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 とある開けた農地の隅で、一人の少年が棒を素振りをしていた。木々に囲まれておひ、葉はうっすらと茶色い。服装は農民によくあるもので七分丈のよれたチュニック、下はブーツインしているズボンである。色は茶色等が多く、この景色と同化する程に。 「えいっ! えいっ!」  掛け声と共に、少年はひたすらに棒を強く振っていく。するとここから少し離れた場所にある民家から、女の声がした。少年に夕餉の時間だと、呼んでいるようだ。空を見れば橙色に染まっている。  少年はその方向へと視線を変えると、素振りを止めた。 「はーい、母さん!」  どうやら、その女は少年の母親のようだ。棒を片手に持ち、民家へと歩いていく。  じゃり、じゃり、と土でできた道を確かな足取りで歩いていった。すぐに民家に到着すると、母親がずっと待ってくれていたらしい。「お疲れ様」という言葉と共に、家へと入っていく。 「あっ! お帰り! お兄ちゃん!」 「兄さんお帰り!」 「ただいま」  帰るなり、まだ幼い少年の弟や妹が出迎えてくれた。どうやら夕餉の準備の手伝いをしていたらしく、手には食器類を持っている。  少年は棒を壁に立てかけると、夕餉のよい匂いのするリビングへと母と弟妹と向かって行った。家は四人にしては狭いが、それでも何も無く幸せに暮らしている。  それぞれ席に着くなり、祈りのように母親が目を閉じて手を合わせた。少年や弟妹もそれに倣って同じ動作をする。その際に「ハルヤ様」と口にしていた。何かの宗教の祈りだろうか。日常茶飯事のように、何もかもが自然な動きである。  それが終わると四人は食事をしていく。内容はパンと主に野菜を煮詰めたスープであり、内容は質素である。しかしスープには野菜の他に小さな肉があるので、栄養的にはあまり問題ないだろう。つまりは、この家庭は経済的に裕福の傾向にある。恵まれている方だった。 「おいしいね」  少年が笑顔で食事を口に運ぶ。スプーンを持つ手には、薄っすらと血豆ができていた。先程の、素振りが原因としか言いようがない。少年も農業の手伝いとして、鍬を振るう場面が多々ある。それよりも力を要するからなのか。 「今日も練習ご苦労さま、フェルン」 「ありがとう母さん」  少年から名を改め、フェルンは母親に笑顔を向けた。その母親もまた笑顔でいると、弟や妹が小さな口を使い食事をしている。すると一定の咀嚼を終えた後に、それぞれが口を開く。 「フェルンお兄ちゃんも、早く騎士様になれるといいね!」  妹がそう言うと、弟がうんうんと元気よく頷く。フェルンは「ありがとう」と礼を述べると、食事の続きをしていく。  フェルンが農業以外の時間で棒を必死に振るっている理由、それは騎士団に入りたいからだ。フェルンは騎士団に憧れていた。  理由は二つある。まず一つ目は、実はフェルンの上に年が五つ離れた兄が一人居る。名前はウェルだ。その兄が、騎士団に入っていた。フェルンはその兄のようになりたいと、背中を追い掛ける為に。  そして二つ目。この村は小さな村ではあるが、中継地点として商人がよく通っていた。騎士団の活躍をその商人たちからよく聞くことができるので、フェルンは自然と憧れるようになっていったのだ。  フェルンはもうじき近くのハイムという街で、入団試験を受けるところである。この国、ゾアマーは兵士の数と共に騎士の数も慢性的に足りなかった。時折に起きている戦争が原因だからだ。 「そういえば入団試験が、もうすぐだねぇ」  いつの間にか食事を終えていた母が、スプーンをテーブルに置いて呟く。フェルンは確かにそうだと、昼間の自然の景観を思い出してから頷いた。  入団試験は木々の葉が緑色から橙色になった頃に、中央の街で毎年行われる。  そして今は周囲の木々の葉が薄っすらと橙色になるところだった。入団試験が近いことを表している。 「僕も兄さんのように、騎士になって見せるよ」  自信ありげにフェルンが返す。表情は緩やかに笑っていた。  実際に、フェルンは毎日欠かさず棒を素振りしているからだ。  その棒はかつては兄が剣のように振っていたものである。姿は剣を模しており、全体的に浅いへこみや傷に包まれていた。特に持ち手には兄やフェルンの血豆が潰れた痕が数個ある。掠れた赤色が染み付いている。  