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陽光を反射させ、輝く山稜に、楽しげに歌いながら空を舞う数羽の小鳥。風にそよぐ手毬桜の下には一人の少女が天を仰いでいた。
月精と見紛う美貌の持ち主だ。長い睫毛に縁取られた瞳に、銀河の瞬きを秘めた黒髪。形の良い柳眉につんと尖った鼻筋、薄く開いた朱唇。滑らかな白皙の頬を滑る宝珠は、少女が泣いている事を見手に教えてくれる。
「……これは」
あまりの美しい光景に雪峰は感嘆の吐息をもらした。黒が織り成す光景なのに雪峰の目には色鮮やかな世界が映り込んでいた。それはまるで、神仙が休む桃源郷のようだ。
「何だぁこれは?」
訝しむ景晨の声にはっとする。
ぱちぱちと瞬きを繰り返した雪峰は次に飛び込んできた光景に「えっ」と気の抜けた声を発した。
「真っ黒じゃねぇーか!!」
景晨が持つ掛け軸は隅から隅まで真っ黒に染まっていた。何度も墨を重ねなければ成し得ない黒さに雪峰は瞠目する。
「うわーお前の言う通り、贋作だ」
「……景晨、お前には何が見える?」
「あ? 黒だよ、黒。真っ黒」
がくりと肩を落とす景晨に、雪峰は首を傾げた。先ほど、雪峰の目には確かに桃源郷が広がっていた。題名に相応しい花鳥風月の世界に泣く少女。
けれど、今、水墨画を何度見つめても、違う角度から眺めてもあの少女はおろか、桃源郷すら現れない。見えるのは完全な闇だけ。
「最初から、最後まで?」
「そうだが?」
今度は景晨が訝しむ目を向けてくる。
「まだ寝ぼけてんのか?」
「いや、目は冴えている……」
あれはきっと気のせいだ。寝起きだったので見間違えただけ、そう雪峰は自分に言い聞かせた。
「これは明日、突き返してくる」
贋作とはいえ丁寧な手つきで掛け軸をしまう景晨を——否、掛け軸を雪峰はじっと見つめるのだった。
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