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⑥
フェルンがハイムからクゥルに帰ったのは、それから二日後のことである。すっかり憔悴しきっていたので、歩く速度がかなり遅くなっていた。それにこれから自身は、何の為に生きていけばいいのか分からなくなる。しかし人間とは不思議なもので、何もしなくとも腹は減る。
クゥルに着いたのはいいが何もする気が起きなかったフェルンは、街の片隅に座って縮こまる。このまま、死んでしまっても誰にも気付かれないだろうと思った。フェルンの中で絶望を通り越そうとしていく。そうしていると、ふと女の声がした。
「フェルンさん?」
頭上から名前を呼ばれた気がして、反射的に顔を上げる。するとそこにはギルドの受付の女が立っていた。とても心配そうにしているが、今のフェルンにとっては何もかもどうでもよかった。なので再びうずくまる。
「フェルンさん、大丈夫ですか? フェルンさん! フェ……」
すると女の声が止んだのか、それとも自身の意識を失ってしまったのかは分からない。そのまま視界が暗転し、気が付いた時には見知らぬ天井があった。がばりと起きると、部屋を見渡す。
壁の殆どを本棚が覆っていた。唯一壁がまともに見えるのは、フェルンが寝ている壁際のベッドのみ。訳分からず、フェルンは混乱していく。
「あっ、フェルンさん!」
すると部屋に受付の女が入ってきてフェルンの姿を見るなり、晴れた表情を見せた。フェルンはそれがふと、眩しいと思ってしまう。
「気が付かれたのですね! よかったです! あとこれ、食事ですが、食べられますか?」
女がパンを渡してきたが、生憎にも今だけは腹が減っていない。生きる目的を失い、空腹など感じないのかもしれない。なのでフェルンはいらないと返そうと思ったが、何も言葉が浮かばない。なのでただ口を開けていると、女がくすくすと笑った。それを見たフェルンは、つい顔を逸らす。
「お元気になられたようでよかったです。でも、どうされたのですか? ボロボロになって、ひっそりと座り込んでて。それに、フェルンさん、苦しそうな顔をしていましたよ?」
「ハイムは……」
そこでフェルンはようやく言葉を出すことができたが、それは女への返事ではない。まずは浮かんだ疑問である。
「ハイムは……他の冒険者たちがやったんですか?」
「他の冒険者たち……? いえ、隣街のフィアの冒険者が一人で、ハイムに向かって行ったそうですよ。本当はゴールド以上の冒険者を集めて、作戦を練っていたところでしたが……」
一人という言葉に疑問を持つが、この女の職業からしたら嘘などついている訳がない。なので真実を語っているという前提で言葉を返す。
「どうして? 目的は?」
「分かりません。ただ、本人からそう報告を受けた後なので、私は何も……後で、ギルドの者が調査するらしいですが」
受付の女が首を傾げると、フェルンはそうなのかと頷いた。
そういえば街を管理しているのはギルドの他に、街の名前を冠する家だった筈だ。クゥル家の者たちは、スラム街を放置している通りに、資本主義を掲げている。なので相当な金額を冒険者たちに賭けていたに違いない。だがフェルンにとっては人ごとなので、それ以上は何も考えなかったのだが。
「食事、ここに置いておきますね。元気になったらまたギルドに来て下さい。待ってます」
女は笑顔でそう言うと、部屋を出た。フェルンはそこで女に礼を述べるか迷っていたところだった。何故、迷っているのか自身でも分からないまま。
再び天井を見るが、今のフェルンには目立った怪我や不調はない。なのでこのまま部屋を出ようとするが体が動かなかった。ハイムに行く道中などで、無理をし過ぎたのかもしれない。
浅く笑ったフェルンは、そのままベッドに再び横になる。そして目を閉じると体が休息を求めているのが分かった。なのでそのまま目を閉じ、深い眠りについた。
フェルンは夢を見ていたが、それは母と弟妹とかつて暮らしていた家にいるものだった。フェルンはその家に帰ろうとするも、走っても走っても家に近付けないのだ。なので手を伸ばすが、それでも家までの距離が縮まらなかった。フェルンは必死に叫び家族を求めるも、永遠に家に帰ることができない。