兄のように練習を欠かさないので、先程のような自信が出ていた。 「楽しみにしておくわね……死んだ父さんも、きっと同じよ」  ふと、母が薄汚れた室内の天井を見た。顔は一気に沈んでおり、今にも泣き出しそうな顔である。 「そうだね、父さんも……」  するとフェルンは首を横に振り、まだ完食していない食事に再び手を付けた。今は楽しい夕食時である。この時だけは死を意識するのではなく、生を意識したかった。食事とは、生を繋げる行動だからだ。  ふと気が付いた母は「ごめんなさいね」と謝ると、フェルンのように食事を再開させる。一方で二人の会話をぽかんと聞いていた弟と妹は、何の話をしているのか分からなかったらしい。  父親は弟と妹が物心つく前に死んでいる。死因などは、フェルンはよく分かっていた。村の近くでたむろしていた山賊に襲われたからだ。しかしその際に駆け付けた兵や騎士により、山賊を倒すことはできているのだが。  フェルンはそれを思い出し、瞳に涙が浮かぶ。父の死に直面をした当初を思い出したからだ。父にはよく甘え、そして時には厳しくされていた。そのような父が、好きだった。涙を堪えながら、フェルンは匙を握る力を強くしていく。  あの時は何もできなかったが、同時に騎士への憧れが強くなっていた。あの時の騎士のように、強くなりたいと。  頭には憧れを浮かばせ、匙を握る力を弱める。すると母が何かを思い出したように、フェルンに言う。 「そういえば、最近は山賊みたいな人を村の外で見かけるから、気を付けてね」 「うん」  村の外では見回りの兵が居るので大したことはないが、母は念の為にと。フェルンは一つ返事で頷くと、食事を咀嚼した。母の手料理はいつ食べても美味い。ずっと食べていたいくらいだ。それを前に言ったことはあるが、母に笑われてしまった。  おかしいことであるが、フェルンは本当のことを述べたのだ。母は笑ってから、それを流していたのだが。  弟妹が何やら話してきたので、フェルンと母がそれに返事をしていく。そうしながら食事をすると、ようやく終えた。区切りの良いところで話を終え、フェルンと弟妹と母で後片付けをしていく。  片付けを終えてから、フェルンだけがランタンを手に持って外に出た。その際に夕方振っていた棒を握る。  辺りはもう暗いが、また木の棒を振るうつもりらしい。 「少しでも、僕は……!」  フェルンは一人きりでそう言い、静かな夜に包まれながら木の棒を振るったのであった。  ※  とある人気のない夜の深い森の中で、遥か遠くには大きな街の喧騒が微かに聞こえる。周囲には河川が無いので、とても静かだ。木々が生い茂っており、森に飲み込まれそうな程であった。 「僕が……どうして……」  その中にある、線の細く低い薄い影が立ち尽くして呟いた。これはフェルンのものである。  声の高さにはまだ幼さの面影があり、第一印象は「頼りなさげ」の一言が相応しいだろう。その影や声の主は、少し長くボサボサの茶色い髪と緑色の瞳を持っている。謂わば平々凡々の外見で、服装は農民によく見られるようなチュニックとブーツだ。しかしどちらも新しくなく、清潔感があるとは言えない。  空には月が浮かんでいるが、大きく欠けているので周辺は暗い。それでも少年は、そのような場から離れる気は無かった。  フェルンの手には剣を模した木の棒だけが一つ握られていた。かなりボロボロである。刀身にあたる部分には硬い岩や木を殴ったかのような、へこみや傷が満遍なくある。日に日にそれが増えていたのだ。しかしどれもフェルンが非力が故に浅い。持ち手には血の跡があり、血豆を何個も作っては潰していたことが容易に分かる。  その木の棒を、フェルンは見る。はっきりとした明かりはどこにも無いが、手で触れただけで木の棒の様々な存在がはっきりと分かっていた。どのへこみも傷も、フェルンにとっては見える努力の証である。しかしそれが今日の昼間に、全てが無駄になったのだ。  フェルンはハイムにて昼間に王国の騎士団の定期的に行われる入団試験を受けていた。受験する為の資格は特にないからだ。入団試験の際に金を払う必要もない。高い身分の有無も、字の読み書きの具合も関係ないのだ。一番重要なものはとにかく実力と、この国の者であるかどうかである。なぜならば、現在は他の国と小規模な戦争がよく続いているからだ。戦績は半々ではあるが、人が足りないといえる。そのような状況でも、志願者は少なくはない。