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⑧
フェルンはそれから騎士を殺し続けた。流石にそれは周囲は止めるべきでもないことだからか、何も言う気配はない。理由は二つあり、まず一つは単純に周囲がうるさいことだ。これは言うまでもない。そして二つ目は、フィアでの処刑依頼が無いことである。あれ以来、フェルンは毎日ギルドに行って依頼を確認しているが、処刑の依頼を一つも見かけてはいない。クゥルよりも遙かに治安が良いからか。
なのでフェルンは陽が浮かんでいる限りは騎士殺しに勤しんだ。一日につき一人が限界だが、殺しては金貨を受け取り防具を買っていく。それを繰り返していると、遂には全身の防具を買うことができた。人の死によってフェルンの防具が揃い、何とも言えない気持ちになる。これは、優越感なのだろうか。様々な死を、フェルンが踏み続けていくことを。
街の外は案外治安が悪いらしく、山賊までも居た。しかし今のフェルンにとっては脅威ではない。騎士の様々な戦い方を学び、そして殺していく。かつては自身の憧れの対象であった存在だったというのに。フェルンは思わず、鼻で笑ってしまう。
そして陽が沈んでは昇ったある日、事が起きた。
ある日、フェルンはいつものようにギルドに居た。念のため処刑の依頼が無いか、毎日確認をしていたからだ。だが今日も相変わらず無いので、遂には肩を落としながらギルドを出た。気が付けばフィアに一週間以上は滞在しているが、このまま騎士を殺し続けるだけでいいのかと考える。
そもそもフェルンが冒険者になったのは、一時的な凌ぎとしてだ。本来は殺された母や弟妹の復讐をする為に、兄を殺さなければならない。いつでも、兄のことを思い起こすだけで腸が煮えくり返る。この怒りを収めるには騎士である兄をフェルン自らの手で殺さなければならないが、肝心の兄が全く見当たらない。もしやハイムかクゥルに居るのではないか。そう考えるが、一人でハイムやクゥルに行くわけにはいかない。
するとふと思った。一人で無理なのであれば、仲間を募集すれば良いのではないのかと。世間は相変わらず騎士の存在に悩まされているが、騎士を殺すという行為に反対など全くない。寧ろ推奨をしてくれているくらいだ。対して国は何もしてくれないのだから。
このギルドの受付の女に聞けば、騎士を共に殺してくれる仲間が見つかるのではないのかと思えた。なので掲示板の前から受付へと移動した後に、受付の女に話しかける。
「あの……」
「はい、いかがなさいましたか?」
「他の冒険者の方たちで、騎士討伐の為に動いているということを聞いたことはありますか? もしも聞いたことがあれば、教えて欲しいのですが……」
フェルンがおずおずと聞くと、受付の女は笑顔で答えてくれた。勿論、と。
「はい、聞いたことがありますね。たしか……そうでした。ジャックさんがメンバーを募っていた筈です。近くの酒場に居ると思うので、行ってみてはいかがでしょう? 多分、カウンターで集団で集まっているのが、騎士討伐グループだと思いますので」
具体的に教えてくれると、フェルンそれを脳内に刻みながら礼を述べた。そして早速に、受付の女の言う酒場に行った。ギルドを出てすぐそこにある。名前はアルデンという店で、建物は真新しい。
早速入ると夜ではないのにも関わらず、酒を飲んでいる冒険者らしき男が数人居た。フェルンはそれをげんなりとした顔で見ながら、カウンターを見た。確かにカウンター席であるのに、三人以上で固まっている集団をが居た。店主らしき者はその前に、カウンターにより掛かるようにしている者が居るが迷惑そうには思ってはいないらしい。
その傍に駆け寄ると、フェルンは一番近い人間に話しかけた。
「あの、ジャックさんは居ますか? 僕も、騎士討伐グループに入りたくて……」
「ん? ジャック? おーいジャックー」
この人間はジャックではないが、近くにジャックがいることが分かった。フェルンは待っていると、受付の女の言うジャックが現れる。目の前の集団の中に居たようだ。性別は男だと思っていたが、どうやら女らしい。フェルンはギョッとした顔をしてしまうが、ジャックと呼ばれている女はそれを何とも思わないらしい。
