もう一人の俺

1/1
43人が本棚に入れています
本棚に追加
/10ページ

もう一人の俺

 俺の頭は混乱し、パニックで真っ白になった。  目の前の男の子も、俺を見て驚いて動けずにいた。  どういうことだ──?  その子は、俺の愛読書だった『コミコミコミック』──今は廃刊してもうない──を手にしていた。その表紙に見覚えがあった。俺が昔読んだやつだ。  俺はもしやと思った。  あの時、留守番していた小三の俺が見た泥棒は、俺自身だったのではないかと……。  なんらかの時空の歪みで、祖母の葬儀の日に子供時代のこの家に戻った俺は金に困り、祖母への恨みもあって、引き出しの現金と仏壇のお鈴を盗んだ──。  恐怖のあまりパニックを起こし、ついには金切り声を上げそうになった子供の俺に、「おとなしくしろ。騒がなければ、何もしない」と告げると、リビングの棚に向かい引き出しを開けた。  そこには、茶封筒に入った現金があった。手を伸ばそうとして、ふとその下を見る。夏休みの旅行で撮った、笑顔の四人が写る家族写真があった。  俺はそれをしばらく見つめた。 ── 人生は自分で動かなきゃだめ。誰のせいでもない、自分で変えるしかないんだよ ──  母の言葉が浮かんだ。全部、他人のせい、他人任せ、他人を恨んで逃げてきた人生だった。綾さんに謝りもせず、俺は彼女からも逃げたのだ。  茶封筒に手を付けるのはやめ、家族写真を喪服の上着のポケットに入れた。  それからリビングのドアに戻り、しばらくの間、恐怖で硬直したままの子供の俺を見ていた。  昔の、幸せだった頃の俺の姿を──。  俺は口を開いた。 「いいか。お前に忠告しておく。“エレナ”って女には気をつけろ。お前の人生、滅茶苦茶になるぞ。なるべく、いや絶対関わるな。いいな。忘れるなよ。それから、俺はこれで帰るから、このことは絶対誰にも言うなよ」  小さな俺が真剣な顔で肯くのを確かめてから、俺はリビングを出た。そして祖母の部屋に寄ることなく玄関に向かい、靴を履いた。  家の外に出ると、そこが現在のこの町だとすぐわかった。事件の時に証言した向かいの老人の家がなくなっていたのだ。  あの頃、祖母よりかなり年上だったはずだから、とっくに亡くなっていて家は更地にしたのだろう。  俺は胸ポケットの写真を手で押さえると、振り返ってもう一度、懐かしい我が家を眺めた。  その時、車が近付いてきて俺の前に停まった。見知らぬ白いセダンだった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!