生きている間は待遇が良いからだ。戦績が半々と言えど、戦争によりこの国に入る金などは多い方である。  それでも試験内容はとても簡単で、試験官である兵と刃を潰した剣で手合わせをするだけだ。勝ち負けは関係ないらしいが、当然のように勝利を修める方が良いに決まっている。擬似的な実戦の再現を行い、どれほどの騎士としての適正があるのかと。この国は実力こそが全てという考えを持っていた。とはいえ今のその思想は現在の国王が誕生してからと、考え自体の歴史はまだ浅い。  フェルンは適量の食事と野宿での休息をしながら安全な街道を歩いていた。二日を要した。因みに街道から外れなければそこら中に兵が歩いており、身の危険はそこまで無い。  家族から応援を受けていたうえに、村の者たちから期待をされていた。必ず入団試験を通ると。  今までフェルンはひたすらに素振りしたりしていた。まともな指導をできる者は村に居ないので、全てはフェルンが独断で「これで良いだろう」と考えた結果である。騎士団になるための想像の何もかもが甘いまま何年もだ。  なのでその入団試験にて、フェルンは当然のように落とされてしまう。他にも入団試験を受けていた者が何十人も居たが、その中では成績が最下位だと判明していた。手合いにすぐに負けたうえに、足を震わせて動けなかったからだ。しまいには持たされた剣の本物の重さにより地面に落としてしまうので、その場に居た者たちが嘲笑いながら暴言を放つ。  それによりフェルンの、成熟する筈であった心が崩れ落ちてしまっていた。心にあった眩い火が消えてしまっていた。  なので試験を終えると街から逃げるように去ったが、とても情けないので村に帰ることができずにこの森に居る。感情に任せて無我夢中で走ってからたどり着いていた。初めて来たので出口も来た道も分からない。森から出られなくなってしまったのだ。昼からは何も口にしていないので、かなり腹が減っており体温が低い。それに今身に付けているこの粗末なチュニックやブーツでは、この寒さに耐えることができない。  だがこのまま帰らなければ、家族からは入団試験に合格したと見なされるだろう。 「僕はどうなるんだろう……」  すると寒さとは正反対に、熱い涙が頬に垂れた。凍える空気によりすぐに冷えてしまい、更に遠くなった暖かさが恋しくなる。このままでは今から街に向かっても、体力が無くなり倒れてしまうだろう。最悪の場合、死んでしまうかもしれない。フェルンはそのような思考を巡らせると、震えの源に恐怖が加わった。もう、憧れの騎士団の夢が砕け散ったこともあり、もはや悪夢とでも思いたくなる。何もかもに後悔をしていく。  自身の人生に否定し始めていると、少し遠くから二人くらいの男の声が聞こえた。こちらへゆっくりと歩きながら会話をしており、フェルンの存在に気付いてはいないようだ。姿は見えないが、体の一部分を隠している甲冑の金属が擦れる音が聞こえた。ごく小さな灯りを持っているのが見えるが、巡回兵だろうか。何かを大事そうに持っているのも確認できる。  内容を少しだけ聞き取れると判断したので草むらに隠れたフェルンは、耳を澄まして会話を聞いていく。どうしてなのかは分からないが、隠れた方が良いと判断したからだ。 「そういえば最近は、騎士よりも冒険者の方が金になるらしいな。なんでも、上手い話が冒険者ギルドにすげぇ入ってきてるとか」 「うーん、でもなぁ……その代わりに、収入は安定しねぇぞ? 依頼をどんどん受けねぇと金が入らねぇし、それに身の安全は冒険者ギルドですら守ってくれねぇし」 「あぁ、そうだよなぁ……でもなぁ……それより、これをばれねぇようにどこかに隠そうぜ」  フェルンはそこで「冒険者」という言葉を初めて聞いた。職業のことだろうか。  確かに、聞いた限りでは魅力的だと思えたがリスクが大きい。男二人の会話を一通り盗み聞きしていく。そしてフェルンが隠れている草むらの前を男二人が通り過ぎることを確認すると、溜め息を漏らした。それしかできなかった。  先程の男二人会話は忘れて、フェルンは次は何をしようか考えるが何も思いつかない。次々と蓄積していく疲れや冷えにより、頭が働かなくなってきたのだ。やはりこのまま死ぬのだろうかと、目を細める。  するとどこからか、人が静かに早く走る音が聞こえた。さすがにそれには反応しきれなかったので、フェルンは身を隠す余裕も無く走る音がより大きくなることをただ感じていた。 