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②
故郷の村への道中は、様々は商人や冒険者とすれ違った。その者たちは皆、口を揃えて「この先の村は危ない」と忠告をしてきていた。フェルンはその度に激しい怒りが込み上げてきたが、それを抑えながら忠告してくれたことの礼をしていた。ただ「ありがとうございます」と。
太陽が昇っては沈み、それがもう一度繰り返された時である。ようやく村の近くまで来た。それまで川の水を飲んで凌いだが、そろそろ体に限界がきていた。そして足が痛い。明らかに、これまで休みなく歩いてきたせいなのだろう。
「もう少しだ……」
そう呟いたところで、村の近くが焦げ臭いように思えた。それも近付いていくうちに、どんどん強くなっている。フェルンは何とも言えない不快感に襲われながら、生まれてから何度も何度も見ている村を目指した。近付いていく度に、不快な匂いが濃くなっていく。フェルンは顔をしかめた。
ようやく村の入口に来たところで、ようやくフェルンは現実の見えない底へと落とされる。村にあったはずの、建物が殆ど無いのだ。かつてはあった、家も店も何もかも。
そんな筈は無いと目を擦るが、建物はやはり見えない。しかも、地面がいつもより黒黒としている。フェルンは発作が起きたように、呼吸が苦しくなる。軽いパニックに襲われたのだろう。高鳴る胸を抑えながら、重い足取りで歩く。
「違う……! 僕の村はここに……!」
よろめきながら村に入ると、やはり地面が黒い。やはり更に記憶の中ではあったはずの建物でさえ黒かった。炭のように黒く、フェルンは悲鳴を漏らしかける。
「母さんは……僕の家族は……助かってるはずだ……」
自身にそう言い聞かせながら、フェルンは家のある場所へと帰ろうとした。だが見渡す限りは炭となった建物、焦げたような地面と匂いしかないのだ。更に人気が皆無である。
息を切らしながら周囲を見渡して歩いていく。ここにあった、ここにあったとぼそぼそと言いながら、フェルンは様々な焦げたような瓦礫を見ていく。するとようやく、見覚えのある物が見えた。自身の家のような建物が見えたからだ。フェルンは最後の力を振り絞って歩いていく。
「かあさ……」
まずは母の名前を呼ぼうとしたところで、フェルンは一瞬だけ息が止まりそうになった。建物の前に母が無惨に転がっており、建物同様に黒くなっていた。顔は見えないが、服装で判断できた。見れば、母は苦悶の表情をしているまま死んでしまっているのだ。フェルンは悲鳴を漏らしかけた。
「ちがう……違う! 母さんは生きて……ぅあ!?」
そして次に目に入ったのは、幼い弟と妹の体である。四肢を切断されており、断面からは骨が剥き出しになっている。腹からは臓器が飛び出ているが魔獣が食おうとした、または人為的に取り出されたのだろう。小さな虫がたかっており、フェルンはその光景を見て嗚咽を吐く。そこに居るのは、フェルンが顔も名前も知っている家族であるというのに。
すると吐き気が込み上げ、黒い地面に胃液を少量吐く。その場にうずくまってしまう。胃液によって濡れた地面を見つめるが、涙が出ない。あまりの悲しみに頭が混乱し、出ないのだ。今はとても泣きたい気分ではあるのだが。
そんな自身に苛ついていると、どこかから人の声が聞こえた。耳をすますと知らない者の声だが、何かがおかしい。生き残っている人間を探すような言葉を出していないからだ。遠くで「まだ生き残りがいるのかぁ?」と。
フェルンは命の危険を咄嗟に感じた。しかし足が上手く動かず、立ち上がることができない。心臓がドクドクと大きく鳴り、体が揺れる。このままここに居てはいけない、自身にそう言い聞かせるが体が動かなかった。
もしかしたら、ここで命が終わるのかもしれない。だが家族の近くで死ぬことができるのならば、それでいいのかもしれない。このまま生きていても、フェルンはもう天涯孤独なのだから。
