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五月晴れの空の下、快音と共に小谷さんの打球が三遊間に飛んだ。
校庭で行われている球技大会。私たち中学二年生女子の種目はソフトボール。順調に試合が進み、今は決勝戦。試合の終わったクラスの人たちもこの試合を見にきている。
小谷さんの打球は、川に石を投げて遊ぶ水切りのようだった。地面を鋭く跳ねて進む難しそうな打球。にも関わらず、レフトがキャッチした。
が、小谷さんはその時すでに二塁に到達していた。4対3の一点を追うゲームで、得点のチャンスにクラスメイト、もといチームメイトは歓声を上げて沸き立つ。
そんな中私は、まるで短距離走の選手のように速い小谷さんの走り方に啞然としていた。
「宮本さん、頑張って」
その声にハッとする。チームメイトの面々が期待を込めた目で私を見ていた。打順が回ってきたのだ。9回の裏2アウトのこの大事な場面で。
無理無理無理……
くじ引きで決めた打順。三番目に打つことになったけど、私はソフトボールをこの球技大会までしたことなかったし、プロ野球すら見たことなかった。
震える手にバットを手渡ししてくれる由香里が、
「練習通りだよ」
と、声を掛けてくれた。
球技大会の種目がソフトボールだと知ったとき、全く知らないことを由香里に相談した。
「じゅあ、教えてあげる」
面倒見のいい由香里がソフトボール部の小谷さんたちにも声をかけ、お昼休みに練習をすることにしてくれた。
放課後はクラブ活動で校庭は使えないのだ。だから、お昼休みにキャッチボールや打ち方を教わっていると、
「え、お昼休みに練習しているの?」
他のクラスメイトもやってきて、みんなで練習することに。
それが、決勝戦まで進めた理由かもしれない、けど……
昼休みにちょっと練習したぐらいで、この場面で打てる?
竦む足をなんとか動かし、バッターボックスに。
二塁にいる小谷さんと目が合う。小谷さんは大きく頷いた。
いや、頷かれても。
彷徨う目線がピッチャーの笑みを捉えた。
げ、相手は次のバッターが私だと知って笑ったんだ。簡単に抑えられると思っているんだろうな。彼女とは去年、同じクラスだった。私が運動音痴なのを知っている。いや、彼女だけではない。キャッチャーも他の守備の人たちも、きっと……
悔しい。なんとしても、食らいつきたい。教えてもらった通り、バットを短く持って構える。その手に力が入った。
彼女が笑みを浮かべながら、ボールを投げる。曲がる軌道。
うわ。耳に当たる。
咄嗟にピョンと後ろに飛んで避けてしまった。当たればデッドボールで塁に出られたのに。
後悔が浮かんだ瞬間だった。構えたまま後ろに飛んだ私のバットにボコっと衝撃が伝わる。
へ?
ボールが当たったのだ。
ポテポテ、と当たったボールがスピードもなく転がり、地面に止まる。ピッチャーからも、キャッチャーからも離れた微妙な位置。
「走れ!!」
由香里の声。
うわっ!
我に返って、走り出す。同じように、由香里の声でピッチャーとキャッチャーがボールを拾うとする。反応が遅いかも。
その間に無我夢中で走った。必死だった。けど、決して格好のいい走り方じゃない。ドタバタとした走り方。
だから、ピッチャーは簡単に私を刺せるとふんだのだろう。ファーストにボールを投げてきた。
一塁がやけに遠い。スタートが悪いんだ。ホームベースを一歩後ろに避けた地点から走ることになったのだから。間に合うか。ボールがファーストに。
うわ、アウト?
一塁地点で判断できずにいると、
「走れー!!!」
チームメイト全員の大合唱。
何?
走りながら見ると、ファーストが転がるボールを追いかけている。ピッチャーからの送球を受けられなかったの? 送球するのは小谷さんの走る三塁側、とファーストは思っていたのかな。
兎にも角にも、私はドタバタと二塁に向かう。自分の足音と、心臓が早鐘を打つ音が耳元でこだまする。そこに割り込むように、チームメイトの歓声が聞こえた。
え? え?
疑問を抱えたまま走った。
やっとの思いで二塁にたどり着いた私。小谷さんがホームベースに到達していたことを知る。4対4の同点。さっきチームメイトが歓声をあげたのは、これだったんだ。私は膝に手をついて肩で息をした。
ピッチャーがガックリしている。ファーストが両手を合わして頭を下げ、ピッチャーに謝っている。
打った本人ですら訳の分からない棚ボタみたいな打球だった。きっと相手チームは思いがけないことにパニックになっていたんだ。私も訳がわからなかった。パニックになっていた。それがこうして無事に二塁にいる。
そうか、これは棚ボタじゃない。
当たったのは棚ボタかもだけど、あのとき由香里が、一塁のときはチームのみんなが「走れ」って言ってくれた。パニックになっていても、やるべきことができたのは──
同点に沸き立つチームメイト、もといクラスメイトを見る。
練習に付き合ってくれたのも、この人たちだ。このクラスになって良かった。
バッターボックスに、次の打順の人が入る。彼女と目が合う。彼女が大きく頷いた。私も頷き返す。
どんなに遅い走りでも、絶対にホームベースに帰る。
私の心は「無理」っていう思いよりも、教えてくれたクラスメイトに報いること、それだけで一杯になっていた。
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