「おい、そこのお前……いや、見るからに違うな。すまないが、怪しい男二人を見なかったか?」 「はぁ……怪しいかどうかは分かりませんが、何かを持っている男の人二人組ならさっき見ましたけど……」  こちらへ走って来る音の主は、フェルンよりも遥かに背の高い壮年の男であった。声はかなり低く、最初は警戒心が透けて見えた。しかしフェルンのシルエットのみを見るなり、声音が和らぐ。少年はふと、父親のことを思い出してしまう。思わず家族への恋しさが募り、涙が流れかけた。  そしてかなり筋肉質であるのか、体がとても大きい。地面にしっかりと根を張った大木のようだ。しかし騎士のような甲冑は装備しておらず、先程の男二人のように体の一部等を金属で包んでいない。寧ろ金属部分は先程の男二人よりも少ない。  壮年の男が声を潜ませながら、フェルンに話しかけた。まるで内密に話しているようだった。なのでフェルンも同じように、小さな声で返事をしていく。 「……そいつらが、どこに行ったかは分かるか?」 「向こうですが……」 「そうか、ありがとう。ただ、子供は早く家に帰れよ。ここは何かと危ないからな。さすがに魔獣は魔道具で出ないとは思うが」  壮年の男が素早く礼を告げると、フェルンの言葉を待たずに小さく弱い加速魔法の呪文を唱えていた。いつの間にか壮年の男の姿が見えなくなる。反応がかなり遅れたが、見ず知らずの相手に「帰る家など無い」と答えるのはどうかと思った。フェルンは一人きりで首を横に振ってから、壮年の男性が走って行った方向を見やる。  今は何でも良いので、目的があるということが何だか羨ましく思えた。壮年の男性は、どうして先程の男二人を追いかけているのかは不明なのだが。  すると次は壮年の男が走って来た場所から複数の足音が聞こえた。どちらもバラバラで、規則性が無い。そこで気がついたが先程の男二人も壮年の男も、騎士では無いと考えた。そもそもこのような場所に、騎士が出歩くはずが無いと。 「はぁ、相変わらず早いなーあのおっさんは」 「だなぁ……しょぼい依頼だってのに……」  のんびりと、フェルンよりも年が幾つか上であろう男二人が歩いて来た。その証拠として、声変わりをしていたからだ。聞こえてきた会話からして、壮年の男性の知り合いなのだろう。格好は肘膝にプレートある程度で、残りはチュニックやチェーンメイル、皮のブーツで構成されている。一人はショートソード二本を携えており、もう一人はロングソードを一本携えていた。  二人はフェルンの顔を見るが、特に何も言わないまま壮年の男を走って追いかけていった。足音を当然のように鳴らしながら。しかし二人は壮年の男のように、フェルンの身の安全など気に留めていなかった。  一人きりになったフェルンだが、あの壮年の男と二人の少年のことが気になって仕方がなくなる。恐らくは、ここから三人の目的地までは近いだろう。少年は回らなくなりつつある頭を動かし、そのような予測を導き出す。  胃は空で、体はとても冷えている。疲れだってかなりある。それでもフェルンの中に僅かな好奇心が宿ると、重くなってしまった足を必死に動かしていったのであった。  よろよろと歩いてから着いた先には、壮年の男とショートソードを二本携えていた少年一人の体が地面に転がっており、足元には鞘の抜かれた綺麗な武器が落ちていた。木々があまりなく、開けた場所なので見えたのだ。生死は不明だ。唯一残った、ロングソードを携えていた少年は先程の男性二人と必死に戦っている。復讐を晴らすかのように、血走った眼で。しかし劣勢である。フェルンが来るまでの短い時間に、かなりの出血をしていた。男二人が手練れなのか、或いは三人が作戦を練ることを怠ったのかは不明である。  突然に広がる血生臭い光景に、フェルンは気持ち悪くなり嗚咽を吐く。このような場面は人生で初めて見て、聞き、そして匂いを嗅いでいた。まともに立っていられなくなる。足が、入団試験のときのように震える。どうにも動いてくれない。ふと、視界の隅に一人の男が何かを大事そうに抱えているのが、ぼんやりと見える。  すると男二人には気付かれた。とても気色悪い笑みを浮かべながら、フェルンを見る。いい獲物が来てくれたと、所々が刃がこぼれている剣を見せつけた。それも刀身には血飛沫が付着しており、見るからに壮年の男性とショートソードを携えていた少年のものだろう。  