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「随分と遅くなってしまったな……急ぎ参ろう」
亥の刻が過ぎ去り、間もなく子の刻を迎えようとする頃、有禅は琴姫が待つ自らの寝所へと向かうことにした。
不穏な動きをする西国から戻ってきた草の者が戻り、晴雅と有禅に西国の動きを報告した。直ちに戦じゃと息巻いていた父晴雅をどうにかこうにか宥めすかし、有禅は内心ホッと胸を撫で下ろしていた。
――せめて、今宵のぽろんくせまの儀と婚儀が無事に終わってからにしてくれ、親父殿。何しろ待ちに待ち焦がれた姫との一年ぶりの再会なのだからな……
そうは言っても、琴姫からすれば今宵が初対面。それに有禅も琴姫の顔や声や立ち居振る舞いは多少知っているとはいえ、直接声を交わした間柄ではない。
それでも、琴姫の声や姿は昨日のことのように覚えている。荒くれ者達にも決して怯まぬ姿は、まるでつい先日見た毘沙門天のようであった。
毘沙門天と棒きれを持って威勢よく見栄をきる琴姫の並ぶ姿が頭に浮かび、有禅はクククと忍び笑いした。
「有禅様?」
後ろをふり返り不思議そうに見つめる小姓に何でもないと手を振りつつ、廊下から見える夜空の満月を見上げる。
さて、どのような顔をしておればよいものかのうと寝間着姿で腕組みしながら、有禅は廊下を歩いた。
「すまなんだ。使いの者が戻り話を聞いていたらこんな時間になってしもうた」
座している琴姫に有禅が告げたものの、琴姫は目を開けたまま眠っており、そのまま沈黙の時間が流れた。
「琴姫か。わしが三日後正式にそなたの夫となる有禅じゃ。よろしゅう頼む…………琴姫?いかがいたした?」
学者坊主のぐうぉっほんという不自然な咳払いで意識が戻った琴姫は、目の前に立つ有禅を認識するや否や、慌てて平伏した。
「わ、若君。申し訳ござりませぬ。琴にござりまする」
「うん。面を上げよ」
有禅に言われ面を上げた琴姫の睫毛には、南蛮渡来の商人より買った癖毛の睫毛がしっかりと取り付けられていた。
今宵は父母の代より伝わりしぽろんくせまの儀であり、この儀より三日後に婚儀が執り行われる。自然に取れるか、有禅自らが琴姫の眼に付けられた睫毛を取るまで、有禅と琴姫による婚前前の甘い語らいが行われる。
しかし夜も更け、琴姫の眠気は限界を越えていた為、会話はほぼ有禅の質問から成るものであり、途切れ途切れのものだった。
そして、座ったまま船を漕ぐ琴姫を見兼ねてなのか、度々傍に控えていた学者坊主の咳き込みが聞こえてきた。
それでも、有禅は半分以上眠っている琴姫から、薙刀や木登りのことについてなんとか聞き出すことが出来た。それに、元々幼い頃より剣術を習っていたことも。
琴姫の好きな食べ物が平たい団子という自分との共通点も見つかり、ご満悦のまま有禅は琴姫を抱きかかえ床に入った。
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