぃつけなよ?  あのときも同じだった、と口もとが緩むのに、当の本人は覚えていないらしい。 「雨だから気をつけないと」  そのつぶやきは、車検の終わった車のなかですぐに消えた。 「うわ最悪」  高三の夏はゲリラ豪雨が多発していた。ひと言発する間にもずぶ濡れになる。一学期の終盤、遅刻ぎりぎりの登校中とつぜんの大雨に見舞われた。圭は近くの廃業した煙草屋で雨宿りすることに決め、駆け足になる。ボロ屋だけど、いっとき軒下を借りるにはじゅうぶんだった。走ってそこに向かうと、先客がいる。 「青葉?」 「どうも」  ささっと軒下に入って空をあおぎ見ると、鼠色の曇天が広がっていた。ごろごろと怒ったみたいに鳴いているのはどのあたりだろう。すくなくともこのあたりではなさそうだが、空全体が癇癪を起こしたみたいにうなっている。 「おまえも雨宿り?」 「まあ」 「完全遅刻じゃん」 「そうだね」  どうでもよさそうな口調だった。しーんと会話が途切れるのが気まずく、翔の横顔をちらりとうかがってみる。  最近席替えをしたばかりで圭の右斜め前に翔の席があるので、この横顔はよく覗いていた。圭が密かに観察しているのを、彼はおそらく知らない。ひと前では表情の変化があまりなく、理性的で淡々としたこの男の、崩れる瞬間はあるのかという単純な興味だ。  じろじろ見ていたからか「ん?」と尋ねられた。翔の左耳にいつものピアスがなく、圭は自然と彼の耳朶を指差していた。 「ピアス、きょうはしてないんだな」 「あ、そうだっけ」 「忘れたん?」  翔がいつも左耳につけているはずの、ちいさなシルバーのピアスがそこにはない。点のようなちいさい穴が剥き出しになって、ちょっとした隙に見えなくもなかった。「ピアスの青葉くん」と女子たちの間で黄色い声とともに話題に上っているくらい、ふさがれた耳朶しか見たことがなかったからよけいに。  彼が自分で左耳の耳朶に触れると、気づいたのか頭を掻きながら「あー」と無表情でつぶやいた。 「今朝、つけ忘れた」 「は? なんで?」
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