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 昨夜は風呂に入っていないことに気付いたが、どうやらリルンにとってはどうでもいいことだったらしい。朝になり起き上がってからベッドを覗いてみれば、既に起きていた。なのでよく眠れたのか聞いてみると、リルンが咄嗟に口を開く。 「……よ、よく眠れましたわね!」  目の下には濃いクマができており、眠れないことは一目瞭然である。それにリルンはどうやら、思ったことを口にしてしまうとが多い性格らしい。その後に言葉を付け加えた。 「あなたのせいで眠れませんでしたわ! 襲ってくるか心配で心配で……!」 「でも、そうは言っても、俺は襲わなかっただろう?」 「う……!」  唇を歪めたリルンは、言い返すことができなくなったので押し黙る。更に頬を膨らませて睨んでくるが、やはり可愛いとしか思えない。もしも今の姿が女子高生であれば、リルンの頭を撫で回していたところだろう。  それは脳内で留めておいて、今の姿では確実に警察案件だろう。想像したら恐ろしくなった優美は、体を弱く震わせる。 「ほら! 早くハイムに行きますわよ!」 「あぁ、その前に、朝飯を食わないか?」  優美がそう提案すると、リルンの腹から突然に音が鳴った。空腹知らせる腹の虫の鳴き声である。リルンが顔を赤らめながらも「違いますわ……!」と否定をするものの、もう一度腹の虫が鳴いた。優美は「行くぞ」と言い、一階の酒場へと二人で降りていく。 「いらっしゃ……フフッ」  ジョンが優美の顔を見るなりニヤニヤとするが、残念ながらと言うべきなのか特に何も起きていない。優美が「寝ただけだ」と言うが、ジョンの表情は変わらない。 「ちょっと! 何をしていますの! 朝食を食べると貴方言ったじゃない!」 「ん? 朝ご飯? 今用意するよ。そちらの可愛いお嬢さんのお名前は?」  厨房へと向かう為に、ジョンは服の袖を腕まくりした。そうしながら聞くと、優美の方が答えた。 「リルンと言って、ハイムのお嬢様らしい。親と喧嘩したから、帰す為に俺が同行することになった」 「えっ……リルン……? リルン・ハイム?」  ジョンは名前を聞いた途端に表情が固まり、そして次第に凍りついていく。リルンの家とは、名前を聞いただけで人を畏怖させてしまう所なのだろうか。優美はゆっくりとリルンを見るが「朝食はまだですの?」と呑気に聞くばかり。  なので優美はジョンに「リルンの家がどうかしたのか」と質問をしてみた。するとジョン口がどんどん重くなっていくような気がしたが、勘違いだろうか。 「ハイム家は、名前の通りにハイムっていう街を治めている地主なんだけど、少し前に、クーデターを起こした騎士たちに襲われて……」 「えっ……?」  優美はどうリアクションをすればいいのか分からなくなる。それが真実か否かどうか、どちらも信じたくはなかった。ふとリルンの顔を見ると、口をあんぐりと開けている。何かを言いたいらしいが、声が出ない様子だ。  しかしジョンの言うことが全て嘘だとは思っていない。真面目に働いてこうして優美たちを宿屋としても、もてなしてくれるからだ。なので優美はそこから自然と真実と聞き入れる。 「そうなのか……だが、俺たちには……」 「行きましょう! ナグモ! 敵を取るのです!」 「……えっ?」  やがてリルンは枯れた葉のように顔がしなびていくかと思った。しかし優美の予想とは逆に、復讐のようなものを燃え上がらせている。同時にジョンもだ。優美はある意味で拍子抜けしてしまう。  動揺した優美はリルンとジョンの顔を交互に見る。両者とも、まるで戦いに挑むかのようだった。優美がオロオロと、まずはリルンをなだめようとしていた。一番精神的にショックなのは、リルンだからだ。だが雰囲気は変わらないまま、優美に話しかけてくる。 「ナグモ、ハイムに居る騎士たちを倒して来て下さいまし! 貴方を指名するわ! 報酬は金貨百枚よ! さぁ、行って来なさい!」 「え、えぇ……」  背中をバシバシと叩かれ、そう促してくる。すると他の利用客も居て、それが聞こえたらしい。