フェルンの中で諦めが出たところで気が抜ける。するとようやく知らない声の主が姿を現した。筋肉と脂肪に包まれた大きな体を持つ男だ。見るからに、山賊の格好をしている。ずたぼろのチュニックに、刃こぼれをした剣。殺される、と思ったがつい目が合ってしまう。
「おぅ、ガキィ……この村の生き残りかぁ?」
あまりの恐怖に汗が吹き出し、喉が乾く。フェルンの呼吸が荒くなり、目が見開く。あまりにも、絶望な状況だからだ。
「ぁ……ちが……」
「そんな訳があるかよ。金にはならねぇが、ネズミはちゃんと殺さないとなぁ……」
男は下品に笑うと、舌なめずりをしながら笑った。近付いてくる。
しかしフェルンの力は抜けてしまっている。体は動かない。しかしあの時のように、入団試験に落ちた後の森でのように、もしかしたら命の危機を免れるチャンスがあるのかもしれない。
フェルンは呼吸を意識しながら、脳内からネガティブな言葉を呼吸と共にどんどん吐き出していく。もう数回、息を吐いたところでフェルンの体がようやく動いた。あの時のように、消えてしまった灯りに火を灯す。すると自身でも分かるくらいに、瞳孔が開くのが分かった。
それを見た男の怒りの琴線に触れたらしく、ずいずいと近付いてくる。
「なんだガキぃ! この、生意気な!」
男がボロボロの剣を振り下ろした。フェルンはその瞬間に、男に隙ができたのが分かる。なので全身を使って、全ての体重で伸し掛かるようにタックルをした。男は見事に地面に仰向けに倒れる。どすん、と重い物が地面に倒れる音がした。
傍らには、男が持っていた刃こぼれのしたボロボロの剣が転がる。フェルンはすかさずそれを拾い、男の首に刃を近付けた。まるで、今から首を切ると言わんばかりに。
男は無様に命乞いを始めた。
「ひ、ひぃ! 許してくれ! い、いのちだけは……!」
フェルンは何も言わず、男の首の皮膚に刃を更に近付ける。刃はボロボロでも、やはり剣は剣らしい。皮膚が僅かに切れ、鮮やかな赤色の血が細い線となって流れる。
「ここを……ここをお前もこうしたのか! 僕の……僕の家族を……!」
「違う! 俺じゃない! 俺は、反乱を起こした騎士団が消えた後に、ここに来ただけだ! 本当だ!」
「うるさい!」
フェルンの怒りが頂点に達すると、剣を持っている手に力が籠もった。やがてその力により、男の首の皮膚を更に裂いていく。線であった血は、少しずつ太くなっていく。剣のものなのか血なのか分からない、鉄の匂いが強くなる。
「お前は……! お前は……!」
ぐっと力を込めると、男の首から血が吹き出た。同時に男の悲鳴が聞こえるが、それらは止まることがない。フェルンは男の叫びなど無視したまま、剣を一度振り上げてから次は頭の方へと振り下ろした。
がこん、と重い音が鳴ったが男の頭蓋骨を割ったようだ。血は勿論のこと、脳や頭蓋骨の破片がぼろぼろと漏れてくる。男は完全に死んだようだ。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
フェルンには最早、人を殺してしまったという罪悪感、恐怖感などはない。寧ろその瞬間に一種の快楽に満たされていた。その興奮は止むことはなく、男の死体を見る度にもう一度あの興奮を味わいたいと思える。
唇を歪ませると、フェルンは男の頭にめり込んでいた剣をずるりと抜く。刀身は血に塗れており、それに脳の破片まで付着していた。汚物を見るかのような目で、剣を空振りさせた。付着していた血などが、地面にべちゃりと落ちる。取れてしまっていた歯も漏れ出た。
「そうだ……こうなったのは騎士団のせいだ。そうだ……僕が今まで憧れていた騎士団は、僕の家と家族を……!」