「帰りたい……!」
目を覚ました瞬間にそう口にしていた。フェルンが帰る家など、もうどこにも存在しないというのに。
「フェルンさん?」
するとちょうど女が入って来て、夢の延長の独り言を聞かれていたようだ。フェルンは咄嗟に恥ずかしくなっていると、女が微笑みながら言葉を続ける。
慌てて起き上がったフェルンは首を振った。
「フェルンさん、大丈夫ですよ。私はいつでもあなたの帰りを待っています。冒険者の方々は、ギルドが家のようなものだと思っていますから」
女の言葉に、フェルンは少しでも救われた気がした。今は心が脆く、決壊しそうである。それを、女の言葉により修復してくれているような気分になる。すると、フェルンの口から無意識に伝えたかった言葉が出る。
「あの……ここまで助けてくれて、ありがとうございます」
「いえ、とんでもありません。そういえば、この先はどうされるつもりですか? あの……差し出がましい話ですが、いわゆる処刑の依頼を続けられるのはよくないと思います。だって、あまりにも危険過ぎますよ」
女が心配してくれると、フェルンの中で罪悪感が生まれた。恐らくは今までフェルンのことを心配してくれていたのだろう。そう思うと、自身の行動が愚かだと思った。だが時間は戻ってはくれないので、ただ後悔するしかない。
フェルンが俯いていると、女がパンを差し出してくれる。焼きたてなのかいい匂いがしたが、これをくれるというのか。フェルンは女の顔を見ると、笑顔を返された。パンをおずおずと受け取る。
「まずは食べて、元気になって下さい。動けるようになったら、降りてきて下さいね。あっ、ここはギルドの二階なので」
ギルドに二階があることは知っていたが、このようになっていたのか。フェルンは改めて部屋を見回すと、薬草や周辺の地理についての本が沢山あることに気付いた。今まで、何の本なのか気にする気力が無かったせいである。
フェルンが頷くと、女は静かに部屋を出た。受け取ったパンなどすぐに食べてしまうと、まずはベッドから立ち上がった。久しぶりに足を使うような感覚があったので、まずはよろめいてしまう。しかし踏ん張った後に、立った状態を維持した。まともに動けるようになるまでには、時間が掛からなかったようだ。
床には装備と武器が丁寧に置かれているので、まずは装備を着け始める。とはいえ、胴部分の装備しか無いのだが。次に剣を腰に携えると支度はもう終わった。なので扉を開く。
目の前はすぐに階段になっているので、すぐに降りると見慣れたギルドの一階部分が目に入る。すぐ横には出入り口があり、正面には受付と掲示板があったからだ。するとフェルンの存在に気付いたらしい受付の女が、こちらを見るなり手を振ってくれた。フェルンは受付の女の元に向かう。
「大丈夫ですか?」
「はい……なんとか。あの、お金は持っていないので……」
「いえ、お代はいりません。気にしないで下さい」
そうは言われても、フェルンは気になって仕方がなかった。なのでそれを見かねてか、受付の女が提案をしてくる。
「依頼は何でもいいので受けてもらえますか? でも周囲には逃亡した騎士たちが潜んでいまして、危険な状態になっています。きっと、依頼が増えている筈です。ですがどれくらいの数なのかは分かりません。それに噂では、騎士たちの行動に感化された人たちの目撃情報だってあります。この街、クゥルの治安を少しでも良くするために、協力して頂けますか?」
受付の女が真剣に言うので、フェルンは真面目に聞いていた。特にハイムに居たが逃亡した騎士たちが居るということだ。これは本当だとして、もしかしたら兄はまだ殺されていないのかもしれない。そうだとしたら、フェルンの復讐への道はまだ潰えてないのかもしれない。
フェルンは昏い火を灯らせながら、そっと頷く。
「はい」
ただその言葉を言うと、心の中で復讐への道を再び作り始めた。次は基礎から丁寧に作ろうと決める。人を殺す依頼以外のものを受けて、まずは現在のブロンズ階級からシルバー階級へと上がっていこうと。