悲鳴が出せないフェルンは、ただ目を見開いて喉をらひゅうひゅうと音を鳴らす。それしかできなかった。剣を模した木の棒を持っていたが、地面に落としてしまう。しかしこの場に来てしまった最初から、絶望としか言いようがない状況だ。落としていなくとも変わらないだろう。  するとコン、とブーツに何か硬い物が当たる。フェルンが頭を恐る恐る下げると、ショートソードが二本転がっていた。ショートソード二本を携えていた少年は、まだ息があったのだ。息絶える直前に力を振り絞ってくれていたことがよく分かる。  フェルンはそれを見るなり心に火が灯った。とても小さいものだが、本物の剣、それに絶望と自暴自棄である心情。それらが火を起こしてくれたのだ。すると不思議と、大きな力が湧いてきた。  確実に二本のショートソードのそれぞれの柄を素人の手で持つと、何も考えることなく男二人に襲い掛かった。男たちは遊びのように笑っていたが、少年の表情は正反対である。とてつもない怒りが力に変換されたのだ。興奮しており、楽しいとも思えてしまった。騎士という言葉など。すっかりと忘れて。  ロングソードの少年はその隙に、何かを持っている一人の男の左胸に剣を突き刺す。ちょうど、甲冑の隙間を狙っていた。見事に皮膚や心臓を突き抜けられた男は、その場で倒れて「痛い!」と叫びながらもがき苦しみながら即死した。地面には血が広がり、小さな池のようになっていった。もう一人の男が油断したところで、フェルンがショートソードをまずは一本を右胸に突き刺した。動きは遅いが、男は大きな動揺により避ける余裕が無かったのだろう。攻撃を食らってしまう。苦しげなうめき声が聞こえた。刺した男の動きが、殆ど直立になっていく。  そしてもう一本を首にどすりと突き刺すと、男はすぐに息絶える。切られた木のように、どさりと倒れてしまった。男は死んだのだ。  人を、初めて殺してしまった。それに、簡単に殺してしまった。  フェルンは二つの死体を見ると正気を取り戻し、膝から崩れ落ちる。しまいには、顔が地面に張り付いてしまう。しかし人を殺した瞬間に体内の血が熱く、そして激しく巡っていたような気がした。興奮していたのだろう。  それに気付いたフェルンは、顔をゆっくりと上げた。その先には、ロングソードの少年が手を伸ばしてくれている。血走った眼の面影は無い。片手には、いつの間にか片方の男が持っていた物を抱えている。それは金貨が半分入った人の胴体くらいの袋だ。少し重そうにしていた。 「立てるか?」 「はい……」  差し出された手を掴んだフェルンは、よろめきながら立ち上がる。先程のことが悪夢か何かかと思ったが、充満する嫌な血の匂いで現実に引き戻された。  ロングソードの少年は二つのの死体を見ると、悲しげにフェルンに伝えた。 「手伝ってくれてありがとう……仲間が悲しいが、冒険者である以上、死は付き物だ。だけど、仲間の死は丁寧に弔いたいから、遺体を運ぶのを手伝ってくれるか? それなりの報酬を出す」  全ての言葉は淡々としていた。だがその中に、悲しみや怒りを隠してあるのだろう。フェルンはそれを察すると同時に、知らない者とはいえ死人を弔うということは無意識に賛成していた。ただし、特別な条件付きで。 「報酬は……いりません。その代わりに、僕も冒険者、というものにになりたいです」  フェルンは冒険者になりたいと申し出たのだ。理由は二つで家族に合わせる顔が無いことと、もっと鍛錬をしてから入団試験に臨むことだ。とても、合理的である。 「正気か? 俺達の、依頼の失敗……いや、失態を目の前にしてもか? それでもか?」 「はい」  フェルンはまっすぐに、ロングソードの少年を見た。穴が開くほどに見ていると、ロングソードの少年が降参だと言わんばかりに溜息をつく。 「分かった。お前を冒険者ギルドに連れて行って、登録手続きの手伝いまではしてやろう。登録したら誰でも冒険者にはなれるからな。じゃあこれで、交渉成立だな」 「……はい、よろしくお願いします」  ロングソードの少年が腰に提げている小さな袋から、乾燥した肉を取り出した。それを渡されたので受け取る。少しの食事を取ると、二人は二つの死体を重そうに抱えて森から出たのであった。  その時には夜が既に明けていたが、今のフェルンにとっては眩しいと思ってしまう。目をかなり細めながら、いつもは見慣れている朝日を。  ※  太陽が昇りきった頃に、二人はようやくハイムの街に着いた。