ジャックという女はフェルンよりも身長が高く、そして筋肉質だ。年齢はまだ若く、フェルンよりも数個上なのだろう。髪は金色だが短く切ってあり、いかにも頼れる女性という外見をしていた。服装は小綺麗なチュニックとズボン、それにブーツで身だしなみをきちんとしているらしい。
「私がジャックよ。なるほど、この、アルデンに入りたいのね?」
どうやらアルデンというのは今居る店の名前であり、騎士討伐グループの名前でもあるらしい。フェルンは頭の中でそれらを繋げながら頷いた。するとジャックはフェルンの装備や剣を見るなり、頷いてから「合格だ」と言ってくれた。どうやら、騎士討伐グループであるアルデンに入ることができたらしい。フェルンは喜ぶが、周囲を見ればかなり強そうな者ばかりである。
多くの者が冒険者であったが、階級はシルバーやゴールドが多い。一方でフェルンはブロンズ階級のままで、少し恥ずかしいと思ってしまう。自身のようなブロンズ階級の冒険者が混ざっても良いのかと。
「早速だが、みんな、聞いてくれ!」
ジャックが大声を上げると、店内が静まり返った。見ればこの店に居る全員がアルデンのメンバーである。ここまで大所帯なのかとフェルンが驚いていると、ジャックが話を続けた。
「まずは新入りを紹介する! ……そういや、あんた名前は何だっけ?」
ジャックは頭を掻いて、笑って見せる。そういえばフェルンは自身の名を言ってないことに気付くと、ジャックにしか聞こえない声量でフェルンが名乗った。
「フェルンです……」
耳を寄せたジャックは後に「んー? 聞こえないなぁ!」と返すが、ジャック本人には聞こえているのだろう。店内に居る人々がしんと静まり返ると、フェルンは頬を膨らませた。腹に力を入れ、大きな声を出す。
「フェルンです! よろしくお願いします!」
顔中に血が集まっていることが分かった。膨らませた頬が、とても熱いからだ。
すると店内が笑い声に包まれる。どうやら、フェルンの声があまりにも大きかったらしい。自覚はしており、少しだけ喉に違和感があった。ジャックの方を見ると、腹を抱えて笑っていた。フェルンはそのようなジャックに対して怒ろうと思っていたが、ジャックが笑いながら喋り始める。
「ということでな、処刑依頼を黙々とこなしているブロンズ階級のフェルンが今日から加わる。仲良くしてやってくれ」
フェルンは椅子にののんびりと座るジャックの顔を見た。どうやら自身のこれまでの行動を、全て知っているらしい。更に凝視していると店内の賑やかさが戻ってきたが、ジャックの行動が合図になったようだ。統率がかなり取れていると思っていると、ジャックが話しかけてきた。
「あんた、ほとんどは処刑の依頼をして、ここでは騎士を殺し続けてるんだっけ? うちにとってはうってつけの人材だよ。歓迎するから、よろしくね」
文句を言おうとしていたフェルンだが、ジャックの「うってつけ」という言葉を聞いてその気を無くしてしまった。フェルンが冒険者になってから、他人からここまで求められたことは無いからだ。だが今まで身に起きた出来事からして、完全に油断はできない。少しだけ身構えていると、ジャックが「隣の席空いてるから座りな」と声をかけてきた。フェルンは、ゆっくりと言う通りに隣の席に座る。椅子からは軋んだ音が鳴る。
そういえばこの店の主が居ないようだが、カウンターを覗いても居ない。どこに居るのだろうかと思っていると、ジャックがフェルンの肩を叩いた。
「どうしたんだい?」
「あの……この店の、店主の人は……」
「ここの店主? あぁ、私だよ」
フェルンは「えっ」と言いながらジャックの目を見た。瞳が揺れている訳ではないので、真実らしい。どういうことなのかと周囲を見ながら思っていると、ジャックがそんな様子のフェルンを見て説明を始めた。
「元々は私はこの酒場の店主でねぇ、この集団を結成したのは、つい最近だよ。少し前に王都ヤイダールに行っちまったが、ハイムで少し戦った強い冒険者が居てねぇ、そいつに憧れた冒険者たちがここでそれを話し合ってたら、私も加わって、それでできた訳さ。まぁ、成り行きでね」