なので受付の女との会話を終えてから、早速に依頼が貼り出されている掲示板を見ようとした。そこで受付の女が一言、言葉を付け加える。
「現在は特別に、逃亡した騎士を倒すだけでも階級が上がる対象となっています……その、フェルンさんが処刑の依頼をされていたように、詰所で首を持って行って頂ければ……」
「分かりました」
そうとなると、依頼は場所からして広範囲に渡るものがいいだろう。そうとなると、魔獣の討伐がいいと思えた。それ以前にフェルンは魔獣と戦うことにあまり慣れていないので、うってつけなのだろう。改めて掲示板を見る。
フェルンが受けることができる依頼は幾つかあった。まずは魔獣の討伐とアイテムの採取である。他にも処刑の依頼もあったが、今は魔獣の討伐の依頼があるので止めておくことにする。
魔獣の討伐はロップーや、それにスライムも対象になっていた。スライムとはまだ戦ったことはないし、そもそも見たことがない。主な生息地は洞窟で、生まれ育った村からして無縁だったらしく。
なのでスライム五体の討伐の依頼の紙を剥ぎ取ると、それを受付に持って行った。
「これを、お願いします」
「はい分かりました」
受付の女は早速サインを書き、スタンプを押すとフェルンに差し出す。
「頑張って下さいね」
「はい」
クゥルの近くに洞窟があるらしくフェルンは受付の女に聞いてから、ギルドを出た。洞窟の場所は街から近いところにあり、それに加えてスラム街側ではない。フェルンは安堵しながら街を出る。街の外はなだらかな草原が広がり、所々に岩が点在している。水平線までもが緑一色であり、のどかな風景だ。
フェルンはそういえばこの景色をのんびり見たことが無かった。今まで、復讐の衝動にずっと駆られていたが故に。
フェルンは草を踏みながら、周囲を見た。説明によれば、洞窟は街から出てすぐに見える場所にあるらしい。なので目を凝らして見てみると、緑でできた丘の中に穴蔵のようなものが見えた。恐らく、あれが受付の女の言う洞窟なのだろう。見える大きさは小さく、それなりに距離があるように思える。フェルンは草をしっかりと踏みながら、そこに向かって行った。
穴蔵の前に辿り着くと、入ってすぐそこに下る用の階段があることに気付いた。草原の中にあるので規模の小さな洞窟かと思っていたが、どうやらその予想は外れる。勿論そこもフェルンにとっては未踏の地であるので、ゆっくりと階段を下っていった。
洞窟内は人工的な照明が等間隔に設置してあり、かなり明るい。これは魔力を原動力にしているものとは聞いたことがある。しかし実際に見るのは初めてなので、まじまじと見てしまっていた。するとここは人が頻繁に出入りする場所なのだろうと思った。その確たる証拠として、地面にはまだ濃い人の足跡が複数ある。フェルンはその上に足跡を上書きするように先を進んでいった。
道は曲がりくねっており、先の視界が悪いこともある。しかしどこを見ても人工的な照明で明るいうえに、一本道だ。何かが近付いてきても、照明により作られる影により分かるだろう。だが逆もまた然り。
「スライムがなかなか居ないな……」
どれくらい歩いたのかは分からないが、かなりの時間を歩いていたのだろう。フェルンの中で緊張が消えていき、弛んできてしまっている。いつ魔獣が襲いかかってくるのか分からないというのに、これはよくない。なので隅に寄ると、そのまま座った。
気付けば足が痛いことが分かった。ハイムまで歩いた疲れがまだ癒えておらず、回復が遅いのだろう。フェルンは溜め息をつくと、しばらく太ももなどを擦る。しかしこのまま座り続けていても、依頼など達成できる筈がない。なので立ち上がると、歩みを再開させた。
少し歩くと前方にようやく影が現れた。フェルンは剣を抜き身構える。
「……ッ!」
足を止めた後に僅かに動かすと、目の前には見るからにスライムのような魔獣が居た。水色をしており、粘度の高い液体の体を持っている。これだと思ったフェルンは、剣を構えた。
この剣で変な話ではあるが、まだ人しか斬っていない。剣を構えながらスライムの動きを観察した。大きさはフェルンよりも小さく、丸呑みにされることは無いだろう。そして肝心の倒し方なのだが、フェルンは初めて見るので分からないでいる。スライムとはすなわち、液体だ。剣で斬れるものなのだろうかと疑問が浮かんだ。