娯楽を目にしているかのように「行ってやれよ!」と叫んでいた。相手は騎士たちだということを、分かっているのだろうか。 「だが……」 「言い訳は聞きたくありませんわ! 私はナグモの実力を知っています、貴方なら、できると……」  途中でリルンの瞳から涙がこぼれ落ちてきた。今までのは虚勢であり、辛くとも隠していたのだ。しかし、これ以上は耐えられなくなったのだが。  周囲が静かになると、視線はリルンの元へと集中していく。 「ナグモ」  名を呼ばれると、優美はリルンの顔をしっかりと見た。年相応の泣き顔をしており、泣きじゃくっている。お嬢様と言えど、優美からしたら一人の女の子だ。そっと近寄ると頭を撫でて頷いた。 「分かった。その依頼を引き受けよう」 「ナグモ……!」  遂にはリルンは鼻水を垂らしている。優美が何か拭き取る物が無いか探していると、ジョンがそっと清潔な布を差し出してくれた。それも優美の手の上に乗るが、このままリルンに渡して欲しいということらしい。  優美がそれを受け取ると、リルンに差し出した。そっと手に取ったリルンが顔を拭き始めるが、すぐに拭き終えたらしい。目や鼻が腫れており、まるで兎のように可愛らしい。しかしそれを口にしてはリルンが怒るので、優美は何も言わなかった。 「それにナグモ、私は家族が死んだとは思っていません。生きていると信じています。なのでここに、必ず連れて来て下さい」 「あぁ、分かった」  リルンと改めて約束をすると、優美は早速にハイムという街へ行こうとした。これは、何よりも優先すべき事柄だと思ったからだ。自身の借金やここに来た目的など、今はどうでもいいのである。  ここからではクゥルという街を経由して二日くらいは掛かるらしい。地図や食料などを渡されたがかなり距離があるように見える。  だが今の優美であれば、ずっと走っていられる気がした。なので「なるべく早く到着するように努力する」と。そう宣言してから、優美はこの街から出ようとした。そこで、この街の名前を今更ながらにジョンに尋ねる。 「……そういえば、この街の名前はフィアでいいんだな?」  地図を見るが、現在位置がマークアップされていなかった。肝心のハイムの場所にはきちんと印がつけてあるのだが。 「えっ、知らなかったの? ここの名前は言う通りにフィアだよ」 「なるほど、フィアか。ありがとう」  礼を述べると、優美は酒場から出ようとした。そこでリルンから強い視線を感じたが、心配してくれているのだろうか。優美はリルンに手を軽く振るが、ぷいと視線を外された。照れているのだろうか。なので内心で笑い返した後に、酒場から出た。  するとどうやらまずは向かうべき場所であるクゥルの方面から、雨雲のようなものが見えた。どうやら、向こうでは雨が降っているらしい。  傘などは存在しないが、今の姿では濡れてしまってもどうでも良い。どうせ、今はおじさんなのだから。  街から出ると、優美はまずは軽く走ってみた。甲冑や大剣の重さにより走りづらいということは無かった。まるで半袖半ズボンで、スニーカーをはいているような心地である。なので優美は更に早く走り、クゥルへと向かっていった。  道中で魔獣は山賊などに出くわしたが、優美の相手にすらならなかった。いわゆる瞬殺をしていおり、あまりにも敵が弱すぎたのだ。だが油断は禁物、と優美は周囲に警戒しながらクゥルへ走って行く。  そうやって早く早くと思っていると、足が跳ねるように動いてきた。次第に走る動きが消えていき、体が跳躍運動へと変わっていく。つまりは、優美は長距離でのジャンプをしているのだ。一つ一つの動作毎に地面を強く蹴るので、ズドンと大きな音が響く。たまたま通りかかった商人や冒険者は勿論、敵となる魔獣と山賊はその光景を見ておののいていた。人間ではない生物に見えたからだ。  優美はそのようなことも知らず、長く大きいジャンプを繰り返していた。疲れの色は全く見えず、まだ体力に余裕がある。空を見れば雲に覆われていた。気が付けば夜である。だが遠くに街のようなものが見えることから、もうすぐクゥルに着くことが分かった。