フェルンが入団試験を行っていた場所である。少しだけ、フェルンは苦い顔をする。死体を背負っているが、道行く人々は素知らぬ顔をしている。このようなことは、日常茶飯事なのだろうか。フェルンはつい、辺りをキョロキョロしてしまいながら、ロングソードの少年に着いて行っていた。  二人が目指している場所は教会である。死んだ者がアンデッドにならないように、聖属性の魔法を掛けなければならない。それも、かなりの上位魔法だ。使用できるのは今は聖職者しか居ないので、教会に行って頼まなければならない。フェルンはそれを知っていたが、実際に目の当たりにするのは久しぶりである。父の死以来だ。  作法などはぼんやりと覚えているが、教会に着くなりにロングソードの少年の指示に従った。礼拝堂で待っていて欲しいとのことだ。聖職者に死因などを説明してくるらしい。  フェルンは木製の長椅子に座ると、正面にあるステンドグラスの窓を見上げた。そこには人々と、それに天使のような姿をした人間が描かれていた。あれはこの世界を司る、ハルヤの姿である。本当かどうかは分からないのだが。色使いはとても明るいもので、殆どが暖色が使われている。加えて太陽の光があるので、とても輝いて見えた。神々しいの一言である。  しばらくステンドグラスの絵を見ていると、聖職者とロングソードの少年が礼拝堂に入って来た。フェルンは素早く立ち上がると、二人の元に駆け寄る。 「ここでの用事は終わった……そういえば名前を聞いていなかったな。俺の名前はオリバーだ」 「……フェルンです。よろしくお願いします、オリバーさん」 「よろしく、フェルン。じゃあ早速、冒険者ギルドに行こうか」  フェルンが頷くと、オリバーは聖職者に軽い礼をする。そしてフェルンとオリバーの二人は教会から出た。  街の人々は既に活動を始めているので、人間や馬車が頻繁に二人の前を通り過ぎる。どうやらここは、街の大通りらしい。フェルンは慣れない喧騒に驚いていると、オリバーが「轢かれないように気を付けろよ」と、注意をしてくれた。 「教会から冒険者ギルドはすぐ近くだ」 「はい」  オリバーが向こうを指差した。確かに冒険者ギルドの象徴である、剣を持った手が描かれた看板がある。このシンボルは、シンプルに「戦う者」としての意味がある。かなり分かりやすい。  確かに、とフェルンが確認をすると、オリバーを先頭にして冒険者ギルドへと向かっていった。  建物に着くと、二人はそれを見上げる。冒険者ギルドは二階建てで、大きさは家畜小屋以上はあるのだろう。想像よりも大きく、フェルンは口をあんぐりと開けていた。  するとオリバーがすぐに木製の扉を開く。早く入れと言いたいのだろう。しかし扉が古いのか、軋んだ音が聞こえた。二人で入ると、まずは正面にカウンターがあり、女が二人立っていた。その両隣には掲示板が二つあり、何枚もの紙が貼り出されている。その手前には椅子や机が幾つかあり、数人の冒険者が座っていた。話し合いをしていたり、単純に休憩をしている者も居る。 「あとは受付で、冒険者登録をしたいって言えば、受付の人が何とかしてくれる。俺にできることはもうないが、いいか?」 「はい、大丈夫です。ありがとうございましたオリバーさん」  頭を下げて礼を述べると、オリバーは頭を弱く搔いた。大したことは特にしていないとでも言いたいのだろうか。  オリバーが「じゃあな。頑張れよ」と手を上げてから、ギルドを出ようとする。なのでフェルンはもう一度頭を下げると、オリバーと別れた。もう一度、どこかで会えたら良いと思いながら。  そして体の向きを変え、フェルンはギルドの受付へと歩き出した。受付の女は二人居るが、どちらに話しかけたら良いのか分からない。しかし冒険者登録をしたいと申したら、どちらかの女性がどうにかしてくれるだろう。そう思いながら、フェルンは受付の前に立った。 「あの、僕、冒険者の登録をしたいのですが……」  声の最後は消えそうになっていた。受付の女性たちが睨んで来ている訳でもないのに、何故か緊張してしまっている。フェルンの背筋はぴんと張り、腕は腰にまっすぐつけて指先は床に向かっていた。そのフェルンの姿を見て、片方の女性がくすくすと小さく笑う。するとフェルンは途端に恥ずかしくなり、顔を赤らめる。 「分かりました。冒険者になるのですね。