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「大変だ! こっちに騎士たちの集団が向かって来るぞ! ハイム方面からだ!」  ある昼間にフェルンがギルドで掲示板を見ているときにそれは起きた。冒険者の男三人が、ギルドに入るなりそう叫んできたからだ。表情はかなり切羽詰まっており、それに息を激しく切らしているようだ。遠くからここまで走って来たのだろう。 「それは本当ですか!?」  受付の女がそう言うと、冒険者の男たちが一斉に頷く。すると受付の女が何やらブツブツと呟くと、目の前に灰色の丸い模様が現れた。何かの魔法だろうか。そう思っていると、見知らぬ声が聞こえた。 「大変です! ハイム方面から、騎士たちがクゥルに向かっているようです! 至急、応援をお願いします!」  誰かと会話をしているようだが、どうやら遠くに居る者と会話ができる魔法を使っているようだ。相手は誰なのかは分からないが、恐らくは国の者だろう。騎士たちがハイムを壊滅させてから少し経過するが、未だに何もしようとしない国に助けを求めて、何になるのだろうか。フェルンはそう思いながら聞いていた。  受付の女がしばらく会話を続けた後、納得がいかないまま丸い模様が消える。直後に受付の女が「どうしてなの……!」と悔しげに呟く。会話の内容が気になったが、受付の女とは強姦男を殺して以来は殆ど話していない。事務的な会話はしていたのだが。  なのでフェルンは話しにくくしていると、他の冒険者たちが反応した。まずは見覚えのない冒険者であるので、身分の証明を求める。来た男たちは、首に提げている冒険者証を見せた。銀色に鈍く光っており、使い混んである風合いがある。それにより他の冒険者たちが納得すると、詳細を聞いた。 「今は騎士たちはどこにいる!?」 「まだハイムを発ったばかりらしい! とにかく逃げろ! 聞いた話では、騎士たちに屈服などをした山賊も加わっているらしい! かなりの大軍だぞ!」  これはまずいとフェルンは思った。かなりの大軍となると、クゥルに居る衛兵や冒険者をかき集めても応戦できるかどうか。それを危惧していると、一人の男が声を上げた。 「フィアに逃げるぞ! 今なら間に合う!」 「今からだと!? 間に合うのか!?」  すると様々な意見が交錯していった後に、受付の女が「皆さん静かにして下さい!」という大きな声を出した。途端に周囲が静まり返り皆、受付の女の方へと視線が集中する。 「戦いましょう。もう一度国と掛け合って、援軍を早くこちらに来るように説得します。必ず説得します。なので、戦いましょう。私達のクゥルを守りましょう」  受付の女は力強くそう言った。それはフェルンの中で強く響くと、つい先日見た受付の女の泣き顔を思い出す。今とはまるで別人だと思ったが、同時に相当な覚悟をしているように見えた。なので小さく頷くと、未だに静まり返っている空間でフェルンがとある発言をした。 「僕は戦う」  一言そう述べると、他の冒険者たちがざわめいた。フェルンの言葉を聞き、自分らはどうすべきなのか話し合っているのだ。  受付の女はフェルンの方を見るが、それをわざと無視した。どのような視線を送ればいいのか、一時的に分からなくなっているからだ。すると受付の女に対して、何か引っかかる感情が湧く。それが何か分からなくなったので考えていると、他の冒険者たちの殆どが答えを出したようだ。一緒に、戦うと。  受付の女は目を見開くと「ありがとうございます!」と深々を頭を下げた。対して他の冒険者たちは「説得を頑張ってくれよ!」と返す。フェルンはどうしてなのか安堵をしていると、騎士たちについて知らせてきた冒険者たちが呆れた表情を見せる。どうやら彼らは戦わずに逃げる選択肢を取るらしい。なので何も言わずにギルドから出た。 「まずはブロンズ階級の皆さんは、街中の住民の方々に外出禁止令を出して下さい! そこで協力してくれる冒険者がいらっしゃる場合は、階級に合わせた仕事の指示をお願いします! シルバー以上の階級の皆さんは、ハイム側で迎撃準備をお願いします!」  受付の女がそう指示すると、残った冒険者たちは一斉に頷いた。そしてそれぞれの役割を果たす為に散らばる。  