道の途中にある看板に「この先クゥル」と書かれていたからだ。  つまりは優美はおおよそ一日でフィアからクゥルに辿り着いたことになる。しかし肝心のハイムへはどれくらい掛かるのか、一旦立ち止まってから地図を開いて確認した。するとクゥルからハイムへはそこまで距離が無いらしい。しかしそのハイムと近い距離にあるクゥルは、大丈夫なのだろうかと思った。現在のハイムは反乱を起こした騎士団の拠点になっているのだから。  跳躍から普通に歩く動作へと戻していき、クゥルへと近付いていった。歩幅が大きいので、徒歩でもかなり速い。気が付けば街の近くに着いており、同時に空から雨粒が降ってくる。そういえば雨が降りそうだということを思っていた。しかし元から濡れるつもりで居たので、優美は構わずそのまま歩いていく。  街に入ったのはいいが、人気がない。それに寂れた建物が多く、本当に街なのかと思えた。もしかしてここも騎士たちの拠点の一つになってしまったのだろうか。優美が身構えていると、背後から気配がした。それも複数あり、優美は巨大な剣を手に取り立ち止まる。 「かかって来い」  前を見たままそう言い放つと、複数の気配が一斉に動き出した。背後から様々な方向に散らばることを感じ取った優美は、一番近くに来た気配の方へと向く。そして優美は単純に剣を振り上げた。見事に何かが引っかかった感覚があり、持ち上がってから地面へとずしゃと肉や骨が落ちる。見れば人ではあるが、騎士ではないようだ。だが今の優美に罪悪感など無い。寧ろ人を殺したことにより興奮状態になっていたのだ。  全ての気配の動きが止まり、様子を見ているようだ。或いは、優美の人離れした動きや力に怯んでいるのか。  雨により剣に付着していた肉片が落ちた。どうやら臓器も巻き込んでいるが、汚物を見るかのように剣を振って地面に落とす。肉片は見事に地面に落ちたかと思うと雨や泥で濡れていった。  ふと気配を探られているのが不快になった優美は、複数の気配の方へと歩き出す。建物などの障害物があろうが、優美はどこに何人居るのかが分かっていた。まるで脳内に監視カメラ映像を映しているかのように。  地面に一つ一つの足跡をつけ、優美が歩いていると一つの気配がこちらに来るのが分かった。なのでその瞬間に剣を振り上げるが、上手く避けられたようだ。無意識に舌打ちをしていると懐に小汚い格好をした男が懐に入り、剣を振ろうとしていた。それに気付いた優美は自然と体が動き、剣を持っていない手で男の顔を殴る。めしゃ、と音が鳴った。そして直後に男の瞼から目玉が飛び出し、頭蓋骨が割れてそれが皮膚を裂いていく。血や脳が飛び出ると、男の体が一瞬のうちに地面に倒れてしまう。返り血を浴びたが、雨によって流された。  すると複数の気配が逃げるように優美から離れていった。やはり、あまりの力におののいたからなのか。  溜め息をついた優美は剣を構えるのを止めると、遠くに明かりが見えた。あれは間違いなく人間の文明の象徴である。それへ向かって歩き出す。どうやらここは、クゥルという街の中心部ではないことが分かったからだ。  背後からは複数の気配が追いかけている様子はない。優美は気を抜きながら、十数分歩くとようやく明かりのある場所に入った。途端に視界が明るくなり、人の賑やかな声がする。中心部へと無事に到着したようだ。しかし先程の場所はどうして存在するのかと首を傾げた優美だが、この世界に長居するつもりはない。思考を地面に捨ててから、自身の目的のことを考える。今は早くハイムに行き、リルンの家族を助けなければならないと。  優美は雨など気にしていない。同時にすれ違う人々に凝視されるが、それもどうでも良かった。なので上からも横からも来る線を浴びながら、優美は中心街を通り過ぎた。次は先程のような治安の悪い地域ではなく、畑などが広がる平地だ。優美はそれを眺めながら、クゥルという街を出た。ようやくハイムに着くことになるが、この先は優美よりも強い者が居るのかもしれない。だがこの雨では視界が悪いが、敵も同様なのだろう。