【私のお母さんの一生】

2/4

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
玉子(たまこ)は長崎県の山のいただきにある農家の家で産まれた。 歳の離れた兄……一郎(いちろう)二郎(じろう)三郎(さぶろう)の次に産まれた女の子。 玉子(たまこ)の両親も兄たちも、これはめでたいとどんちゃん騒ぎ。 玉のような子だということで『玉子(たまこ)』と名付けられたのだ。 玉子(たまこ)が住む山のいただきの家の周囲には一軒も家がなかった。 山の所有者は両親だ。 玉子(たまこ)は兄たちと共に小学校・中学校ともあまり行かず、兄たちは父親の漁業を手伝い、玉子(たまこ)は母親の農業を手伝ってすくすくと育っていった。 玉子(たまこ)が中学生の時、兄たちは高校も行かず、本格的に父親の漁業を本業にしていた。 父親と兄たちがとってきた魚介類と母親と玉子(たまこ)がとった農作物は、父親が軽トラに乗せて山のすそ野に広がる街へと売りに行き、玉子(たまこ)一家(いっか)は生計を立てて暮らしていた。 贅沢(ぜいたく)はできなかったが玉子(たまこ)は、この暮らしが楽しくて仕方がなかった。 そして玉子(たまこ)は母親の跡を継いで農業をしたいと思っていた。 それは玉子(たまこ)の願いでもあった。 しかし両親はそれを良しとしなかった。 そして玉子(たまこ)は願いも(むな)しく中学校を卒業すると、両親と兄たちに見送られ、愛知県名古屋市に向かう電車に乗って就職斡旋(しゅうしょくあっせん)をする団体へと向かったのであった。 「お父さん!お母さん!一郎兄ちゃん!二郎兄ちゃん!三郎兄ちゃん!元気でね!!!」 玉子(たまこ)はトコトコと揺れる車窓から身を乗り出し、泣きながら、いつまでもいつまでも……家族に向かい手を振ってそう叫んでいた。 当時の長崎県では学力のない玉子(たまこ)を受け入れてくれる企業はなかった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加