しかし考えてばかりでは倒すことすら、攻撃することすらできない。幸いにもスライムはこちらの存在に気付いてはいるが、攻撃をする様子がなかった。それならば、とフェルンはまずは単純に剣を上から下へと振った。スライムは切れた。それは確かなのだが、すぐに元の形へと戻っていく。フェルンは驚き、後ずさる。
「どういうことだ……!」
一人でそう呟くと、フェルンはもう一度剣を構え直した。上から振り下ろしても効かないのならば、横に振ってみるのがいいのではないのか。そう考えたフェルンは、思っていたこと通りに、スライムを横に斬りつけてみた。次もスライムは確かに斬れるのだが、またしても元の形に再生してしまう。
腹が立ったフェルンは力のままに何度も斬りつける。疲れてきたが、負けまいとフェルンは斬り続けた。
何度斬っただろうか。フェルンの披露がかなりのものになったが、スライムは相変わらずである。この調子ならば、人を殺した方が早いと思ってしまった。
「はぁ、はぁ、はぁはぁ……!」
息が切れたのでようやく手を止めると、スライムは何事も無かったかのように再生を始める。フェルンはそれを鋭く睨むが、何も起こる訳ではない。遂には剣を手放してしまうと、カランカランという音が周囲に響き渡った。だがすぐにそれを拾うが、スライムは何もして来ない。
するとフェルンの中で何かが切れてしまった。諦めという言葉が、頭に過ったのだ。なのでフェルンは剣を鞘にそっと納めると、じりじりとスライムから離れていく。一方のスライムは寧ろ、フェルンとの距離を詰める気配はない。なのでフェルンは今のうちに、と洞窟から出て草原へと再び戻った。
虚しいことに時間はあまり経過していないらしく、フェルンはその場で崩れ落ちた。
「スライムを倒せないなんて……」
空を見上げれば変わらず雲が動き、そして風が吹いている。フェルンはしばらくそれを見た後に思った。魔獣の討伐ではなく、やはり処刑の依頼に専念しようと。やはり自身はこれが向いているのだと。内心で頷いたフェルンは街に帰る。まだ昇っている太陽を見ながら。
街に戻るなりすぐにギルドに直行してから、受付の女におずおずと話しかけた。
「あの、すみません。この依頼を、やっぱりキャンセルしたいのですが……」
「そうですか、分かりました。キャンセルしておきます。また何かあれば、いつでも言って下さいね」
受付の女は特に気にする様子はないが、このようなことは何度もあるのあろうか。この街を出入りする冒険者は少なくはない。ギルドで見かける冒険者はそれなりに居るのだが。
そう考えながら、フェルンは掲示板を見た。処刑の依頼は来ているが、スラム街方面が多い。やはり止めておくべきかと悩んでいると、ふと背後から話しかけられた。
「そこの君、暇そうだね」
肩をポンポンと叩かれ、フェルンが振り返った。すると目の前には茶髪で身長の高い男が居た。甲冑を身に纏っているので、同じ冒険者には間違いなかった。首元を見ると銀色のネックレスがあり、シルバー階級であることが一目で分かった。
「はい……そうですが……」
男を見上げながらそう答えるが、どうしたのだろうかと思った。すると男は人懐こそうな笑顔で、返事をする。
「暇なら。俺のパーティに入らないか? ちょうど、人が足りなくてね」
「いいですけど……何をするんですか?」
「逃げた騎士の討伐だよ」
確か騎士の首を一つにつき、金貨を一枚賭けられていた筈だ。かなり美味しい話ではあるが相手は騎士だ。今のフェルンにとってはまだ敵わない相手でしかなかった。なのでそのような自身にとっては好条件しない。騎士の首が取れたら、恐らくは報酬を山分けするのだから。
次には速攻で縦に首を振ると、男は「よかったー!」と喜ぶ。フェルンは見知らぬ人間でも、こうして嬉しくさせているのがとても心地よかった。
「じゃあ、早速騎士討伐に向かうか! おーい!」
すると男が誰かを呼ぶと男と女、それぞれ一人ずつこちらに来た。男は黒いローブを着ているが、魔術師なのだろうか。フェルンよりも少し身長が高いが、猫背気味なので同じくらいに見える。女はフェルン同様に剣を扱い、身長は少し低い。