フェルンの心に復讐の炎までも点き始める。その勢いは強く、木など容易く燃やしてしまうくらいにだ。するとのそりと立ち上がり、男の死体を踏んで家があった場所を向く。そして最後の記憶にある、家や家族のことを思い出す。もう、この世に記憶通りの家と家族が居ないと思いながら。
そしてフェルンは騎士団への復讐を決意した。同時に騎士団に所属している兄に対してもだ。だが今は人をどうにか二人ほど殺すことができただけだ。それも、運が良かっただけに違いない。自惚れをあまりせず、フェルンは今の弱さを自覚しながら。
復讐を決意したフェルンだが、それを成し遂げるには強くなければならない。今のフェルンでは、あまりにも弱すぎるからだ。気持ちだけが、一気に強くなってしまっていた。持っているボロボロの剣を握りしめると、それを捨てることなく家のあった場所に背を向ける。
「さよなら……」
年相応の悲しい顔を一瞬だけ見せると、フェルンは村から出て行った。まずは強くなる為に、冒険者を続けて戦いの場数を踏んでいこうと。適正はあるのかは分からないが、人は殺したことがある。その「気」は充分にあるのだ。
近くにちょうど落ちていたボロ布を刀身に巻き、それを見つめる。
「絶対に……」
フェルンの目や足は、冒険者登録をした街へと向いている。復讐を終えるまでは村のあった場所へは戻らない、フェルンはそう誓いながら街に戻ったのであった。
街へは行きと同様の時間を要した。フェルンは昇っては沈む太陽見ながら、ただ淡々と歩いていく。その際にボロボロの剣は右手に持っている。だが行き交う人々に敵意を向けない印として、持ち手を見せている。そうすれば、少なくともトラブルや絡まれる可能性は少しは下がるだろうと。
到着すると、人混みをかき分けながら冒険者ギルドへと直行していく。まずは採取は小型魔獣の討伐、それに中型の魔獣の討伐の手伝いまではできると思った。なのでギルドの建物に入るなり、掲示板へと真っ直ぐ向かっていった。途中で顔を覚えていたらしい受付の女が話しかけようとしていたことが窺えるが、視線をそちらに向けていない。なので話す気は無いと判断した受付の女は、フェルンから視線を外した。
掲示板を見れば、フェルンにできそうな依頼が幾つかあった。薬草の採取は勿論だが、小型魔獣の討伐がある。どれにしようか悩んだフェルンだが、村で見た光景を思い出すとはらわたが煮えくり返る気分になった。それを抑えながらも、小型魔獣の討伐を選んだ。戦うこともしなければと。
討伐対象である小型魔獣は、比較的大人しい種類である。長く細い耳が特徴の、兎のような魔獣である。白い毛皮も肉も、価値があるので剥ぎ取れば換金することが可能だ。しかし、状態が良ければの話であるが。それに簡単に殺せる程に弱いが、かなり足が早い。罠を仕掛けるか、知恵を絞らねば逃げられてしまう。それを一体、討伐するだけなのだ。
フェルンはその依頼の紙を剥ぎ取ると、受付に持って行った。
「この依頼を受けられますか?」
「はい」
名前をここで初めて知ったが「ロップー」と呼ぶらしい。フェルンは念のために覚えておきながら、依頼を受けた。受付の女がスタンプを押し、羽ペンの先に含ませた黒いインクでサインを素早く書き込んでからそれを渡す。
「それでは、頑張ってください、フェルンさん」
「はい」
受付の女からは、何も言及されなかった。気を遣ってくれているのだろうか。それをありがたいと思いながら、返事をした。多少の、心は籠もっている。
依頼に向かうべく、フェルンは受付を離れた。場所はこの近くの森で、先日の薬草採取と同様である。道は、しっかりと覚えている。ギルドの建物を出ると、フェルンはすぐに討伐対象の居る森へと向かって行った。
少し歩いてから着くと、青い木々が生い茂る森へと到着した。遠くからは、魔獣の鳴き声が聞こえる。一人でこうして、魔獣の出る場所に来たのは初めてなのかもしれない。今まで、母や村の者たちに一人で入ってはいけないと、何度も注意されていたからだ。フェルンはそれを守っていた。なので例え弱い魔獣相手であろうとも、フェルンは緊張した。この森に一歩でも入れば、どのような驚異があるのか分からないからだ。