ジャックは肩をすくめながら話すが、まずは強い冒険者というのに心当たりがあった。実際に見たことはないが、人並み以上の体力や力を持つブロンズ階級の冒険者だという。そのようなものは夢物語だと思っていたが、やはり現実らしい。フェルンはあまりの強さに、想像ができないでいる。
そしてただ話し合うだけで、このように統率の取れた集団を扱うのが凄いと思えた。通常ならば様々な性格の人間、それも何人も居る人々を上手く纏めている。ジャックの性格などのおかげでもあるだろう。
カウンターの上には水差しや酒瓶があるが、ジャックはフェルンに水差しとコップを渡した。
「そうだ、肝心なことを忘れていた。うちに入って、騎士を殺した場合の手取りだ」
「はい……」
報酬、それは人を動かす際に欠かさない存在である。なのでフェルンは真面目に話を聞いていると、ジャックは半笑いで答えた。
「報酬は全て受け取ってもいい。だが、うちに入るならここに少しは金を落としてくれ」
ジャックが言い終えると、フェルンはそれだけでいいのかとぽかんと口を開けた。思ったよりも、軽い内容である。
更に笑ったジャックは「何か質問はあるか?」と聞くが、フェルンは特に無い。それに異議も無い。なので首を横に振ると、ジャックは未開封の酒瓶を取り出してから開封する。それを口に含んだ。細い喉を上下に大きく動かすと、あっという間に酒瓶の中身が空になる。一気に飲み干してしまったらしい。心地よさそうに、大きな息を吐いた。
「ほらフェルン、お前も、水でいいから飲め。騎士討伐に行くまで、英気を養うんだ」
そう言って、ジャックは水差しからコップに水を注いだ。溢れると思うくらいまで注ぐと、顎を「飲め」としゃくる。なのでフェルンはおずおずとコップを手に取ると、一口だけ水を飲んだ。カウンターの上にそっと置くと、ジャックは頬杖をついてから口笛を小さく鳴らす。
「もう少しで騎士討伐に出る。場所はクゥル付近だ。あんたが騎士を殺すのは……慣れてるからいいか」
「はい」
もう一回コップを持ち、次はジャックのようにごくごくと全て飲みきった。コップはあまり大きくないが、胃に水が入ったことにより少しは腹が満たされた気がする。
「そういえばあんた、家族は? こんだけ無茶に人を殺し続けて、いいのか?」
コップを置いて一息つくと、ジャックがそう訊ねてきた。相変わらず頬杖をついているが、目は真剣だ。これがジャックの話しの聞き方なのだろう。フェルンはそれを見ながら質問に答えていく。
「居ません」
即答すると、ジャックは頬杖をつく手を変えた。そして他の質問をする。
「……じゃあ、あんたのことを、心配してくれる人は?」
今度は首を横に振ると、ジャックは溜め息をついた。そもそもどうしてこんなことを聞いてくるのかと思っていると、ジャックが頬杖をつくことを止める。
「これからも人を殺し続けるなら、心配してくれる存在が居た方がいい。無様な死に方をするよ」
「僕にはいりません。やりたいことをやれば、死に方なんてどうでもいいぇす」
そう否定すると立ち上がってから「ごちそうさまでした」と言ってフェルンは立ち去る。そして隅の席に座ると騎士討伐が始まるまでの間に、何も考えないままぼうっとしていた。
しばらくすると周囲の冒険者がぞろぞろと支度を始めていた。もうじき騎士討伐が始まるのだろう。しかしこれだけの人数が居れば、何か作戦などは無いのかと思っていた。なので適当な人間を捕まえると、それを聞いてみる。
「あの、何か作戦はありますか?」
「んん? そんなもんねぇよ。ただ俺たちは騎士たちのいるところに集団で突っ込んで、殺すだけだ」
統率が取れているのかいないのか、どうにも分からなくなってきた。フェルンは呆れたが、生憎にもこの場に知り合いなどは居ない。なので適当に捕まえた人間を解放すると、フェルンも支度を始めた。
とはいえ支度と言えど、剣の状態の確認で終わる。今のフェルンには、全てではないが全身を包む防具しかない。何かアイテムと言えば、クゥルで拾った回復薬二つのみ。これは勿体なくて使うことができなかった。得た金貨は防具に全て投資してしまったのだから。
