社内に王

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 キーボードを叩く音。  ボールペンを走らせる音。  プリンタが印刷をして、用紙が出てくる音。  窓の外から入ってくる、車の走行音。  電話の鳴る音。それに応える人の声。  電話を置く、カチャンという音。  沢山の音に、私は囲まれている。  賑やかで、人の居る空間。  オフィスという活き場。  人材の集う披露宴。  けれど、その中で。  私だけが、悲しくなってしまうくらいに、孤独だった。  先輩社員の方々は優しい。表面上は入社当時と変わらない。  でも、それは、そうしようと意識して振る舞ってくれているだけ。  自分達も、明日には、明後日には、私と同じような立場に、事態に、見舞われるのではないか。  そんな怯えと不安、警戒と、自らの為の保身として、優しく、障りなく、仕事熱心で後輩思いな人格を装っているだけに過ぎない。  見せかけだけの関係。体裁ばかりの社内。他人を、上層部を、企業のトップを、果ては国をも信じられなくなった、歪で哀しい人間関係。  今の職場に就職が決まったのは、つい半年ほど前。  新入社員歓迎会をしてもらって、社員の先輩方と顔合わせと、何重もの挨拶を経て、仕事を教えてもらって、ようやく一人でも、一通りの業務をこなせるようになってきたところだった。  独り立ちできそうなことが誇らしかった。  頑張ろう、と素直に思っていた。  私の頭と気持ちは前を向いていた。  けれど、その志は、あっさりと打ち砕かれた。  二年ほど前から話題になっていた、AIという技術。  概念なのか、ソフトウェアなのか、システムなのか、ソースコードの集合体を指すのか、いまいち正確な理解に欠けていたけれど、話には聞いていた。きちんと存在は把握していた。  ニュースでも目にしていたし、技術進歩の話題でも定期的に挙がるので、私の耳には入ってきていた。  このまま発達を続けていけば、いずれ人間の仕事をAIが代替してくれるようになる、そうすれば、豊かで安定した社会が形成されるだろう、ただし、人間が役割を失う、人間が勤めていた職場を追われることになる、仕事をしなくてよくなった者達は、さて、どうしたものか、働かなくても生きていけるような、そんな全自動な社会にいきなり転換できるなら良いけれど、流石にそういうわけにはいかないだろう、途端に仕事を失った者達が失業者とならないよう、経済的・社会的な仕組み、新たな構造改革がなされてからでないと、AIが人間の仕事へ代替として就くことは難しいだろう、そう囁かれていた。少なくとも、私はそう聞いていた。  ところが、AIは異例の速度で学習と発達を繰り返し、瞬く間にその技術とノウハウが知れ渡った。ソフトウェア会社や大学の専属研究機関が連携して、普及と実用化に貢献した。  結果、AI事務ソフトが発表され、各企業で実装する運びとなった。AIの実務使用推進法の可決、関連する些末な法の改正までがなされた。  利権絡みか、デジタル分野で多国より秀でてやろうという気概もしくは魂胆か、理由はどうあれ、現場で働く社会人達にとっては一大ニュースであり、とてつもない衝撃であり、大きな変化を強いられる転換期となった。そんな瞬間がいきなりやってきたのだ。  そうした社会的変革の煽りを受けたのは他でもない、私自身だった。  就職したばかり、決まったばかりの新しい職場を、経理というポストを、たった半年で失うこととなってしまった。  今は日々、AIにデータをスムーズに渡すため、紙伝票の内容をデジタルデータとしてPCへ入力し、電子ファイルを事前に作っておく作業、現実世界に存在する、手書きの重要連絡先メモや、社内の古いバインダに収まっている数値・社外秘の数字・取引社名などの最重要顧客情報をPCへ打ち込んでロックをかけておく作業、それらを逐次、先輩社員達へ引継ぎ、という仕事をしている。  ここで働く期間は、あと一週間。  今月末には仕事を失う。  私は、無職になってしまう。  こんなはずではなかった、という気持ちばかりがある。  こんなことになるなんて予想もしてなかった。  AI関連でどのような内容が報道されても、すごい時代になったなぁ、なんて個人的な感想を抱く程度だった。それくらいでいいと、聞き流しても大丈夫だと、正面から取り合う必要はないと考えていた。  まさかこれほど早く実用化されるなんて想像もしていなかったし、警戒なんてもってのほか。  実用化に際して、どのような事業へ、どのような役割で投入されるのかも全く知らなかったし、知らされなかった。私の就いているポストが最も代替しやすく、一番若い私が真っ先にクビを切られるなんて想定していなかった。 