だが依頼を受けた。フェルンのやり遂げなければならないこととして、復讐が待っている。深呼吸をした後に、まずは地面を見て足跡を確認した。ギルドの言う「ロップー」の足跡はフェルンでも分かるのでまずは複数の足跡を見つけると、それをゆっくりとした足取りで追っていく。足音を立てないように、転ばないように。
辺りを注意深く見回すと、ようやくロップーの足跡を見つける。それも、複数ある。フェルンの手よりも小さな丸が一つと、他の丸が複数。これだと確信すると、フェルンはすぐに足跡を辿って行った。足跡をずっと追っていくと、水音が聞こえた。川でもあるのだろうか。そうとなると、開けた場所に出てしまう。木々などの障害物は無いのだろう。フェルンはため息をつきながら足跡を追うと、予想通りであった。川辺に討伐対象であるロップーが居て、川の水を飲んでいる。
どうするべきか、このまま川から離れるのを待つべきなのか。そう考えていたフェルンだが、そもそも狩りですらしたことがない。
しばらく考えていると、ロップーに動きがあった。川の水を飲み終えたのか、現在居る場所から離れようとしている。フェルンはそれを注視すると、ロップーは茂みへとのんびり移動していった。警戒心など、無いようだ。こちらの存在に気付かれてはいない。
ロップーが移動している先に、気付かれないように着いて行く。そうしていると、大きな木が見えてきた。地面に近い地点に穴が開いており、どうやらロップーはそこを巣にしているようだ。フェルンは変わらず注意深く観察すると、ロップーが穴に入った。
今だと思ったフェルンは、穴へと素早く走る。その際に剣に巻いてあるボロ布を解くと、穴に向けて刺すように向けた。そして穴を鋭く覗くと。ロップーが三匹いた。親子なのだろう。フェルンの姿を見るなり、つぶらな瞳をこちらに向けた。怯えている。
「僕は……僕は……!」
自己暗示をするようにブツブツと魔法の呪文のように呟くと、フェルンは大きく剣を引いてから押し出した。その際に、複数のロップーの悲鳴が聞こえた。
すると気が付けば、フェルンは三匹のロップーを片手で掴んでいた。特徴である白い毛は赤い血に塗れており、つぶらであった瞳は虚ろになっている。
フェルンは手を震わせながらそれを持ち続け、街へと戻って行く。剣にボロ布を巻き戻す余裕が無かったが、地面に落ちたものを拾う余裕はあった。なので片手にロップー三匹と、もう片方の手に剣とボロ布を持つ。
「かわいそうじゃない……かわいそうじゃない……」
再び自己暗示をしながら街へと入って行った。しかし今のフェルンのような姿は、これまた日常茶飯事らしい。街で行き交う他の冒険者や商人、それに市井は特に気にすることはない様子だ。
このような感情を抱いているのは、自身だけだと寂しく思いながらまずはギルドへと向かう。
「あっ、フェルンさん、そういえば、換金所について教えていませんでしたね」
「……換金所?」
受付の女にそう言われ、フェルンは大きく首を傾げた。そういえば、ギルドの建物内には他の冒険者が居るが、フェルンのように討伐した魔獣を携えてはいない。
「はい。換金所は、建物を出て裏に回ったところにあるので、そこでお願いしますね」
「分かりました」
フェルンは若干俯きながらそう返事をすると、言う通りの場所へと向かう。確かに換金所があり、他の冒険者たちで賑わっている。大きな机が数個あり、その前にはギルドの者が居る。冒険者が持ってきた素材などを、査定していた。隅々まで見ており、素材などの状態を目視でじっくりと見ている。
幾つか列が形成されており、その列に並んでいれば換金できるらしい。フェルンは適当な列に並ぶと、順番を待った。
