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「ムスターク。元の世界に還る方法がないことは分かっている。下手な駆け引きをするもんじゃない」  スックと立ち上がると、俺は自分に魔術をかける。薄汚れたボロ切れの囚人服は消え、暗黒龍の鱗で出来た鎧が首から下を覆う。俊敏性と防御力、機動力に優れた最高の装備だ。続けて、暗黒龍の飛膜を素材とした赤黒いマントを纏う。 「さて……初陣といくか」  暗黒龍の爪を加工したブーツが、カツンと小気味良い足音を立てる。手をかざすこともない。一瞥しただけで、鉄格子がグニャリと歪んだ。 「オーガネスっ……お前は、何者なんだ……!」  ムスタークが後退る。おいおい、声が震えているぞ。なまじ知識ある賢者様は、知識で測れないものには恐怖を抱くらしい。 「オーガネス? 最初に名乗っただろう。俺は、大鐘龍太郎(おおがねりゅうたろう)だ」  牢を出て、ムスタークの正面に立つ。並んで立てば、俺の方がやや長身だ。グッと身を乗り出して見下ろしてやれば、相手はビクリと身構えた。 「なぁ、ムスターク。アンタら異世界人ってのは、全く脳天気だと思わないか? アンタらの都合で、これまでの人生を奪われたってのに、なんで命がけでアンタらを助けなきゃならないんだ? アンタの王様に伝えておけ。俺には魔王もルテリアも関係ねぇ。この世界は、間もなく恐怖に蹂躙される。それは、これまで理不尽に浚われてきた、あっちの世界の人間達の恨みだと覚悟しやがれ!」  強張ったまま、ムスタークはなにも言い返さなかった。俺は彼を置き去りにして、薄暗く狭い地下通路を進んだ。突き当たりの螺旋階段を上り切ると、兵士の詰め所の前に出た。 「誰だ、貴様はっ!」 「おいっ、止まれっ!」  当直の兵士達が俺の姿を見留めて色めき立つ。スラリと剣を抜く気配を感じ――。 「止めておけ。お前らじゃ、相手にならん」  斬りかかって来た兵士達は、そのままの姿勢で奥の壁まで弾き飛ばされていった。化け物、という怯えた呟きを耳が拾う。思わず口元が弛んだ。ああ、そうさ。俺を化け物に変えたのは、アンタら異世界人だろう?  通路の先には、両開きの扉があった。外の光が細く差し込んでいる。両手で扉を押し開けると、白い光が……眩しい光が俺を包み込み――。  リンゴーン……リーンゴーン……  遠くで、鐘が鳴っている。 『龍太郎さん、一緒に幸せになろうね』 『そうだね。俺は、華那(かな)ちゃんとお腹の子どもを、ずっとずーっと守っていくからね』  扉が完全に開く前に、祝福の光の中で最愛の伴侶と微笑み合う。そうして、一歩踏み出したとき――。  暗転して、俺だけがこんなクソッタレの異世界に引きずり込まれていた。  リンゴーン……リーンゴーン……  女神ルテリアを祀る聖教会の鐘が鳴っている。それは、魔王軍との戦闘を控えた聖騎士団の武運を祈る儀式(ミサ)の証――いいや、死者を弔う嘆きの鐘だ。 「せいぜい祈るがいい」  マントをバサリと翻すと、一瞬で暗黒龍と同じ双翼に変わる。王城の上空高く舞い上がる。俺は東の果て――タンタル湖を目指して飛び続けた。  そうそう。もう1つ、皮肉な話があったな。  元の世界に戻る方法を探すために、俺は黒魔術の中でも禁忌とされた暗黒呪術にまで手を染めた。魂を闇に落としても還れないことが明らかになったとき――俺の元に魔王軍からスカウトがやって来た。大きな山羊角の頭で、赤い蛇を尾に付けた黒い獣だった。ソイツは、床にへたり込んでいた俺のすぐ側にしゃがみ、黄金の瞳をニタリと細めた。そして絶望の涙に濡れる俺の頰をベロリと舐めると、耳元に囁いた。『この境遇に不満があるなら、いつでも仲間に迎え入れてやる』と。それは、俺を都合良く利用するための甘言で、魔王の策略だったのかも知れない。それでも――たとえ罠でも構うもんか。それくらい、俺の絶望と憎しみは深い。  もうすぐ、この世界は、かつてないほどのパニックに見舞われる。思い知れ、異世界人どもめ。 【了】
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