なので回復薬二つの存在をこっそりと確認してから、金貨を一枚得た場合のことを考えた。やはり、魔法を使えるようになった方がいいのかもしれない。フェルンに魔法の適正があるのかは分からないが、もしも使うことができればバフを掛ける魔法を得たいと思った。クゥルで他の冒険者に掛けて貰った、身体能力を強化する魔法がとても便利だったからだ。あれを使えるようになり上手く利用すれば効率よく騎士を殺せるのではないのかと。
そうしていると他の冒険者たちが次々と見せから出て、ジャックが「行ってらっしゃーい!」と元気よく見送っていた。騎士討伐に向かうことが分かると、フェルンはその流れに入っていく。周囲を見れば銀色の首飾りをよく見かけた。フェルンもいずれかはシルバー階級になりたいと思いながら、前へ前へと進んで行く。流れに着いて行くと外に出た後に、クゥル方面へと歩いていく。それなりの人数が居て列は乱れているが、誰一人それから離れる者は居なかった。やはり皆、金貨が欲しいのか。
遂には街から出ると、草原がまばらにある道へと出た。そこからは他の冒険者が走って先に行く者がそれなりに居る。その中でもフェルンは歩く速度を維持しながらクゥル付近へと向かって行った。
クゥルまではそれなりに時間が掛かるが、途中にも騎士が居る。なのでフェルンはそれなりにまだ残っている冒険者と共に歩き進んで行く。周囲を見回すが、たまに魔獣を見かけるばかりで、騎士の姿は無い。なので溜め息をついていると、遠くに人間のような姿があった。他の冒険者もそれを捉えたらしく、目を凝らしてみるとそれは騎士であった。それも二人は居るが、生憎にもこちらは二人以上は居る。おおよそ、十人くらいか。
早い者勝ちだと思ったその瞬間に、他の冒険者たちは動いていた。騎士たちの元に走って向かい、剣を振るう。あっという間であった。騎士たちは集団に剣などでで突き刺され、鈍器で殴られる。蹂躙されていた。そしてすぐに首を切られるが、騎士の首は二つなのに対してこちらはフェルンを除いても約十人。当然のように、冒険者同士で争いが起こった。
「俺がやったんだぞ!」
「いや! 俺が!」
何とも愚かな光景だと思った。二つの首の為に、多数の大人が言い争っているのだから。すると一人が怒りのあまりに剣を再び抜くと、それを振るった。これを合図になったかのように、他の冒険者たちも武器を取り出す。何とも無駄な仲間割れが起きたのだ。
「金貨は俺のものだ!」
そう言って冒険者たちは仲間同士で戦っていくが、フェルンにそれを止められる力など無い。なので遠くから見ていると、次々と冒険者たちが地面に倒れていった。このようなことを、ジャックは予想しているのだろうか。分かっているのだろうか。そう思いながら、最後の二人に残るまでひたすら見ていた。
それぞれ一つずつ首を持ち上げられると、生き残った冒険者たちはゆらゆらと歩いて街に帰ろうとする。途中でその二人と目が合ったが、特に何もしてこなかった。気付けば、フェルンは腰を抜かしていたからだ。
ようやく一人になると、フェルンはよろよろと立ち上がってから死体の元へと歩いて行った。首の断面は綺麗に切られており、かなり切れ味の良い剣で切られたということが分かる。それにシルバー階級の冒険者であっても、騎士に勝てるのだとフェルンは学習した。つまり騎士の実力主義だというのは、かなり低いハードルでの話になる。すると騎士団の入団試験に落ちた自身が馬鹿馬鹿しく思えた。フェルンは入団試験に、落ちたのだから。
乾いた笑いが出ると、騎士団という組織がかなり小さく弱く見えた。そして剣を取り出すと、その死体を滅多刺しにし始めた。今までの、腹いせのつもりである。
死体は動かないことは当然なので勿論、甲冑でない部分から血がどんどん流れていく。そして肉には穴が開いていくが、それだけでは気が済まなかった。死体が着ている甲冑を剥がすと、まだ綺麗な肉の部分も剣で何度も何度も刺していく。気が付けばフェルンは返り血に塗れていたが、そのようなことなどどうでもいい。それよりも、この死体を剣で刺し続けていたかった。
しばらくそうしていると、近くから足音がした。見れば騎士が一人居て、こちらを凝視している。視線に気が付いたフェルンが顔を上げ、騎士の顔を見る。すると騎士の顔にどこか見覚えがあると思っていると、フェルンは瞳孔を開いた。あれは、フェルンの兄なのだ。死体に剣を刺すのを止めてから、次は兄をターゲットにする。兄もこの死体のように、滅多刺しにしたくてたまらないからだ。