フェルンはブロンズ階級の為、街中へと向かおうとした。そこで、受付の女に「フェルンさん」と呼び止められる。女の表情はとても強いものでああり、フェルンはそれに圧倒をされそうになった。 「この街を、守りましょう」 「はい」  ごく短い会話をすると、二人はそこで別れた。フェルンはギルドから出て、街中へ向かう。他にもブロンズ階級の冒険者が居るので、その者たちと共に住民に呼びかける。だが素直に応じてくれる者から、素直に応じてくれない者も居た。それでも様々な言葉をかけて、ようやく応じてくれる次第。ハイムからここまではそれなりに距離があるが、クゥルの街は広い、今居るフェルンを含めたブロンズ階級の冒険者たちで全て回りきれるのか分からなかった。  全てを回りきったであろう時には既に日が暮れていた、フェルンたちは急いでギルドに行きそれを報告しに行く。 「住民へ外出禁止の呼びかけ、終わりました!」  フェルンたちの合計八人がギルドに入るが、誰も居ない。それも、受付の女ですら。なので疑問に思いながら受付の女の居場所を探していく。すると一人の冒険者が、受付カウンターの内側を見て、短い悲鳴を上げた。何だと思った冒険者たちとフェルンはその場所に歩いていく。すると、驚愕の光景がある。 「どうして……」  そこには、受付の女の死体が転がっていた。それも、両足を切断された後に心臓を抉られている。あまりにも無残な殺され方に、中には気分が悪くなり吐きかける者が居た。その中で、フェルンはひたすらに受付の女の死体を見る。  名前を知らない、相手に一方的に知られていた、そのような相手が死ぬ経験は初めてである。フェルンはどのような感情を出せばよいのか分からないでいる。なので他の冒険者に名前を聞こうと思うと、名前が他人によって発せられた。 「ジャンヌさん……」  どうやら受付の女の名前はジャンヌと言うらしい。そこでようやく初めて知ったフェルンは、その名を自身の口からも出す。 「ジャンヌ、さん」  今まで散々に世話になり、そして親身になってくれたというのに、どうして名前を聞かなかったのか。まずは殺されたことよりも、それに後悔をした。 「ジャンヌ……さん……」  もう一度口にすると、フェルンの瞳から涙が垂れていた。もう、枯れたと思った涙が。それを手の甲で拭うが、間に合わないようだ。次第に目元を手で拭い続けていると、入り口から「逃げろ!」という声がした。皆、どうしたのかとそこを見ると、恐らくはシルバー以上の階級の冒険者が居る。それも必死な形相なので、どうしたのかとまずはフェルンが向かった。 「いいから逃げ……」  目の前に来たところで、冒険者の首が飛んだ。いや、正確には落とされたと言っても良いだろう。フェルンは何が起きたのか分からないでいると、一人の騎士が正面に現れた。この騎士が首を跳ねたのだろう。大きな槍を持っており、先端は地面に向いている。見れば血が垂れていた。フェルンはそれで先程の冒険者を殺したと分かる。  他の者たちが騎士の存在に気付くと、応戦をするように各々の武器を手に取った。まずは、ジャンヌの復讐の為に。  フェルンもそれに倣って剣を抜くと、構えた。こちらには剣を持っている者が三人、魔法を使うであろう者が四人居た。対して騎士は今は一人であるので、勝てる可能性が高いと思った。いの一番にフェルンが剣で斬りかかっていく。  正面から斬るが、太刀筋などとても単純なものである。容易に槍で弾かれると、フェルンはその衝撃で後ろに倒れた。そこで他の冒険者たちが次々と騎士に攻撃をしようとした。剣を抜いている者たちはフェルンのように斬りかかる。他の者たちは魔法を使ったり、懐から攻撃用のアイテムを取り出す者も居た。皆、騎士を倒すのに必死である。  だが剣やアイテムは簡単に弾かれ、魔法はバフやデバフのものを連続で使用していた。しかし味方にはバフは意味があるが、騎士にデバフはあまり効果が無いようだ。すると魔法を使う者は次々と棒立ちの状態になる。魔力、即ちそれと共有の力である生命力が、尽きようとしているのだ。傍らでそれを見たフェルンは、いつもより軽い体を動かしながら見ることしかできない。回復アイテムなど、そのようなものは持っていないが故に。 「くそ! 効いていないのか!?」  