パーティはこの四人なのだろうかとフェルンが自己紹介しようとすると、他の三人が早速にギルドから出ようとしていた。なので慌ててそれに着いて行く。自己紹介も何もしないことに疑問を持ったが、所詮は見知らぬ人間と組むパーティである。気にしないようにした。
向かう場所も知らされないまま、後ろを歩いているフェルンはただ着いて行った。他のパーティの者たちと話そうと思ったが、何を話していいのか分からない。それにフェルンは誰かとずっと話していたいという性分でもないので、このまま黙っていることにした。
街の外へと出るのは分かっているが、逃亡した騎士たちの行方を分かるのだろうか。そう思っていると、街の外へと出ていた。辺りに広がる草原に入ると、草の匂いが充満していた。そして草を踏み分けながら真っ直ぐ歩いていった。
「もうすぐだ」
先頭に居る、フェルンを勧誘した男がそう言いながら前を指差した。近くには何も無いが、かなり遠くに緑や茶色以外の物が見える。恐らくは、あれに向かって行くのだろう。すると先頭の男が身を屈めて草むらへと入っていった。前の者も続けて同じ動きをすると、フェルンもそれに倣う。
ようやく分かったが、遠くにあるのは逃亡した騎士たちの簡易的なキャンプ地のようなものらしい。ここはハイムにも近い場所だが、よくもこのような場所に滞在できると思った。素人であるフェルンでも分かることである。
草をかき分ける音を微かに出しながら、ようやくキャンプの全貌が分かる距離まで来た。どうやらここには逃亡した騎士が数名滞在しているようだが、今は二人しか居ない。座って喋りながら狩ったロップーの皮を小さなナイフで剥いでいるようだが、食料にするつもりなのだろう。この人数で食料の処理をしているのならば、全員となると少なくとも倍以上は居る筈だ。キャンプ内には簡素な幕舎や、薪などが置いてある。ある程度の期間、ここに滞在するつもりなのだろうか。
「あの二人に奇襲をかけて、一気に殺すぞ」
先頭の男がまずは作戦の説明をその場で始めた。たった一言で分かるものなので、全員が一斉に頷いた。勿論、フェルンもだ。
だが人員の配置はまだ聞いていないので皆、先頭の男を見る。
「俺とお前はあっち、お前とお前は向こうだ」
先頭の男がフェルンを指名し、そして残りの者たちという構成になった。異論などは無いので、全員が静かに了承をする。
どうやらまだ他の騎士たちは帰って来ない様子なので、先頭の男が全員着いて来て欲しいという合図を出した。すると他の者たちが素早く動き出すのでフェルンは先頭の男に着いて行く。皆、足音をなるべく立てないように。
相変わらずロップーの毛皮を剥いでいる騎士たちは、こちらの様子に気付いて無さそうだ。なので後はじりじりと近付くと、キャンプの中に入って行った。中身は見た通りである。まずは幕舎に身を隠すと、騎士たちの様子を窺う。武器となる剣は近くに置いているようなので、警戒している気はあるようだ。
だが毛皮を剥いでいる手が止まりかけ、代わりに開いている口が閉じないようだった。これは油断していると先頭の男が囁くと、皆が静かに頷く。そして先頭の男がフェルンに合図を送った。親指を片方の騎士に向けて「行くぞ」と親指で示すと、フェルンは頷いた。するとまたしても男を先頭にして、フェルンと共に走り出した。
先頭の男が剣を抜くとフェルンも抜き、ターゲットにしている騎士に斬りかかる。
「死ねぇ!」
先頭の男がそう叫びながら斬りかかるが、騎士に避けられた。毛皮を剥いでいたロップーの死骸を地面に投げ捨てると、剣を掴み応戦しようとした。もう一人の騎士も同じく、剣を握るとその瞬間に他の二人も来た。男が何やら呪文を唱え、全員の体が僅かに光る。体が軽いような感覚があるが、これは身体能力を一時的に上げる強化魔法なのだろう。すると剣を抜いていた女が騎士に斬りかかるが、騎士は既に剣を握っていた。それを剣で受け止める。
「なんだこのガキたちは!」
