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1.
高曇りの空の下、男は一人で低山の岩礫地の道を歩いていた。
道と呼んで良いものなのか、人が一人しか通れないほど頼りなく細い。その上を右手に向かって歩き、ほどなくすれば左手に向かって切り返す、さらにまた右手に、という繰り返しを続けて登っていた。
時折、歩いたすぐ後に足の下にあった小石が崩れ、音を立てて落ちる。男の後ろをついてくる者はだれもおらず、怪我をさせる心配はない。
途中で道が終わる。ここからは手足を使い、白の混じる灰色の石灰岩の重なりを縦に登るしかない。
頭には何の考えもなかった。岩に手をかけ、足をかけ、重みで足場が崩れないかを確かめながら、ただ登る。
それほど高い山ではない。いつしか頂上に着いていた。
一人、片足をかけて立つことしかできないほど小さな頂きだった。
目的は頂上に着くこと自体ではなく、この場所でさらに遠くの山の稜線を見たかった。
ここで昔、濃い緑色の山の連なりを指差しながら、地形の成り立ちを教えてくれた人がいた。
二人で立てるほどの面積はなく、その人は一段下に立って話をした。
聴いた内容は今では覚えていない。
ただ、まっすぐに腕を伸ばし山々に向かって示された指先と、横顔だけが目の奥に残り続けた。
その人はもういない。山だけが変わらずにある。十年経っても。
あたりは静かだった。涼しい風が頬に当たる。しばらく遠くの山々を見ていた。
登るときは何も思わずにいられた、頂上から見下ろすと絶壁とも見える岩の重なりを行きよりも慎重に伝い下りる。気を抜けば滑り落ちる。
どのくらいの時間が経ったかわからない。視界には灰色の岩しか映せない。足場を何度も確めながら、一足ずつ下りていく。
もと来た細い道に下り立ったとき、ようやく安堵の息を吐けた。
日が暮れ始めていた。
女が立っていた。露草色の服を着ていた。肩のあたりまでの黒い髪が、微風に吹かれて揺れていた。
胸の前で水をすくうように両手のひらをくぼませて、そのわずかな上で宙に浮く、薄青く透明な球体を眺めていた。
女が澄んだ声で言う。
「不安定ですぐに形を保てなくなる。
際限なく流れる水でできた毬のようね。
ずっと回転しているの。
これがあなたの揺れ動きふるえる心。
千々に乱れる心。
あなた、これをだれかと分かち合いたい?
あなたが望むなら、これをだれかの中に入れてあげる。
ほんとうに理解してもらいたい相手の中に。
そうしたら、あなたとその人は同じ心のふるえを抱く。
慟哭も悲哀も、あなたは分かち合えるの。
ひとりではなくなるの」
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