一人の冒険者がそう言いながら睨むが、騎士の表情を見れば笑っていた。相手は人間だがどうにも勝てないでいると、絶望感が湧いてくる。足元から徐々に、食われていくように。  フェルンもその気持ちに蝕まれていくと、力がすうと抜け始めた。諦めの気持ちが、心を浸食していくのだ。やがては剣を握る力がゆるゆると弱まっていくと、剣が手から離れようとする。魔法を使えない者たちからの口からは、悲鳴が上がる。  主に「まだ勝てる!」や「死にたくない!」などという言葉が聞こえるが、神に祈っているものさえ居た。この世界を司ると言われている、ハルヤという神が昔存在したらしい。フェルンは一応はハルヤの信仰があるものの、信じれば救われるとは思っていない。ただの、気休め程度にしか思っていないからだ。  フェルンは神頼みの者に対して小さく舌打ちをすると、騎士がそれに反応をした。どうやら、挑発に取られたらしい。ターゲットがフェルンに向かうと、槍の先端が凄まじい速度でこちらに来る。終わった、フェルンはそう思いながら、左肩を貫かれた。激しい痛みが全身を走り、そして負傷した部位から血が滝のように流れる。どうやら心臓を外したが、それでもフェルンにとっては致命傷である。  その場で倒れたフェルンは他の者の声が聞こえたが、何を言っているのか分からない。意識が、遠のいてきたからだ。  ここで死ぬのか。そういえば母と弟妹の復讐を果たせていないと思ったが、この体では何もできない。そう思いながら、フェルンは眠るように目を閉じた。神のことを馬鹿にしていたのに、突然に神に祈りながら。  ※  フェルンは夢を見ていたが、そこは何も無い白い空間だった。そして自身の体を見れば、どこも怪我をしていない。驚いていると、どこかから声がした。フェルンを呼ぶ、母の声だ。 「フェルン」 「……母さん!」  声の方を見ると、フェルンの死んだ筈の母が居た。優しい笑みを浮かべて、こちらに手招きをしている。フェルンは自然と母の元へと向かおうとすると、背後からもう一つ声がした。 「フェルンさん!」  振り返ればそこにはジャンヌがおり、走ってこちらに向かってきた。そしてこちらに来るなり、フェルンの腕を引く。表情はとても必死そうで、まるで急いでいるかのようだった。 「だめです!」 「どうして?」  フェルンはジャンヌの手を振り払おうとしたが、力がかなり強い。まるで、母の元へ行くことを妨害しているようだ。どうして邪魔をするのかと、フェルンは「やめろ!」と強く言いながら抵抗をした。しかしジャンヌは意地でも離さないという雰囲気を纏っている。自身はもう死んだ、そう思いながら母の元へと行きたいだけだと言うのに。  すると母の姿が薄れてくるので、フェルンは力を振り絞りってどうにかジャンヌの手を振りほどく。そして母の元に向かうがその瞬間にフェルンは声が出なくなった。いつの間にか母の首から上が無くなり、そのまま立ち尽くしているからだ。驚いたフェルンが腰を抜かしていると、首のない母が手を差し出した。おいで、と小さく手招きをしながら。フェルンは首を小さく横に振ると、腰を上げようとした。しかしこの白い空間と一体化したかのように、体が上手く動かない。フェルンの呼吸が荒くなる。  すると首の無い母が手招きを止めると、今度はこちらに来た。フェルンは咄嗟に「来るな!」と目の前の母ではなく化け物を拒むが、それでも化け物はこちらに歩み寄ってくる。そしてフェルンの近くに来るとしゃがみ、両手を差し出した。フェルンの頬に、ぴたりと寄せる。 「おいで……」  母のものではない、ひずんだ声が首から出る。そして次は手が下に降りると首を掴み、もう一度先程の言葉を繰り返した。フェルンは何度も拒んでいく。 「フェルン、おいで……」  声が相変わらず出ないでいると、息が苦しくなってきた。今度こそ、もう死ぬかと思った。復讐も何も果たせず、この国は反乱を起こした騎士たちにより滅ぼされるのかと思った。では他の国はどうなるのかとも思ったが、もうどうでもいい。もう、自身は死ぬのだから。  心を諦めに全て食われかけていると、背後からジャンヌの苦しげな声をした。再び振り返れば、ジャンヌはいつの間にか負傷している。フェルンが見た死体に近い状態になりかけていた。 「ジャンヌ……!」  