「フェルン」
兄であるウェルは薄く笑いながらこちらを見る一方で、フェルンは鋭く睨んだ。目の前に居るウェルを殺せば、自身の復讐の道はこれで終わる。しかし、復讐を終えたら自身はどうするのかとふと考えてしまう。もう、家族も家も何も無い。そのような自身はもう、生きる希望も無い。
一気に絶望の渦に巻き込まれると、フェルンは膝を地面にどさりと着ける。そして悩み、迷い、後悔も混じり合った後に、フェルンは大声で叫ぶ。
「お前さえ居なければ!」
そう言った後に腰を上げてからウェルに斬りかかる。だがとても単純な動きをしていたが為に、簡単に避けられてしまう。舌打ちをすると、フェルンは次の攻撃に入った。剣を振るが直前で止めた後に足で腹を蹴ろうとする。流石にこの動きは予測していなかったらしく、足がウェルの腹に直撃した。ウェルの口から、唾液が飛んだ。
「やるな……お前」
「黙れ」
フェルンは冷たく言い返すと、剣を構え直した。そこでようやくウェルが携えている剣を抜くと、刃先をフェルンに向けた。フェルンのものよりもいい物らしく、刀身は輝いていた。刃こぼれが無く、表面は滑らかな銀色だ。
二人が同時に動くと、まずはウェルが剣を振るった。フェルンはそれを紙一重のところで避けると、息が切れ始めているのが分かる。剣を強く握り直してから、フェルンはもう一度ウェルを睨んだ。
「だが、そろそろ……死ね!」
ウェルがもう一度斬りかかってくると、フェルンは次は剣で受け流した。金属同士がぶつかり、そして甲高い音が聞こえた。うるさかったが、フェルンはそれがウェルの攻撃を受けていないことを実感する。そして遅れて金属同士がぶつかった際の振動が手に流れる。思わず、フェルンは口角を上げた。
ウェルの膝を着かせた際には、どのようにして殺してやろか。そう考えながらウェルと何度も何度も剣を交える。途中であまりの衝撃にフェルンは剣を手放しかけたが、口腔内を強く噛んでから自身を律する。
フェルンの剣からミシミシと嫌な音が聞こえ始める。フェルンの剣が、ウェルの剣に負けそうになっているらしい。まずいと思いながらウェルの剣をもう一度受け流すと、遂にフェルンの剣が折れた。
パキンという音と共に折れた刀身が地面に落ちる。フェルンは俯いてを見て、ひたすらに口を開けていた。すると頭上から「弱いな」という声と共に腹を刺された。地面に血しぶきが落ちた後に、それがどんどん大きくなっていく。
「そん……な……」
フェルンは戦う前よりも絶望すると同時に、地面にどさりと倒れた。ウェルの方を見れば、上にある太陽の逆光により顔が見えない。まるで、得体の知れない存在に負けたような気分になる。
だがフェルンは起き上がろうとした。ウェルを殺すことができれば、復讐は終わる。復讐により行動を支配されずに済む。
体を動かそうとしたが、縫い付けられているかのように動かない。悔しくなったフェルンは歯を食いしばろうとするが、そのようなことさえできない。刺された腹が痛いうえに、何もできない。
するとフェルンはそのまま、意識が底へと落ちていった。
※
「ん……?」
気が付けば、フェルンはまたもや見知らぬ天井を見ていた。意識が戻ったときには、すぐに辺りを見回す。するとここには見覚えがあった。アルデンという、酒場である。
「目ェ覚ましたかい?」
近くにはジャックがおり、腰に手を当ててこちらを見ているようだ。
「どうして……?」
「どうしてって、他の奴らが倒れていたらしいあんたを見つけて、ここまで運んで来たんだ。そいつらに感謝することだね」
ジャックが背を向けると、フェルンは「そうなのか……」と納得した後にとあることに気が付いた。がばりと起き上がってからジャックを追いかけようとしたが、腹部に激痛が走る。なので床で倒れてしまい、ジャックがそれに気付いた。ジャックが慌ててこちらに駆け寄る。
「寝ておきなって。傷は回復してないんだから。あぁ……お代? それなら後で頂くから」
「いや……」
「ん?」
フェルンはそのようなことはどうでもよかった。それよりも、知りたいことがあると、ジャックに質問をした。