列が進んでいき、ようやくフェルンの番がきた。フェルンは片手で持っていたロップーの死骸を机の上に置いた。
「お願いします」
「ロップーだね。三匹か。状態は……少し悪いみたいだ。毛皮はだめそうだが、肉はまだ綺麗だな。うん、分かった。銅貨三枚だね」
ギルドの者が、そう言いながら銅貨三枚をフェルンに渡した。フェルンはたったこれだけかと思いながらも、礼を述べてから換金所を離れた。受け取った銅貨三枚を、力強く握りしめる。そして大通りの隅で、握っていた手を広げた。様々な人の手に渡っていたので、銅色に綺麗に輝いてはいない。しかしこの小さなものが自身にとっての復讐に繋がる、そう自己暗示しながら大事に懐にしまった。
夜は外で明かした。それも、適当な建物の裏である。すっかりと慣れてしまったので。寝心地の悪さなどは気になっていない。しかしフェルンは悪夢を見た気がして、若干心地が悪い。内容は朧気に覚えているが、死んでしまった母や弟妹が血塗れになっていた。そしてフェルンを追いかけるようによろよろと歩き「待って……」と言い続けるものである。
恐ろしさと懐かしさが同居してしまっており、フェルンは目が覚めた瞬間に空に手を伸ばしかけていた。夢の中で家族を待とうとしていたことが分かる。
「何か依頼を……受けなきゃ……」
昨夜から何も口にしていないが、若い故に体は動く。なので立ち上がってから、ギルドへと歩いて行った。
掲示板の前に立ち、様々な依頼を見ていく。ロップーのような大人しい魔獣ばかり相手にしていては、腕が上がらないだけだろう。なので依頼を見ては悩んでいると、受付にいる女が話しかけてきた。
「あの、フェルンさん……」
「はい」
名前を呼ばれて受付の方を見て、返事をした。受付の女は今から言いにくいことでも言うような様子である。フェルンはその予想をしていたが、見事に的中してしまう。
「騎士団の反乱の件、ご存じかと思いますが、また他の村を襲っては、人々を虐殺しているらしいです。他の冒険者たちがその制圧に次々と当たっていますが、かなり手強いらしく……なので、騎士団の制圧はシルバー級以上でなければ参加不可能ということにします。その……フェルンさんに関係あるかと思いますが、申し訳ありませんが、ご理解をよろしくお願いします」
騎士団の反乱は相当なものらしい。聞いているだけで恐ろしくも感じたが、それが復讐の炎の燃料になってしまった。心の中で激しい怒りを募らせながらも、フェルンは了承した。
依頼を改めて見れば、被害の遭った村周辺でのものが多かった。損壊した家に入る魔獣や盗賊の撃退が多く、フェルンは人間の汚さを思い知る。しかしそれらはまだ自身の実力からしてできないものばかりである。なので他に、こなせる依頼は無いのか探した。結果はまたしても薬草の採取の手伝いである。フェルンは溜め息をつきながら、依頼の紙を剥がして受付に渡した。
この依頼を受けるのは、二回目である。それに依頼主であるアイテム屋の店主に顔を覚えられており「説明はいいね」と言われたのでフェルンは頷いた。近くの森に行き、薬草の採取を始める。ここは騎士団の反乱とは無縁の場所である。静かだ。
森の綺麗な空気を吸いながら、フェルンはアイテム屋の店主と共に薬草を採取していった。
摘んだ薬草を入れる籠が、もうじき満杯になるところである。そこでフェルンが何かの異変に気付いた。森にいる害のない魔獣たちが、大きな鳴き声を上げているのだ。それに街の方へと、逃げているかのように走っている。
おかしい、何かがおかしい。フェルンはそれを見ながら立ち上がる。その瞬間に、少し離れた場所に居たアイテム屋の店主が大声でフェルンの名を呼んだ。
「フェルン君! 逃げて!」
「えっ」
そう言った瞬間に、アイテム屋の店主の首が飛ぶ。頭がどすんと地面に転がるが、フェルンは何が起きたのかが分からなかった。