今がチャンスだと思い、遠くを見ながらハイムの輪郭を探していく。 「あれか……」  視線でハイムの輪郭をようやくなぞることができると、優美は鋭く睨んだ。騎士がどれくらい居るのかは分からないので、改めて警戒をしていく。視界一杯がハイムの街に覆われたところで、何かが飛んで来る気配があった。優美は素早く避ける。  数センチ離れたところで、地面に矢が突き刺さった。どうやら、相手は優美の存在に気付いたらしい。軽く笑った優美はその矢を手に取ってから、矢が来た方向へと返すように投げた。数秒後には人の断末魔が聞こえてきたが、きちんと頭部に命中したらしい。  優美は心の中でガッツポーズすると、剣を取り出した。二度も三度も矢を避けるのが面倒になったからだ。それに再び矢を返すのも手間なので、剣を盾にして進んでいく。この剣ならば、矢など小枝のように弾いてくれると信じて。  やはり、この剣で矢を防ぐことができるらしい。折れた矢を足で踏みながら、優美は街に入っていく。すると数人の騎士が目の前に現れた。皆返り血に塗れており、虐殺を尽くしたのか。だがまだリルンの家族は生きていると信じ、体を剣で隠すことを止めた。騎士たちの前に堂々と立つ。 「相手をしてやる」  まだおじさん歴が短いので、戦う際の語彙力が無い。どこかで学ぶ機会があればと思ったが、そのようなことをどこで学べるのか。優美は内心で首を傾げた後に、剣を構える。すると複数の騎士たちが走ってきた。甲冑が揺れる音が響く。  雨が未だに止まない中で、優美は狙いを定めた。どう剣を降れば、いかに合理的に殺すことができるのか。そう考えながら、騎士たちの動きを見た。  どうやら騎士たちは不様にも横に一列に並んで、そしてこちらに向かってきているらしい。優美がそれを見るなり、剣を構え直した。 「おらぁ!」  騎士たちが近付いてきたその瞬間に、優美は剣を横に振った。見事に端に居る騎士に命中し、隣の騎士の方へと倒れていく。その連鎖を作った優美は、こちらに来た騎士たちをたった一振りで倒していった。倒れた騎士が呻くように「人間じゃない……」と言うが、その口を黙らせる為に剣で顔を殴った。顔がぐしゃぐしゃに潰れた後に、すぐに息の根が止まる。  他の騎士たちがそれを見ると失神する者や、それにショック死のような症状を起こした者も居る。しかし優美はそれにはお構いなしに、どんどん進んでいった。ハイムという街は小さいのか、すぐに中央広場のような場所に辿り着く。途中で騎士たちの気配が無くなっていた。逃げたのだろうか。 「リルンの家族はどこだ……」  ふと出発前にリルンの泣き顔を思い出した優美には、怒りが込み上げていた。この世界に来たばかりで何も知らなくとも、騎士たちの行為は愚かだと。理由がどうあれ、この力の限りに騎士たちを倒したいと思った。  しかし、リルンの家族を救った後はどうするのか。見える範囲で報復でもするのか。それでは、最終的には騎士たちと同じ末路を辿るのかもしれない。優美の中でそのような思考が生まれるが、今はそのような確定もしていない未来のことを考えるのを止めた。  広場の中央には高さのある噴水があるが、人々の死体が積んであった。粗末な扱いに優美は改めて怒る。そうしているとどこからか何かが飛んでくるような気がした。屈んで避けると、空中で何かが爆発した。爆弾を、投げ込まれたのだ。  次第にやり方が卑怯になっていくのを感じた優美は、飛んできた方向を睨む。そこには、怯えている騎士が一人居た。まさか避けられるとは思っていなかったらしく、立ち尽くしていた。  それを見た優美の中に、悪辣の火が点る。 「待ってて……」  ついおじさん口調を忘れてそう呟くと、その騎士の元に向かう。優美はその騎士に、尋問をしようと思ったのだ。剣を握る力を強くしながら。 「ちょっと聞きたいが、いいか?」 「ヒィッ! 来るな……!」  優美がゆっくりと歩みを進めていく度に、騎士が一歩ずつ後ずさる。距離が相変わらず縮まらない中で、優美は低い声で騎士に再び話しかけた。 「この街を治めている家を知らないか? 俺はそこに用がある」 「家……? し、知らねぇよ……!」  