それでは、お名前だけお聞きしてもよろしいでしょうか」 「フェルンです」 「はい、フェルンさんですね。分かりました。少し、椅子にお掛けしてお待ち下さい」  受付の女がフェルンの名をカウンターにある紙に書いた後に、そう促した。時間がかかることが分かったフェルンは、こくりと頷いてから、近くの空いている椅子に座る。  その間に受付の女性は、どこかへと行ってしまった。フェルンは不思議に思ったが、よくよく見たら受付の後ろに扉があった。その扉の中入ったのだろう。納得したフェルンは、机に肘をついた。その瞬間に受付の後ろの扉が開く。先程の受付の女が出てきた。手には、何か小さな物を持っている。 「フェルンさん」  そしてフェルンの姿を見つけるなり、駆け寄ってきた。 「これが、冒険者の証の、ネックレスです。これが冒険者の証拠になります。大事に持っていて下さいね。依頼は、早速ご自身でできそうなものを、掲示板から選んで、紙を剥がして受付に持ってきて下さい。何か分からないことはありますか?」  受付の女がとても分かりやすく説明してくれる。同時に銅色のプレートのあるネックレスを手渡してくれた。これが冒険者の証となり、そしてフェルンの冒険者としての地位を表すものである。恐らく銅色は一番下のランクなのだろう。  冒険者という存在を今まで知らなかったフェルンでも、簡単な説明をよく理解できた。なので「分かりました」と返すと、女は笑顔で「頑張って下さいね」と笑顔で言ってくれた。フェルンは頷く。  早速、フェルンは依頼を見た。だが戦闘経験は無く、それに冒険者になったのは成り行きだ。場を凌いでから、また騎士団への入団試験に挑むつもりである。まずはコツコツと小さなことから始めようと、フェルンは様々な依頼を見ていった。  現在あるのは魔獣の討伐、捕獲、アイテムの採取の手伝い、護衛などだ。依頼主はほとんどが市民からのものである。  この中でフェルンができるものといえば、アイテムの回収である。それに絞って見ていくと、薬草の採取というものがあった。フェルンでも薬草を採取したことがあるし、種類はそれなりに分かっている。なので掲示板から紙を取ると、受付に持って行った。  依頼の内容は、近くの山で薬草の採取を手伝うという、簡単なものである。依頼主は、近くのアイテム屋だ。 「これ、お願いします!」 「はい分かりました。それでは……はい、薬草の採取、頑張って下さい!」  持ってきた紙に受付の女が羽ペンで何やら書き込むと、赤いインクを染み込ませたスタンプを押す。スタンプの絵柄は、冒険者ギルドのシンボルマークだ。 「はい!」  フェルンが元気よく答えると、依頼主の元へと向かう。ギルドから出ると、すぐにアイテム屋を見つけることができた。  すぐにアイテム屋に入るなり、フェルンは冒険者の証を見せる。アイテム屋の店主である男が頷くと、今から薬草を採取すると言って、人間の胴体くらいの大きさの籠を渡された。これには紐が二本ついており、背負うことができる。見るからに、かなりの量の薬草を採取するつもりだろう。さすがにここまでの量の薬草を扱ったことがないし、依頼が長時間になってしまうと考えた。身構えてしまう。  するとフェルンの様子を気に留めることなく店主の男が行くと言うので、フェルンは返事をすると二人で近くの山へと向かって行った。徒歩で十分くらいの距離である。それでも、街から離れるので人気が一気に無くなった。  山に着くと、そこには大量の薬草が生えている。男の店主曰く、ここで大量に育てているらしい。フェルンは納得をすると、薬草の採取の仕方や品質について簡単に説明を受ける。フェルンが熱心に聞くと、薬草の採取が始まった。  薬草の採取は、太陽が沈みかける頃まで続いた。ようやく籠が一杯になると、薬草の採取が終わる。くたくたになったフェルンは、店主と共にアイテム屋に帰る。 「今日はありがとうな! ほら、報酬だ、受け取ってくれ」  店主は銅貨五枚をフェルンに手渡した。フェルンは手のひらにある、たった五枚の銅貨でもその存在に感動する。自分自身で稼いだ、その金に。  そして店主がポケットから、折り畳んである紙を取り出した。広げてみると、ギルドに貼り出されていたものと同じ紙だ。店主は店内のレジに向かうと、それにスタンプを押した。依頼が完了したという証拠となるものらしく、これをギルドに提出しなければならない。 「はい、こちらこそありがとうございました!」  