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妙な事になった。
あの水墨画に伝わる噂は本当だったのだ。
雪峰は、何の因果か花鳥風月に気に入られた。理由は分からない。
「……どうするべきか」
空になった杯を見つめ、ぽつりと呟く。
向かい側で酒を飲む景晨にもその呟きは聞こえたようで、大袈裟に手を持ち上げた。元々役者を目指していたこともあり、こういう時の動作はやや芝居がかっている。大柄な体躯と合わさり、威圧感が半端ない。
「本当になぁ! 詐欺師によ! 物がなけりゃ返品できないって言われちまってさ! そんなん彼奴等の仲間が盗んだに決まっているのにさぁ!」
酒のせいか普段より声も大きい。雪峰は眉根を寄せるが文句は言わなかった。
景晨が詐欺師に突き返すために持ち帰った〝花鳥風月〟は、今、雪峰の手元にある。景晨に事情を説明すれば一寸も疑わず、また持ち帰ってくれるだろうが雪峰は出来なかった。
「なあ、景晨」
「ん? どうしたぁ? 酒が進んでねぇーぞ」
有無を言わせず景晨は雪峰の杯に酒を注ぐ。
「花鳥風月は、人を呪うそうだな」
「噂なら王悦の娘さんに心を奪われて腑抜けになるらしいな」
「俺は、腑抜けに見えるか?」
はあ? と景晨は目を見開いた。何を言っているんだと雪峰の顔をまじまじと見つめ、首を捻る。
「女にだらしないが、腑抜けではないだろ」
「前半は余計だ」
余計な一言に苛つきつつも「そうだよな」とひとりごちる。あの画が手元に来て三日は経つが歴代の被害者と自分が同じ末路を辿るなんて思えない。
思考は鮮明。今だって悪友の愚痴に付き合うだけの余裕がある。
花鳥風月に心奪われた人間は四六時中、娘を求めるというのだから自分は違う。求めてはいない。手放せないだけだ。
「なんか悩み事か?」
「お前に言っても解決しない」
「ひでぇ!」
けらけら笑う景晨につられて、雪峰も笑う。
「少し、捨てるのが勿体ないと思っただけだ」
「女か?」
「……似たようなものさ」
花鳥風月を手放さなければと思っているが実行に移すことが出来ないでいる。あの日以降、娘は雪峰の前に現れないのに。
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