知らされた時には、とにかく衝撃で、疑問ばかりが頭を占めて、そして、完全に手遅れだった。  今になって考えてみれば当然の結末で、AIが初めて実戦投入されるのは、AIが最も得意とする、数字に関する分野、デジタルデータが既に大量にあり、大量のデータを活用することで真価を発揮できる現場が好ましい。つまり、事務や会計業務などはうってつけで、そのような職場への登板は、AIにとって、まさに好都合なお披露目の舞台であったわけだ。  これらAIに関する特徴と、業務ノウハウの蓄積・構築の仕組み、私の解雇理由がいかに妥当なもので、致し方の無い決断で、企業としては回避不可能な状況であるかを直属の上司から聞かされた後、場所を会議室へ移し、社内のもっと上の立場の人と面談兼事情説明の継続、もとい一方的な解雇通告であるけれど、私がそうは受け取れないよう、回りくどく、さも当然であるかのような口調でそれらしく、言い訳をつらつらと並べ立てられた。  挙句、その場に社長までもが入ってきて、私を形だけ労い、けれど有無を言わせない態度と効率性で、私の解雇は決定事項とされた。  私なりに、色々と考えはした。  労働基準監督署へ通報するなり、弁護士を雇うなり、究極、ネットへ情報を上げて徹底抗戦をするなりと、選択肢を思い浮かべ、今後の対策を探った。 探った末に、どうしようもない、という結論に至った。  ネットを覗いてみれば、私と同じような状況に陥った者達で溢れ返っている。私だけが特別ではなく、私だけが例外ではない。企業と戦っても仕方がないのだ。私が職を追われたのは、企業側の問題ではなく、時代が変わったこと、変革の波に飲まれ、私がその波の中で、自分の立ち位置を確保できなかったことが原因。つまり、私を手放したくない、企業が囲っておきたいと思えるようなスキルがなかったことに起因する。  この会社に十年務める気概があったかと問われたなら、私は即答することができない。  けれど、少なくとも、半年で辞めるつもりはなかった。正社員雇用だったから尚更に。  全ては自分の甘さが招いた事態かな、とも思う。  考えが足りなかった。備えなどしていなかった。企業に入りさえすれば、企業が守ってくれると、そんなふうに漠然と捉えていた。だから、こうして突き放された途端、何もなくなってしまうのだ。自分で作り上げた土台が一つとして存在しないから。  私だけの強み、私だけにできること、会社が、他人が、私を欲しがるようなスキルを有してさえすれば、AIなんかに負けることはなかっただろう。  私だけの強み、私だけの個性……。  自分で思いついておきながら、私は首を傾げる。  自分が得意なことって、なんだろう? 私はそもそも、何になりたかったのだろう?  データを入力する手を止めて、ぼんやりと目を向ける。  私しか知らないであろう【何か】へ。  私にしか見えないらしい【何か】へ。  私だけが認識している、不明の者へ。  会計・事務フロアの端、私の直属の上司が仕事をするデスク、私から見て、その机の左側の床に、彼はいつも鎮座している。  彼との邂逅は、入社初日からだった。  これから自分が働く場所、作業をする机とPCを教えてもらっている際、初めて目にした。  フロアの端に、あろうことか、王様がいたのだ。  どうして、王様だ、と認識したのかといえば、見た目が御伽噺に登場する王様の外見そのものであったから。  王冠を被り、分厚いマントのような衣裳を肩から纏い、やや肥満気味なお腹に、明らかに日本人離れした、彫りの深い顔立ちをしている。そのような西洋ど真ん中で一貫しているにも関わらず、フロアの床へ胡坐をかいて座しているのだから違和感が凄まじい。洋なのか、和なのか、統一してはくれないか、という文句が頭をよぎったことを覚えている。  ただ、最も私の目を引き、そして驚かせたことは、王様の全身が、墨汁を浴びせ、塗りたくり、細部に至るまで浸透させたのかというほどに真っ黒であること。  そんな、どこから指摘したらよいのか躊躇うほどに異質で異常な身なり、シチュエーションであったため、私は相応しいリアクションとは何か、と困りながら、きっと先輩達のおふざけ、歓迎のための催しの一環だろう、と納得をして、半笑いの表情で、私の指導と案内を担当してくださっていた先輩社員の方へ、あの、あれって……と聞いた。  先輩社員の方は、えっ? と首を傾げるだけだった。  これ以降も、同様の反応ばかりを返された。  誰に聞いても、どのタイミングで指し、どう質問をしても、誰も答えてくれなかった。  まるで見えていないかのように伝わらない。私が問う内容が通じない。何を聞いているのかが分からない、といった様子で、首を傾げられ、不思議な顔をされて、恐いことを言わないで、と苦笑いをされるばかり。  