騎士たちは怒りながらそう言うが、先頭の男が構わず騎士に斬りかかる。騎士は当然のように剣で受け止めるがその間にフェルンが剣で騎士を刺そうとした。そこで先頭の男の表情が硬直する。何だと思っていると、先頭の男の首が落ちた。体が地面に倒れていくと、その後ろに帰ってきたらしい騎士三人が現れる。フェルンの顔が、一気に青くなった。この状況は不利でしかないからだ。
奇襲をかけようとした三人は不利な状況になり、攻撃を止めた。そして男が逃げようとすると、すぐに首を落とされた。女が悲鳴を上げていると騎士たちがそちらに向かっていく。皆無言だが、揃って怒っていた。すると女の足がすくんだのか騎士たちが剣を振り下ろす。女は一瞬のうちに誰かも分からない肉塊になり地面を汚していく。その間にフェルンの足が動き、既に肉片になっている女を置いて逃げていた。ひたすら早く、早くと。
幸いにも身体能力を強化する魔法の効果が続いている。なのでいつもより早く走るが追いかけられている気配はない。それでも、フェルンは街の中に入るまで走り続けた。
街にようやく到着すると、既に陽が沈みかけていた。身体能力を強化していた魔法の効果は切れている。フェルンは大量の汗をかきながら街の中を歩き、そしてギルドに向かう。その途中で逃げたことを後悔したが、フェルンには勝てる筈がないと言い訳をひたすらにしていた。
「はぁ、はぁ、大変です!」
受付の女に助けを求めるように呼びかけた。受付の女はすぐにそれに応じる。
「僕が組んでいたパーティが、騎士たちに……僕以外は殺されました!」
「……あの、フェルンさん、お言葉ですが、パーティが壊滅しようと、それは自己責任です。なので、それは諦めて下さい。残念に思いますが」
案外淡白な様子をしていた。まるでフェルンだけが馬鹿みたいに思える。無様に思える。
「お疲れ様でした。死体は騎士たちの近くにあるなら、どうにもなりませんが……」
フェルンは黙りこくった。そのまま小さく会釈をすると、ギルドを後にする。目指す場所は分からないが、道なりに歩いていった。気付けば、夜を迎えていた。
「僕は……どうしてこんな目にばかり……」
不運なことを呪ったが、同時にどうしてここまで弱いのかと再び心が挫ける。顔が地面へと向く。
だが、今はこのようなことをしている場合ではない。生きているであろう兄を、兄を倒さなければならないのだ。生きていれば、フェルン自身の手で必ず。
そうする為には、仲間の死について何か思うのもどうかと思えて来る。なのでゆっくりと顔を上げると、フェルンは来た道を戻った。向かったのは、ギルドである。
疲れなのか足がふらふらとしてきたが、そのような状態でも掲示板の元に着く。途中で他の冒険者たちに、気味が悪いという顔をされたが気にしていない。フェルンはそのまま、囓るように掲示板を見た。今のフェルンには、処刑の依頼しかないのだ。
適当に依頼を剥ぐと、受付にそれを提出した。
「これを……」
「フェ、フェルンさん、少し休んだ方が……」
受付の女の顔がひきつっていたが、フェルンにとっては最早どうでもいいことだ。それよりも、依頼の承認をして欲しいと返す。受付の女は渋々と言ったような顔で、依頼の紙にサインを書きスタンプを押していく。
「では、お気を付けて……」
依頼の紙を差し出されると、フェルンは無言で取った。だが依頼の詳細をあまり見ていなかったので、フェルンはそこで改めて見る。内容は強姦魔の男の処刑らしい。フェルンはその文字列を見て鼻で笑うと、ギルドを出た。まずは依頼の紙に書いてある目撃情報の元に向かう。場所はスラム街付近である。
変わらない足取りで目的地に到着すると、周辺の治安の悪さがあった。やはりスラム街に近いので道は汚く、そして何だか薄暗い。そのような道でも関わらずフェルンは歩いて行くと、裏道に入った。犯罪を行うならばそこがうってつけだからだ。
かつての自身ではそのような道は遠ざける筈だが、今は違う。母も弟妹も居なくなって、半ば自棄状態になっている。心配してくれるような人間は居ないに等しい。自意識過剰ではあるが、唯一居るのはギルドの受付の女だろう。しかしこれは業務上、致し方ないことだろう。フェルンは薄く笑いながら裏道を歩いていった。