ジャンヌの名を呼ぶと、途端に母の姿が消えた。すると諦めの心がどんどん死んでいく。代わりに持った感情は、復讐心である。そうだ、やはり復讐をするために生きているのだ。フェルンの心に薄暗い火が灯る。そしてジャンヌの方に歩いて行くと、手を伸ばした。すると白い空間が一気に黒くなり、闇に包まれる。  不安など一切ない。フェルンは薄暗い火を大きくしながら、目を閉じる。目を開ければ、そこは青空が広がるクゥルの街の中であった。フェルンはうつ伏せに寝て居る。辺りに人気は無いのでゆっくりと起き上がると、死体がそこら中にあった。フェルンだけは、生きていたのだ。  見れば騎士のものやクゥルの衛兵のもの、そして冒険者のものもある。つまりはここは、戦った後の残り物しか無いのだろう。幸いにも死体漁りなどの痕跡は無いものの、夜になればアンデッドまみれになるだろう。なのでクゥルの隣のフィアに向かうべく、歩こうとした。だが騎士に肩を貫かれた痛みでまともに歩くことができない。顔を歪めたフェルンは、傷口を睨む。 「くそ……!」  短い舌打ちをすると、まずはアイテム屋を探そうと思った。店主は死んでいると思うが、商品の在庫はあると目論んで。なので知っているアイテム屋へ、重い体を動かしながら歩いていった。  到着すれば、荒らされた形跡がある。やはり不幸にも、店主らしき男の死体が転がっている。隣には女の死体もあるが、この男の妻か、或いは客なのだろう。フェルンはそれらを踏まないように商品棚を見る。商品棚に並べられていたであろう物は、床に落ちていた。そして肝心の治癒アイテムを探すと、三つだけあった。薬草から液を抽出し、小瓶に入れた回復アイテムである。それを手に取ると、肩に直接掛けた。みるみるうちに肉が盛り上がり、骨を包んでいく。 「ぁ、あ……!」  不快感がありながらも一番負傷している箇所を治療すると、あとの二つは懐に入れた。これは先の為に取っておこうと。  そして床に転がっている死体を見るなり、ハルヤ教の言葉で祈る。安らかに眠って欲しいと。  そしてアイテム屋から出ると、フェルンはフィアの方を目指して進んでいった。ここへは二度と、来ることは無いだろうと思いながら。  クゥルからフィアまではかなりの距離がある。食料は木の実などで凌ぎながら、ゆっくりと確実に進んでいく。途中で商人とすれ違うが、フェルンはクゥルのことについては何も言わなかった。誰かと話す余裕が無かったからだ。  何度かの夜を繰り返していくうちに、ようやくフィアに着いた。ここはクゥルよりも田舎だが、治安はそれなりに良いと聞く。すると到着して安堵すると、力が抜けていった。その場でばたりと倒れると、フェルンはそのまま意識を失う。これは、永遠の眠りではないと思いながら。  ※  意識を取り戻すと、またもや知らない天井があった。周りにはクゥルのギルドの二階部分のように、周りに本棚がたくさんある。本がみっしりと詰まっており、抜くのが大変だろうと思った。  フェルンは放っておけば良いのにと思っているが、同時にジャンヌのことを思い出して涙が出る。以前もこのように助けてくれ、そして騎士殺されてしまったのだ。決して自身のせいでなないことは分かるが、フェルンがどうにも弱いことを責めてしまう。早く来ていればと責めてしまう。  頭を抱えて涙をひたすらにこぼしていると。扉が開いた。フィアのギルドの者だろうか。フェルンは涙をゴシゴシと手で拭うと、顔を上げた。そこにはジャンヌのような、受付の女が居た。 「大丈夫ですか? 見たところ、冒険者の方のようですが……」 「ありがとうございます。大丈夫です」 「でも……」  受付の女が何かを言おうとすると、フェルンが口を挟んだ。 「あの、ここはフィアですか?」 「はい、そうですが……ここはフィアの冒険者ギルドになります」  やはりこの者はギルドの受付の女であり、現在位置が分かった。なのでフェルンが立ち上がろうとすると、受付の女に止められた。 「駄目ですよ! あなた、こんなにボロボロになっているのに、まだ休んでいて下さい!」  強く言われたが、フェルンは気にすることはない。無理にでも立ち上がり、自身の荷物を持とうとしうた。そこで受付の女が、ふと言葉を放つ。 「……クゥルが騎士たちに襲われたようですが、何かご存知ないですか? 