騎士の声は明らかに動揺していた。言葉とは反対に、知っているのだろう。そう確信した優美は歩幅を広めた後に、騎士の目の前に立った。騎士とは身長の差がかなりあり、今の姿の優美の方が目線が上だ。なのでじっと見下ろす。  睨みつけてみるが、騎士は吐こうとしない。なので優美は怒りが更に高まり、興奮状態に達した。そこからの思考は、とても乱暴なものである。 「本当に知らないのか?」  そう言って騎士の腕を掴んだ。甲冑に包まれた体がびくりと動いたこと確認しながら、肘の部分を上げて離した後に剣を振った。騎士の片腕を、金属から骨まで切断したのだ。何が起きたのか分からない騎士は数秒だけ呆然とした後に、悲鳴を上げる。腕が無くなったことによる痛み、そして絶望の感情を出しながら。 「腕がぁあ!? うわぁ!?」  竦んだ騎士は切れた部分を片手で押さえながら、地面をただ見る。そこには腕から血がどんどんと流れてきており、このままではあまりの出血量により死んでしまう可能性があった。だが優美はそれを黙って見るのみ。  ようやく騎士が顔を上げて助けを求めて来たが、優美は鼻で笑う。 「早く答えろ」 「知らないって……! もう、ここを拠点にするのをやめたんだ! 俺はそれしか知らない! 他の奴らは、どこかに行っちまったんだよ!」 「なんだと?」  騎士の言葉に、優美は眉を寄せた。この街を拠点にすることを止めた、つまりは次は他の場所がターゲットとなるということだ。聞き捨てならないことを聞いた優美は更に質問をしようとしたが、騎士の意識がいつの間にか無くなっていた。死んでしまったのだ。  舌打ちをした優美は、辺りを見回す。街であるのに異常な程に静かであり、道などには血痕や死体がそこら中にある。これを全て、騎士たちがやったのだ。反乱を起こしたことは分かるが、何故ここまでするのか。この国に王が居るならば、何をしているのか。  優美の頭の中で考えが巡っていった後に、ここに来た目的を忘れてはいけないと溜め息をついた。  するとふと見た方向に大きな建物があることに気付いた。この街を治める立場なら、あれくらいに大きな家を持っていて当たり前だろう。そう考えた優美は、その建物のある方向へ歩き出す。  距離からして、一キロメートルはあったのだろう。それなりに歩くと、建物の門の前に立つ。しかし門は既に開けられており、煉瓦でできた建物や道も街同様に汚れていた。なので優美は急いで門を潜ってから、建物に入る。  屋内は正に豪邸そのものだったが、相変わらず人の気配が無い。現に、街中で感じていたような複数の気配が無いからだ。部屋が沢山あり、優美は全ての部屋を確認していく。リルンの家族を助ける為に。  全ての部屋を確認し終えたが、どうやらこの家は二階建てらしい。優美は階段を急いで上がると、全ての扉を開けていった。 「なっ……!」  そこで寝室らしき部屋に入ると、ベッドの上に男女のものと見られる二つの死体があった。どちらもむごい殺され方をされたのか、体の一部が原型を留めていない。これは全て、騎士たちによる仕業なのだろう。いや、間違いない。  拳をぐっと握りしめると、リルンを更に泣かせる羽目になり悔しくなる。まだこの世界に来たばかりであるというのに、助けてあげられなかったことを恨んだ。 「ごめんね……リルン……」  顔を歪めた優美は部屋を後にするとフィアに帰るべく、この家を出た。二度と、振り返ることもなく。その頃には雨が止んでおり、陽が昇っていた。まばゆい空を、優美は見る。  ハイムから出ると、まだ残っていたらしい騎士たちが居た。揃って皆、草食動物を見た肉食動物のような顔をしている。しかし優美にとっては、馬鹿としか思えなかった。涼しい顔で返り討ちにすると、わざと死ぬ直前で攻撃の手を止めるとまずはクゥルに向かう。  クゥルまではかなり距離がある。優美はまだ疲れていないのでどんどんと歩いていき、歩く速度がどんどん上がってきていた。早くリルンに報告しなければ、と思いながら。  道中でやはり魔獣や山賊と出くわしながらも、クゥルへとようやく辿り着いた。