そこまでしてようやく、私は、ああ、これは私にしか見えていないのか、と気づいた。  納得できたわけではない。どうしてそのようなことが起こるのか、そんなことがあり得るのか、この王様は何者で、何故ここにいるのか、何が目的なのか、幽霊なのか、そもそも、これは現実なのか、私の頭がおかしくなっているのではないか、脳の病気だろうか、疾患の一種だろうか、神経に異常でも生じているのだろうか、と様々な可能性を考え、列挙し、メモに書き出して、病院を受診して、検査と同時にお医者さんに話を聞いてもらった。しかし、私の身体に異常はなく、お医者さんからも、見間違いだろう、疲れやストレスからくる脳の認識不良、ようするに見間違いだ、と告げられた。  だけど、ひと月経っても、ふた月経っても、王様はずっと同じ場所にいる。  原因も理由も正体も判らず、それでも毎日、彼はそこにいる。胡坐をかいている。  居るだけで、特に何もない。  何が起きるわけでなく、彼は微動だにせず、まったくの無害。  視界の端に居るだけ。ただそれだけ。故に無害。  三か月経つ頃には、彼がそこに居ることに、私は慣れてしまった。  先輩方へ相談することも止め、私自身、何も見えていないかのように振る舞う。  それで問題ないのだから、問題ではない。問題にする必要がない。  たまに友人と出かけた時に、話題として話して聞かせ、なにそれ、と笑われる。私も笑って、それで終わり。そんな話の末端に、少しだけ登場するような、その程度の認識に留まるようになった。それ以上にはなりようがないのだから当たり前。王様に触れたりしないよう、刺激しないようにだけ気をつけながら、私は日々、仕事をしていた。クビが決まってからも、そうしていた。  一周間はあっという間に過ぎて。  出勤最終日。  憂鬱な最後。  溜息をつきながら職場へ向かう。  通りを歩き、信号を渡り、私の勤める会社の自社ビルが見えてくる。  また、溜息。  これから、どうしよう。  働かなくてはいけない。それは確定事項。  就職活動をしなくてはいけない。これも確定事項。  良い会社があるだろうか? この不景気に、AIの影響で失業者が大量に出ている現状で、スムーズに次の仕事が決まるだろうか?  不安しかない。不満しかない。  どうしてこうなってしまったのか、という自問。  どうしてくれるのか、という、ぶつけようのない苛立ち。  悔しい、悲しい、というマイナス感情。  そんなものを胸の内でぐるぐるとさせながら辿り着いた会社の目の前。  その正面出入口の目の前に。  真っ黒な人影が仁王立ち。  あの王様だった。  彼が立っている。  フロアを出て、ビルの外へ出て来ている。  突然の変化に、これまでなかった変化に、私は面食らい、横断歩道を挟んだまま硬直してしまった。  目を見開いたまま視る。  視界の端で。  信号が変わる。  赤。  止まれ。  渡るな。  そのサイン。  彼の首が動く。  彫りの深い顔が。  青い眼の視線が。  ビルの方を向く。  途端。  地響き。  大音量。  振動と、急速に大きくなる音。  音だ。  大きな音。  私を包む音。  私を襲う音。  ビルの硝子が割れた。  次々と割れて飛び散る。  私が勤めていた会社。  その自社ビルが崩れていく。  おそらく建物の後方から。  私から見て、建物の背の方へと倒れるように。  ビルの土台、本柱が折れたのか、そんな倒壊の仕方。  轟音と粉塵。  砕け散り、周囲へと飛散する、様々な微小体。  砂塵か、埃か、小さなコンクリート?  どこかリズミカルな終焉。お先真っ暗な未来。  周囲からは悲鳴。逃げ惑う人々。混沌とパニック。  喧しいほどの惑い。巻き込まれることへの怒り。降りかかった非日常がゆえ。  展開される灰色。それが支配する空間。覗く空は、いつもと変わらない群青。  王様が、こちらを向いた。  彼の姿だけは、どうしてだか、鮮明に見えた。  彼は、私へ向けて、満面の笑みを浮かべていた。  どうして? とは思わなかった。  彼への恐怖も、突然の事態への怒りも、起こった事象への戸惑いも、感じなかった。  反応は、ただ一つだけ。  気づけば、私も笑っていたの。  この状況が、有り様が、こんな私が、彼の存在が。  可笑しかったから。  彼以上に、声を上げて。  げらげらと、私は笑った。  粉塵を吸って、むせて、咳込んで、胸が苦しくて。  それでも、それすらも、ひたすらに。  可笑しくて。  可笑しくて。  仕方がなかったから。
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