生き残っている方を、まだ見つけられなくて……状況が、知りたいのに」  明らかに悔しげにしているが、フェルンは何も見ていない振りをすることにした。一人で生き残ったことを決して悔いている訳ではない。ただ単に、面倒だからだ。今のフェルンは復讐することしか頭に無いのだから。  知らないと返すと受付の女は「そうですか……」と意気消沈するが、フェルンはそれを無視して階段を下りた。ギルドはどこも内装が変わらないらしく、慣れた足取りで依頼を見に行く。何か、処刑の依頼は無いかどうか。  依頼を見れば、処刑依頼は一つしかない。それは強盗犯を確保することだが、フェルンはその強盗犯を殺す気で居た。依頼の紙を剥ぎ取り、それを受付に持って行く。そこでちょうど受付の女が戻って来て、依頼の紙を見るなり驚いていた。何がおかしいのか、とフェルンは首を傾げる。 「だってそれは……いえ、あなたがその依頼を受けたいのであれば、文句は言えません。分かりました」  重く頷いた受付の女は、渋々と言ったような顔で依頼の紙にサインを書き、スタンプを押すとフェルンにそっと渡した。それに人相の書いてある紙もだ。受け取ったフェルンはそれらを見てから懐に入れると、早速に強盗犯を探し始める。  場所は街全体とあり、かなりの広範囲だ。しかしクゥルよりかは楽だと思っているので、とにかく街を歩き回る。ここは街の住民が呑気に歩き、そして楽しげに話していた。クゥルとは大違いの雰囲気である。  いつの間にかクゥルの雰囲気に慣れてしまったのか、フェルンの心が複雑に絡まっていく。どうにも、落ち着かないのだ。張り詰めた空気に纏われていた街に、自身の体や脳が黒く染まってしまっていたのだ。  いつの間にか、変わってしまっていた。そう思ったがもう遅い。元の自身に修正することはできない。気付けば森で男を殺したことにより、既に変わってしまったのかもしれない。  乾いた笑いが漏れたフェルンは薄く笑うと、懐にしまった人相の紙を再び見る。特徴といえば顔まで太っていることだが、普遍的過ぎた。このような特徴では、探すのが面倒としか思えない。早く処刑対象を殺したいと僅かに考えるが、それが普通ではないとは最早気付いていなかった。フェルンの中では、それが普通のことと思っていた。心地が良いことと思っていた。  鞘に収まっている剣をただ握りしめる。あの、剣で人を斬った際の感覚を思い出す。鮮やかに切れ、そして皮膚が裂けて血が噴き出す。あの光景を思い出す。フェルンは癖になっていた。もう一度、あの感覚や光景に浸りたいと思っていた。 「……必ず見つける」  街の隙間にそう呟くと、フェルンは見える範囲を歩き出す。どうやらこの街は、スラム街の類は無いようだ。それに処刑の依頼が一つしかないが、また処刑の依頼が出てくるのだろうか。処刑対象を見つけることよりも、他の処刑依頼のことを考えてしまう。  誰にも処刑の依頼を渡さない、そう思うとフェルンの中に灯っていた小さな薄暗い火に燃料が焚べられる。それも、大きなものを次々とだ。すると火は必然的に大きくなり、水でさえも手に負えなくなっていった。それくらいに、フェルンの心が強く燃えていく。一目見れば決して消えることのないような、根強い燃え方で。  どこを見ても平和そのものの街を歩いていると、ふと見覚えのある男とすれ違った。その男は普通の住民のような雰囲気を纏っていたが、フェルンにはそう見えない。人相とそっくりの顔が視界に入り、そしてすぐに記憶の中に焼き付いたからだ。フェルンはその男を逃さないように、日陰のように着いていく。  しばらく歩く。だが気配を悟られないまま着いたのは、ごく普通の家であった。幸運にも人気が無いので、咄嗟にフェルンは物陰に隠れて観察する。見れば、フェルンのような年齢の少年の声がして「父さん」などと言っていた。それからは男と何でもない会話をしていく。するとフェルンは父親がまだ生きていたことを思い出してしまう。  フェルンにも父親を「父さん」などと呼び、ごく普通の会話をしたことが何度もあった。しかしそれらは当然、今のフェルンにはもうできなかった。いくら望み、いくら渇望しても。  重い苦しみに襲われたフェルンは涙を大量に零し、口腔内からは粘度の高い唾液が降りては地面に落ちていく。 