フェルンは礼を述べて紙を受け取ると、ギルドに報告するためにアイテム屋を出た。すると何だか街が騒がしい。 「おい、本当か!?」 「あぁ……信頼が、どん底に落ちたな。頼れるところは、もうあそこしかないな」  商人らしき男二人が何やら話していた。その声には落胆で一杯になっているが、何かあったのだろうか。フェルンは首を傾げつつも、ギルドに向かう。 「依頼完了しました!」  ギルドの建物に入るなり、受付に紙を提出しようとした。そこで受付の女二人の顔が真っ青になっているのが分かる。それに、椅子に座っている他の冒険者たちは静かだ。おかしい、ここに戻ってから、何かがおかしい。  フェルンは不審に思いながら、完了の手続きをする前に尋ねた。 「どうしたんですか?」 「いや……あのね……ここまでの中継地点になっている村がね、襲われたの。国の騎士団が、クーデターを起こしたのよ。理由は分からないけど……」  中継地点になっている村といえば、フェルンの生まれ育った故郷が思い当たる。しかし他にもそのような村が幾つもあるのだろうと、地理にあまり詳しくないフェルンは思っていた。だがそれは大間違いだったようだ。 「この村よ」  受付の女が地図を取り出し、そして指を差したのはフェルンが生まれ育った村である。一気にフェルンの頭が真っ白になると、何が起きているのか分からなくなる。  あの騎士団だ。あの国を護り、そして人々を護る騎士団だ。  フェルンはその騎士団という存在に憧れており、入団試験に臨んでいた。しかし結果は不合格だったが、次回の入団試験も受けようとしていた。 「嘘……ですよね?」 「残念ながら、本当よ。色んな商人、冒険者からの証言があるもの」 「だってそこは……僕の……」  視界が涙で溢れ、すぐに堤防が決壊したかのように溢れ落ちる。ぼたぼたとギルドの床を涙で濡らしていると、受付の女がカウンター越しではあるがそっと頭を撫でてくれた。暖かく、母のように優しい手をしている。 「大丈夫よ、多分、あなたにも家族がいると思うけど、そこまで大きなことじゃ……」 「大変だ! 騎士団の暴動で、村に住んでいる奴を……村に住んでいる奴を……皆殺しにしている最中らしい! 俺と、こいつが見たんだ! 騎士団は王からの処遇に燻っていたという話を聞いたことがあるが……まさか、それが……!?」  数人の冒険者がギルドに入るなり、そう叫ぶ。するとフェルンは絶望の底に落とされたような感覚になる。  皆殺し、という言葉により家族が血塗れになっている姿を想像してしまう。すると胃液がこみ上げ、気持ち悪くなっていく。もう、何がなんだか分からなくなった。足元が覚束なくなると床に倒れそうになったが、先程入ってきた冒険者が急いでこちらに走ってきて支えてくれる。お陰で、倒れずに済んだ。 「僕の……家族が……」  ギルドに提出する為の紙をグシャグシャと丸めると、力が抜けて床にぽとりと落ちる。冒険者が「大丈夫か!?」と話し掛けてくれたような気がするが、聞き間違いか幻聴なのだろう。  しかし肩を弱く揺すられた。それで、現実だということに気付く。フェルンの絶望が更に大きくなっていくと、いつの間にか叫び声が出ていた。これには悲しみからくるものだったが、次第に燃え盛る怒りに変換されていく。いつしか憧れていたものが、敵となってしまったが故に。  体中の血が煮えたぎり、全身が熱くなっていく。同時に涙や汗が吹き出すと、少しばかりは熱が逃げていった。ようやく、フェルンの心が落ち着き始める。 「……すいません」 「いや、いいんだ。君のご家族が……いや、何でもない。とにかく、どこかで休むといいが、休むところはあるか?」 「あります」  フェルンは嘘をついた。本当は休む場所など、雨風を凌げる場所など無いのだ。それでもフェルンは嘘を貫くと、とある決心が浮かんだ。まだ、人伝でしか聞いていないことだ。そうであれば、実際に見に行けばいいのだ。そう思ったフェルンは、ゆっくりと立ち上がる。 「では、失礼しました」  軽く頭を下げると、フェルンはふらふらとした足取りでギルドを出た。そして村へ向かう為に、来た道を辿って帰ろうと思った。道は複雑ではない。舗装された道を歩けばいい話だからだ。  フェルンはいつの間にか日が暮れている空を見上げながら、街を出た。
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