アイテム屋の店主の体がどさり、と倒れてからフェルンはようやく今の状態に気付いた。今、自身もアイテム屋の店主のように殺されてしまうのではないのかと。
フェルンは街の方へと急いで走った。森から出ようとすると、後ろからとても素早い足音が聞こえる。早く逃げなければ、フェルンは走る速度を早めようとした。だができない。それにその度に心臓が高鳴り、冷や汗が肌の表面を覆っていく。殺される、殺されるとフェルンはそう思いながら走っていった。
「やぁ、こんにちは」
だが背後から肩をぐいと掴まれ、フェルンの足が止まってしまう。聞こえてきた声は男のものであるが、少し楽しそうにしている。それが原因で、脚がガクガクと震え始めた。あまりの恐怖に、そうなってしまったのだ。
フェルンは振り向くべきか、そう考えていると背後からの声が言葉を続ける。まだ目の前には、豊かな緑があるというのに。
「君は、一人かな? 迷子かな?」
笑うような声音をしており、フェルンに更なる恐怖が襲いかかる。ここで振り向けば、死ぬのかもしれない。フェルンは死ぬことを恐れていた。復讐という言葉を今はすっかりと忘れており、ただ怯えている弱者としてフェルンは立ち尽くす。
「ん? どうしたの?」
喉からは声よりも空気が出る。フェルンは更に怯えていると、呆れたような溜め息が聞こえた。
「ほら」
背後からぐいと顎を掴まれると、無理矢理に後ろを向かされた。首や顎に痛みが走ると、声の主と目が合う。
相手は青年で、ボロボロの甲冑を着ている。胴体部分には、騎士団のシンボルである槍の絵が描かれていた。つまりフェルンの背後には、反乱を起こした騎士団である一人が居るのだ。それも、先程アイテム屋の店主を殺したばかりである。
「ぁ……あ……」
まともな言葉が全く出ず、遂には無様に脚を震わせた。フェルンは、命の危険を感じたからだ。だが命乞いが通用、或いは逆効果になるのかもしれない。
どうするべきか、フェルンは考えるが頭の中がこんがらがってしまっている。それは複雑にからまった糸のように、上手く解けない。冷や汗がダラダラと垂れては、すぐに蒸発していった。
「なに? どうしたの?」
「いえ……」
「ねぇ、この辺に、手頃な村を知らない? 俺たち、食料が無くなりかけてさぁ、まずいんだよね。そこで村から食料をちょーっと貰いたいんだよね。もしも教えてくれたら、殺さないであげる」
その言葉を聞き、フェルンは耳を疑った。つまりは男は村のことを知ったらそこを襲い、フェルンの生まれ育った村のように人々を虐殺するつもりなのだろう。様々な感情が巡り、収束する気配がない。
そしてフェルンは男の言う「手頃な村」など知らない。つまりはフェルンは、ここで殺される運命となる。フェルンはまだ騎士団へ募らせる復讐をまだ果たせていない。まだ、このような場所で死ぬ訳にはいかない。
運がいいのか手にはボロボロの剣をきちんと持っている一方で、対して男は丸腰である。しかしアイテム屋の主人は、どうやって殺したのか。あり得るとしたら魔法だが、死に方からして焦げた匂いなどはない。何かしらの武器を持っていた筈で、それが今手から離れている状態だと推測できる。
剣には布が巻かれており、刃は剥き出しになっていない。このままでは戦うことはできないが、少し時間があれば剣を振ることができるはずだ。剣の持ち手をぐっと握りしめると、フェルンは口を開いた。
「いえ……知りません……」
腹から声を出したつもりが、あまり出なかったようだ。それでも、フェルンは覚悟をした目で男を見る。
「へぇ……知らないんだぁ。へぇ」
男が軽く笑う。恐ろしく感じたが、小さな抵抗心が宿るとすぐに膨らんでいった。顎を掴まれる力が一瞬だけ弱まった、その瞬間にフェルンは今だと動く。
身を低くしてから男からの拘束を離れると、剣に巻いていたボロ布を解く。すぐに刃こぼれをしている剣を男に向けると、フェルンは精一杯睨んだ。