「でも……僕は……やらないと……僕は……」  自分にそう言い聞かせると、男が一人になった。今が好機であるが、フェルンの足が動かない。殺した筈の善意からの奇襲により、フェルンの脳内が混乱しているからだ。かつての善意と今の闇が戦い合っている。  目の前が涙で霞むと、手の甲でぐいぐいと強く擦る。まるで心の中に突然現れた善意を払うように。  震える手で無理矢理に剣を抜くと、あの感覚や光景を待ち侘びているかのように心が震えてきた。すると善意を再び殺すことができたのか、そのまま物陰から静かに出て歩きだす。男は今はフェルンに背を向けている。背後から剣で心臓を貫いてしまえば終わる。なのでフェルンは後ろから男の心臓の位置を鋭く睨みつける。  この男を殺したら、先程の子供はどうなるのだろうか。父を殺されて悲しみに明け暮れるのか、或いは自身のように復讐に身を落とすのか。そう考えていくうちに、フェルンの中に更に深い闇が差し込む。どちらにせよ、フェルンには関係がないことだからだ。足を出し、そのまま男の背中へと歩いていく。心臓が、大きく高鳴っていた。  男の背中に接近していくと、剣を落とさないように強く握る。静かに一歩一歩踏みしめ、男の背中に辿り着いた。今、ここでフェルンが背後から剣を突き刺せば男の命は終わる。フェルンの唇の端が歪むと同時に、剣で男の体を貫いた。見事に、心臓のある左側を。 「うっ、うぁ……!」  控えめな悲鳴を上げた後に、男は地面に倒れる。背中からフェルンの剣を生やしたまま、どさりと大きな音を立てて。  男の死を確認したフェルンは剣を引き抜く。既に血溜まりができており、それを汚そうに踏んでいく。男の体を抱えるが、そういえばフィアの衛兵の詰所の場所が分からない。なのでギルドで聞こう、そう思ったときに腰に衝撃が走った。後に凄まじい激痛が走る。 「……ッ!」 「父さんを! 父さんを! どうして!」  そこには男の息子が刃物でフェルンの腰を刺していた。どうやら刃渡りはそこまで無いことが、痛みのおおよその範囲で分かる。フェルンは脂汗を流しながらも力を込めると、子供を殴った。後ろに倒れた後に、大声で泣く。起き上がる気配はない。  フェルンはそれを無視すると刺さった刃物を抜くが、これは果物用のナイフであった。相変わらずの痛みに喘ぎながらも、フェルンは男の死体を抱える。そこで子供が体を震わせながら起こすと、涙を流しながら何かを言ってきた。 「……絶対に、許さない」  目つきは、まるで自身のように思えた。騎士たちを見ているフェルンも、このようなものなのだろうと。  しかし今のフェルンにはそう見えるだけで、後は何も思わなかった。なのでそれもまた無視をすると、男の体を抱えてギルドへ向かって行った。息子の睨むような視線を強く浴びながらも。  ギルドに到着すると、死体を抱えながら受付の女に詰所はどこかと聞く。勿論、受付の女の最初のリアクションは恐ろしいものを見ることから出る悲鳴だった。フェルンはそれを何となく予想していたが、何事も無かったかのようにもう一度聞き直す。 「……地図をお渡しします」  こちらを見てくれない。当たり前だろうと思ったフェルンは「はい」とだけ返事する。地図と言っても、受付の女の手描きである。だが受付の女の手は震えていた。本人にとってはまっすぐに引いた筈の線が、細かく波打っている。そして字は読めるものではない。なのでフェルンは溜め息をついていると、他の冒険者がそっと話しかけてきた。 「俺が直接案内するので、マリンさん……」 「えっ、あ……ありがとうございます……」  助け舟を出してくれて、受付の女は冒険者の顔を見ながら瞳を光らせていた。 「じゃあ、君、今から案内するから。でもかなり近いからね」  そう言いながら冒険者が「着いて来て」と言うので、フェルンは男の死体を邪魔そうに抱えて着いて行く。  ギルドから出て、しばらくまっすぐ歩いていくと、すぐに詰所に辿り着いた。なのでフェルンが礼を述べようとすると、男に止められた。どうしたのだろうか。 「……噂は聞いてるよ。君、処刑の依頼ばかりを受けている新人の冒険者なんだって? 俺が言うのも何だけど、処刑の依頼はあまりやらない方がいい。前に居たんだ。