しかしフィアに向かう前に、ギルドに報告しなければと思ったので立ち寄ることにする。  この街のギルドに行くのは初めてだが、ふと見た依頼の貼り出されている掲示板に珍しいものがあった。それは、人を殺す依頼なのだ。フィアには全く無いそれに驚きながら、冒険者証を取り出してから受付の女に話しかけた。 「ハイムに行ってきた。騎士たちは他の場所に移動したらしい。多分、取り逃がした残党が居ると思う」  そう述べると、受付の女が真剣に聞いていた。そして聞き終えると礼を述べられた後にギルドを出ようとした。そこで受付の女が話しかける。 「ハイムの街に、茶髪のまだ男の子の冒険者を見ませんでしたか?」 「茶髪……? 見ていないが」 「そうですか、ありがとうございます」  優美は首を傾げかけたが、フィアに急いで帰らなければならない。なので特に気にしないままでギルドを出ると、クゥルから離れた。  フィアまでは、行きと同様に跳躍運動を連続させながら向かった。走るよりも、こちらの方が早いからだ。ただし、人によっては不審に見られるのだが。  行きと同様にほぼ一日をかけてフィアに辿り着く。その頃には夜になっていたが、そこでフィアの治安の良さに気付く。そういえば、クゥルのように廃れた建物などほとんど無いからだ。だからリルンはクゥルではなくこの近くまで来たと思うと、納得がいく。  宿屋へは全力で走ると、ものの数分で到着した。扉を勢いよく開き「リルン!」と叫ぶ。酒場を利用していた人々から一瞬だけ注目を集めていると「ナグモ!」と声がした。リルンの声だ。優美はその元へと一目散に向かっていく。  見ればリルンの目は未だに腫れており、眉がぐいと下がっていた。ずっと、心配して泣き続けてくれたのだろうか。優美はすぐにリルンの姿を確認すると、小さな体を思わず抱きしめる。 「ただいま、リルン」 「おかえりなさい、ナグモ」  体に触れてしまい、リルンが怒るかと思ったがそうでもなかった。まるで受け入れられているかのように、そっと抱きしめ返してくる。胸の膨らみが当たる感覚があったが、甲冑を着ているので当たったということしか分からない。しかし優美はそれが嬉しかった。ここまで、心を開いてくれたのだから。体はおじさんだが心は女子高生なので、深い友情が生まれたという意味で。優美は自然と微笑む。  ジョンを含めた周囲がヒューヒューと野次を飛ばしてきた。そこでリルンは自分がしていることにようやく気付けたらしい。素早く体を離すと、優美の体をリルンとしては精一杯押し退けた。 「かっ勘違いしませんことね! これは、ほんのちょっと褒めただけですわ!」  リルンがあまりの恥ずかしさに顔を赤くしたが、その後に「父上と母上は?」と訊ねる。すると優美の顔が凍りつき、同時に周囲は何があったのか察したらしい。静かになると、二人の方から視線をそっと外す。皆、ほぼ同時にそうしていた。 「ご家族は……」  優美はリルンのことを直視できなくなった。目の前に居る彼女を、再び泣かせてしまうかもしれないからだ。なので口ごもっていると、リルンが瞳から涙を落とした。それは滑らかな頬を伝うと、顎にまで達していきそのまま床にぽたぽたと落ちる。床から音がする度に、優美の中で後悔が渦巻いていく。行かなければよかった。リルンからの頼みを断り、生死不明のままにしておけばよかったと。  そう思っていると、リルンがそっと口を開いた。 「やはり……そうなのですね……」  一瞬だけ言葉に疑問を感じたが、つまりはリルンは半ば諦めていたということになる。優美がハイムに行っている間に諦めたのだろう。だから、ずっと泣き続けていた痕が存在しているのか。  合点がいった優美は静かに頷く。そして一人になりたい気分になったので部屋に戻ろうとしたが、その前に懐から金貨を一枚ジョンに渡した。リルンの部屋の代金である。 「これはリルンの分だ」  そう言って、優美は部屋に戻るとしっかりと鍵を閉める。そして床に座り込むと、いつの間にか眠ってしまっていた。
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