「いい根性してるね、君」
男は観念したように、両手を上げる。どうやら、手持ちの武器は無いようだ。フェルンの予想が当たったのだが、ここからどうすべきなのか考えていない。
震えてくる手で剣を握り、剣先を男に向ける。敵意をはっきりと現した。
「く、来るな! 来たら、斬るぞ!」
「フフッ」
男の唇が大きく歪む。未だに余裕の笑みを浮かべているのだ。それに腹が立ってきたフェルンは、剣を振る勢いをつける為に大きなかけ声を出す。
剣の振りはかなり大きいので、太刀筋など男にすぐに読まれた。軽い動作で避けていく。それに苛ついたフェルンは、剣の振りを大きくした。
「なんでだよ! なんで……!」
「ん? どうしたの?」
男はヘラヘラと笑いながら回避に徹する。その行動の一つ一つには、挑発が大きく含まれていた。証拠として回避の為の予備動作がかなり大きい。それに、息を一つも切らしていない。フェルンはそれが分かると、剣の振りが遅くなり小さくなっていく。
勝てる見込みなど、最初から無かったのだ。そのような思いが押し寄せてくると、フェルンの動きが止まる。息をい大きく切らし、剣先を地面へと向けた。
「じゃあ、君も、ここで死んでね」
男の瞳孔が大きく開くのが分かる。そして死を覚悟すると、フェルンはその場で瞼をぎゅっと下ろす。せめて最後は、殺された母や弟妹の顔を考えて死にたいと。
なので家族の顔を必死に思い浮かべては消していくが、まだ意識が途切れる気配がない。寧ろ、まだ現実に居る感覚がある。フェルンはゆっくりと瞼を上げると、男が静かに笑みを浮かべていた。更に、フェルンのことを馬鹿にしているのだ。あれはただの挑発の一部だったらしい。
疲労や諦めが消え、次は怒りが込み上げる。すると不思議なことに、剣を今までで一番早く振ることができた。剣は首に当たり、刃は男の皮膚にすぐにめり込んだ。出血すると同時に、男が素手で刀身を掴む。ここは防具を身に着けていないので、首同様に血が滴っていた。
「へぇ、君やるじゃん……」
男は未だに笑っているが、声が今にも消えそうになっていた。喉をやられ、呼吸がしづらいようだ。喉からはひゅうひゅうと音が聞こえた。今まで見せていた余裕が、ほとんど無くなっているようだ。だが少しは抵抗しようと、更に刀身を握っている。
このままでは首と刀身が離れていきそうだが、この大量の出血量では助かる見込みが無さそうだ。フェルンが力を抜くと、剣が降りていく。
「はぁ……はぁ、くそ……」
男の表情が徐々に死んでいく。これは、今すぐにでも息絶える者の顔なのだろう。人を殺すのは初めてではないのだが、恐ろしさに手が震える。
「こんな雑魚に、やられるなんてね……」
「僕は……雑魚じゃない」
「あぁ、そうだったね。じゃあ、俺よりも生きてね、チビ……」
男がそう言い終えると、がっくりと体が崩れた。今まで二本の足で自立していた体が地面に落ち、うつ伏せに倒れる。甲冑のガシャンという音が聞こえると、フェルンは一気に力が抜ける。そして剣を地面に落とすと、膝を崩した。
またしても命拾いをしたが、これもやはり運が良かったのだろう。両手を見ればがたがたと震えていた。脅威など近くにはもう無いのに、未だに恐怖と緊張があるからだ。
近くにはアイテム屋の店主の死体があり、これはギルドに報告しなければならないと思った。脚に力を入れ、地面に手をつけてどうにか立ち上がる。そのついでに剣を拾うが、震えはまだ止まらない。振動により今にも落ちてしまいそうだった。
刀身には男の血が付着している。剣を振り血を地面に落とすと、ボロ布を巻いた。そして何度も何度も深呼吸をすると、フェルンは一人で街へと歩いていったのであった。それも、覚束ない足取りで。
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