しばらく歩くと太陽は真上から徐々に落ちていっているように感じた。もうじき日が暮れるのだろう。ならば更に処刑対象の発見率が上がるとフェルンは喜ぶ。そうしていると、遠くから知らない女の呻き声のようなものが聞こえた。反射的にその方向を導き出すと、フェルンはその方向へと走って行った。
女の声がした場所に着くと、物陰で男の気持ち悪く荒い吐息が聞こえた。ここだろうとフェルンは剣を抜く。すると女の抵抗のような声を拾ったので処刑対象はここだと確信した。
「おい」
フェルンは自身の声がいつもより低くなっていることを自覚していた。そのうえで剣を抜き、刃先を男に向ける。湿っぽい吐息を一つ吐いた後に、男が振り返った。
「なんだ……? ガキか」
男は太っており、それにかなりの量の髭を生やしていた。声も体格同様に太く、正に不快感そのものの存在である。
「死ね」
一言そう告げると、フェルンは剣を男の目に突き刺した。当然、男の目から血が噴き出し悲鳴を上げる。しかしフェルンはその、男が苦しんでいる様子を見ると妙に心音が上がるような気がした。この男が強姦をするように、自身もまた正義のうえの殺人行為にひどく興奮しているのだろう。
「うわああああぁあぁぁ! 痛い! やめてくれえ!」
男はフェルンに助けを乞うが、当然のようにフェルンは無視をする。そして剣を一旦引き抜くと、男の片目は血に塗れていた。確実に片方は失明していることが分かると、次はもう片方の目を狙う。そこで手を止められた。
「フェルンさん! もうやめて下さい!」
もがいている男の下で、聞き覚えのある声がした。見れば男に組み敷かれているのはギルドの女である。フェルンは剣を握る手を止めていると、足を蹴られた。男が、一つしか無い瞳でフェルンの方を睨みつけながら。
「何を……!」
フェルンが睨み返すと、男の首に剣を突き刺した。それを何度も何度も繰り返すと、男の首が落ちそうになった。男からは断末魔のような悲鳴とそれに大量の血が出てくる。フェルンはそれがうるさいと思いながら、もう一度剣を引かせてから首を貫く。受付の女はそれを見て口をパクパクと開けるばかりだ。あまりの恐怖に、言葉も悲鳴も出てこないのか。
ようやく男の声が鳴り止むが、血はまだ流れている。見れば男は死んでおり、足下には血溜まりができていた。あまりの出血量に死んでしまったのだろうか。
フェルンは剣をしまい男の体を抱えようとすると、受付の女がようやく立ち上がった。
服装は多少乱れているが、何かをされた痕跡は無い。どうやら、その直前にフェルンが来れたようだった。
こちらを見ているが、どうやら泣いているようだった。どうしようか悩んでいると、頬に薄い痛みが走った。受付の女に、頬を叩かれたのだ。一瞬、何が起きたのか分からず、フェルンはただ呆然としているのみ。
「どうして、そこまでするのですか!」
「どうしてって、君が実際に襲われかけたんだから、分かるでしょ。それに僕は助けてあげたんだし」
「私は、フェルンさんのことが心配になってたのに……」
女の瞳からは涙がだらだらと垂れる。それはまるで雨粒のようで綺麗に思えたが、フェルンはそれを見ながら言葉を返す。
「どうして僕の心配を?」
「心配するのは、私はもうあなたと知り合いなので当たり前です! それ以外はありません!」
すると受付の女はあまりの涙に言葉が出てこなくなってきていた。それを見たフェルンは、ふと妹のことを思い出す。そういえばまだ生きていれば、受付の女のように泣いている顔、それに心配してくれる顔を見せてくれただろう。
そう思うと自然と男の死体を地面に置き、受付の女の頭を優しく撫で始める。頭皮は興奮の為か暖かく、余計に死んだ妹のことを脳内で見てしまう。しかし既に死んでいるので、すぐに取り払った。現実を見ようと思った。
「ごめんなさい……でも、僕はやらないといけないことがあるから」
そう言うと男の死体を再び抱えてから、受付の女をその場に残して去って行った。後ろを振り返ることなど、できない。また受付の女の泣き顔を見れば、死んだ妹のことを思い出してしまうが故に。
気のせいかもしれないがフェルンの影だけ、他の者よりも異様に濃いと思いながら。
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