処刑の依頼ばかり受けて、そのうち殺人鬼になった奴が」  これは初耳であったが、フェルンは聞く耳を持たないでいると、冒険者に両肩を掴まれた。自然と男の顔を見てしまうが、かなり真剣である。 「そいつの末路は、どうなったと思う? 同じ冒険者に、処刑対象として殺されたんだ。だからお前も、そうなれば処刑対象になっちまうぞ」  フェルンはしばらく言葉が浮かばないでいると、衛兵がこちらへ来た。なので死体を引き渡すと、冒険者の男へは何も言わずに詰所から急いで離れて行った。  途中で男が追って来るかと思い振り返るが、知らない顔の人々が歩いているのみ。なので安堵をするが、この先ここで処刑の依頼を受けては何かと周囲の者がうるさいと思えた。だが人は殺したいので、騎士を殺すことにした。それならば、歓迎をされるだろうと。  ギルドに戻って素早く報酬を受け取ると、脚に新しい防具を身に着けてからクゥルとは反対側の方向から街を出て荒野に入る。木々はあるものの、基本的には岩場しかない。視界は良いので、遠くから何か居ても分かるくらいだ。空は青いが、この綺麗さに浸る余裕などフェルンには無い。  騎士を殺す為には騎士を探さなければならない。目撃情報等を事前にキルドに聞いておけば良かったと、フェルンは悔いる。しかし今からでも遅くはないと、ギルドに戻ろうとした。そこで一つの足音が聞こえた。  フェルンは木の陰に咄嗟に隠れると、辺りを見回した。だがどこにも人影は無く、首を傾げていると何か金属音が背後から聞こえる。フェルンは咄嗟に後ろを向く。 「ッ……!?」  まず見えたのが甲冑であったので、フェルンはどこかに避けようとした。だがどこに避ければいいのか分からない。相手が持っている武器が、どのような大きさなのか分からないからだ。顔を強張らせながら迷ったフェルンだが、このままでは殺されてしまうと思考を素早く巡らせていく。  するとふと思った。相手の懐へとタックルをしてみるのも良いのではないのかと。フェルンは思った瞬間に、行動に移した。甲冑の方へとタックルすると動揺したのか攻撃が止み、更に後ろへと倒れてしまう。その瞬間に分かったが、相手は騎士である。フェルンは素早く剣を抜くと、首を狙った。頭部にまで金属に包まれているが、仰向けになると頭部と胴体の間に僅かな隙間ができる。そこに目掛けて、フェルンは剣を突き刺した。  騎士からは声にならない悲鳴が上がり、体をじたばたと動かす。フェルンは刺している剣を、骨の方へと動かしていく。次第に血が地面を飲み込んでいくと、騎士の動きが鈍くなる。持っている剣を握る力が弱まると、やがて地面に落ちた。乾いた音がする。もうじき、騎士は死ぬようだ。  最後にと断首するように刀身を押し付けると、ぼきっと乾いた音が鳴った。騎士の首を、斬ることができたようだ。フェルンの緊張していた顔が一気に緩むと、騎士の死体を見ながら笑みを浮かべた。 「僕は……やったんだ……!」  声を出すと、騎士の取れた首を掴んで上げる。血がだばだばと垂れ、死体が着ている甲冑を汚していく。  甲冑がある程度赤く染まったところで、フェルンは空を見上げた。空が美しいと思える。  一つ息を吐いたフェルンは騎士の首を持ち続け、街に戻ることにした。死体を置き去りにしてから街に入ると、フェルンが持っている物を見た通行人がこちらをじろじろと見てくる。複数のその視線が、フェルンにとっては光栄に思えた。  胸を張って詰所に向かうと、衛兵に騎士の首を差し出した。死体を引き渡した時と同じ衛兵だったらしく「また君か……」と呆れ気味である。しかしフェルンはそれを気にせずに、報酬を要求した。  衛兵の態度は変わらないが、フェルンがやったことは衛兵たちにとっては歓迎すべきことである。なので渋々と首を受け取ってから金貨一枚をフェルンに渡した。 「これが……金貨……」  フェルンは人生で初めて金貨を手にした。自分で稼いだものなので、目を光らせながら、金貨を見つめる。すると衛兵に「用が無いのなら早く出ろ」と言われた。なので仕方なくフェルンは詰所から出て、金貨を大事にしまったのであった。騎士殺しという行為に、味をしめながら。
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