「僕近くにいた、騎士は……?」
「騎士? そんなもん知らないよ。あんたを運んできた奴らに聞きな。あぁ、そいつらは今騎士狩りをしてるから」
ジャックに先回りをされたようだ。ここに運んできた者たちのことを聞こうと思ったのだが。なのでもはや溜め息をつくしかできないでいると、ジャックがそっと口を開く。
「……見逃してやったって言ってたよ」
「えっ……?」
「だから、あんたと戦っていた騎士を、わざと殺さないでいたってよ。あんたの獲物だと思ったって。ありがたく思いな」
するとフェルンの中で再び復讐の心が動き始め、体中に血がよく巡る感覚が生まれる。
「そう……ですか」
「あんたは、そいつを殺したいんだろう? それに、私はあんたをここで寝かせてる金を取らなきゃいけないから、きちんとやることをやるんだね。こっちも困るんだよ。ほら、さっさと寝な」
ジャックの言葉は荒いものの、どこか優しさがあった。突き放しているように思えるが、言っていた際の目はどこかへ泳いでいるからだ。そこでフェルンの怒りが一時的に鎮まると、穏やかな心が生まれる。
「はい……」
なのでフェルンは再び横になると、そのまま目を閉じて眠っていった。
本当は回復薬を持っているのだが、誰かにこうして生きることを望まれたのは久しぶりである。その嬉しさにより、使う気は失せていたからだ。
実は人を警戒するという心もあったのだが、ジャックには悪意のようなものが不思議と欠片も無いように思える。根拠など全く無いが、フェルンにはそう思えた。
再び横になって天井を見ると、眠気がやってきた。体はやはり休息を求めているのだろう。なのでフェルンはそれに体を委ねるように、再び眠っていった。
フェルンはまたしても夢を見た。内容は死んだ家族と共に日常生活を始めようとするものだ。まずは寝床から出て、朝の支度をしようとする。
顔を洗おうと水を貯めている桶に張ってある、水面を見た。そこでフェルンは悲鳴を上げる。水面には自身の顔があるが、映っているのは返り血に塗れた顔だからだ。これは、兄に再会する前に騎士の死体をひたすらに刺していたときだろう。周囲からはこう見えていたのか、とフェルンはおぞましいものを見るように水面から視線を外す。そして振り返ると、フェルンが滅多刺しにしていた騎士の死体が立っていた。
「うわあぁ!?」
声を上げると、フェルンは飛び起きた。寝汗を大量にかいており、とても気持ちが悪い。あまりの不快感に着ていた服を脱ぐと、腹には包帯が何重にも巻かれていた。
「はぁ、はぁ……!」
ふと周りを見れば、勿論酒場なので酒を飲んでいる者を複数見かけた。ここは酒場であり、利用客が居るのは当たり前だ。フェルンが溜め息をついて再び寝ようとすると、足音がした。その方向を見れば、ジャックが心配そうにこちらを見ている。
「……あんた、大丈夫かい?」
「はい……ご迷惑をお掛けしました」
見ればジャックの手には桶と布があった。その桶には水が張ってあるのかと思うと、フェルンは先程の悪夢を思い出して身構えてしまう。恐ろしい姿の自身が映っているかと思っているからだ。
だがジャックが桶を床に置くと、フェルンをそっと抱きしめ始めた。フェルンは突然に何事かと思っていたが、ジャックの体温や体の柔らかさは不思議と母に似ている。なので安心感が込み上げると、そのまま抱擁を受け入れていった。
しばらくの間ジャックの全てを感じていると、体が離れていく。フェルンは心寂しく思えたが、ジャックは母ではない。それに母は死んでいる。心の中で繰り返すと憎悪感は相変わらずあるものの、それに対する嫌悪感は無い。どうしてだろう、ジャックに触れてから、心がおかしくなった気がする。それに、今まであった復讐感が薄れてきた気がする。
「……私にもね、弟が居たんだよ。あんたくらいの年のね。思い出すからこれ以上は言わないけど、あんたはしっかり生きな。やりたいことがあるなら、尚更だよ」
「ジャックさん……」
フェルンはジャックの話を聞きながら、そのまま再び心地よく眠りに落ちた。
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