二度目の初めまして

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 あの日、夫は「分かった」とだけ口にした。 「分かった」。つまり、「出来るだけ受け入れていく」という意味だ。  ドラマとかだったら、「どんな子でも自分の子だ」と大手を振っているだろうが、現実は難しいだろう。  我が子の障がいを受け入れるのは、我が子の死を受け入れることと同一だと唱える人がいるぐらい。苦しく、辛く、現実離れしていることだと聞いたことがある。  一般的な子育てにならなかったことに落胆し、思い描いた我が子ではなく、そのギャップに苦しむのだと。  夫はあれから娘に怒鳴ることはなくなり、癇癪を黙って見守るようになった。  その表情は悲痛に満ち溢れているけど、夫は最後まで娘の側に居てくれた。  少しずつでも受け入れようとするその姿勢に、これからも共に生きていくと決めた。  今日は療育園の体験入園。  予想していた通り、娘は騒ぎ、大泣きし、パニック状態となった。  事前にパンフレットの写真を見せて、ここに遊びに行くと予告していたけどダメか。  これは前途多難だ。  チャイルドシートに座って眠っている娘をチラッと見て、思う。  真美を受け入れてこなかった夫のことを、責めることは出来ない。  だって、私もそうだったから。  一歳八ヶ月の頃から、癇癪に負けずに親子教室に通わせていたら、娘はもっと生きやすかったかもしれない。  順応が早かったかもしれない。  言葉も、もっと出ていたかもしれない。  それを考えると、胸が張り裂けそうなぐらい苦しくなる。  あの頃の私は、娘のことが受け入れられなくて。  癇癪を起こす度に、苛ついて。  しっかり抱きしめることすら出来なかった。  いや、違うか。  私は初めの時から、抱っこをしていない。  あの頃の真美は抱っこが嫌いで、今考えれば急に体が浮き何をされるのかが分からないことが怖くて泣いていたと分かるけど、当時は分からなくて。  新生児期に抱きしめることが出来なかったことが、私の中で引っかかっているのかもしれない。  だから。  私は車を、アパートの駐車場に停める。 「あ、おうち?」 「うん。降りようか」  ボーとしている真美をチャイルドシートから下ろそうと抱き抱えるが、私はその手を離さなかった。  大きな体。  あの頃より倍の大きさになった真美を、抱き抱えるのは大変。  だけど娘はにっこり笑い、私に体を寄せてくる。  まずは、一からの親子関係を築き直そう。  変わった母親を、この子に見てもらおう。  そして抱きしめよう。  あの頃、誰にも理解されず「大丈夫だよ」と抱きしめてもらえなかった私の分も。 「真美」  私は娘をギュッと抱きしめる。  二度目の初めまして。
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