第三章1

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第三章1

第三章 1 「行くよ」  リュカがいつもの麻のジャケット――どう見てもどこかのお屋敷に使える馬丁のような姿で、朝食のパンにバターを塗っていたエリーヌに言った。 「行くってどこに?」  今日は天気もいいし、上流階級の人間が集まる公園あたりをうろついて、王子の窮状と彼が噂通りの人物ではないことを証明してやろうと思っていたエリーヌは温かいミルクの湯気の向こうにいる人に首を傾げる。 「どこって王宮に決まっているだろう?」 「リュカ!」 「なにを驚いている? エリーヌ? 僕の呪いを解くには、王宮に行かなければならない。いくら社交界に出たって貴族たちを怖がらせるだけなんだから。君だって見ただろ?」  呪いの元凶は確かに王宮にある。  公園でいくら自分たちの姿を見せても貴族たちは確かに納得しないだろう。 「わたしたちには味方がいないわ」 「でも敵にならない人なら知っている」 「誰?」 「父上だ」 「陛下? でもご病気だって……」 「その病気も怪しい。でも僕はそれに薄々気づいていながら、怖くて何もしてこなかった。でも僕ももう十三歳の子どもじゃない。摂政君から父上を助ける」 「じゃ、やっぱり摂政君が――」  確かに王が病気になり第一王子が引きこもって一番利益を得るのが摂政君、ドーク卿だ。しかも第二王子と娘が結婚すれば、さらに権力は堅固なものになる。神官などと言ってもかなりの俗物で有名だから、自分の都合のいいように神託を並べても不思議はない。 「分かった。呪いを解きにいきましょう、リュカ」 「俺も行く」  オノレもまた手を上げる。これで決まりだ。どうなるかは分からない。それでもなにも恐れる必要はなかった。もうすでにどん底だ。これ以上、悪くなりようがない。エリーヌは帽子を片手に持つと、ブルーのリボンを結んだ。馬車はない。馬もない。徒歩で王宮に向かう。靴先は少し破れていて親指が見え隠れしているけれど、恥ずかしがってもいられない。 「行こう、エリーヌ」 「ええ」  リュカの手をエリーヌは取った。  とはいえ、王宮は遠い。すでに二マイルは歩いているが、影も形も見えない。それでも、不思議なことに、幽霊屋敷に住む呪われた王子が屋敷を出て王宮に向かっているのだと聞いた民たちが後ろから付いて来た。兵士たちも「王宮の門をくぐれるか否か」で賭けを始めたので、民たちも真似て金のやりとりを始め、なんだか分からない行列となって、人が人を呼んで結局二百人以上がエリーヌたちの後ろを、少し距離を置きながら付いて来た。 「呪われている王子だと聞いていたから、目が三つあるかと思っていた」 「おれが聞いた話だと瞳が山羊みたいな金色で横に裂けているって」 「少し思ったのと違うな」  庶民の男たちはそう評し、女たちの囀りはさらに大きくエリーヌの耳に届いた。 「思っていたよりいい男じゃないか」 「あたしは第二王子を大聖堂の近くで見たことがあるけどね、それよりも顔だけ比べればこっちの方がいい」 「それがなんで呪われているなんて――」 「さあね。上のことなんて知らないね。どうせなにか曰くがあるんだろ? 呪われているっていうより、脅しされているっていう顔の優男男だから」  褒めているのかいないのか。  とにかく民は好き勝手に言っていたけれど、本音を隠して表面的な貴族たちよりよっぽど気持ちがエリーヌにはよかった。 「どうして王宮に行くんだい?」  群衆から一人出て来た人物がいた。怖い者知らずのおばあさんのようだ。十字のネックレスを首から提げている。 「呪いを解きに行くのよ」 「そりゃいい。たいていの呪いは王宮から始まっているからね」  それで付いてきていた者たちが幽霊屋敷の呪われた王子が何をしに行くのか分かったらしい。こそこそと話が伝わり、「こっちの方が早道だ」などと教えてくれた。  そして大きな鉄柵でできた王宮の門の前にたどり着いた時、門兵たちは集団に戸惑いを見せ、その中央に第一王子、リュカ殿下が庶民と同じ恰好をして立っているのを見ると、持っていた槍を突きつけるべきかい否かで悩んでいる様子だった。 「久しいな」  面識があるのだろう。その中の一人、隊長とおぼしき人にリュカが声をかける。筋肉隆々とし、堅物そうな髭を生やしている五十くらいの男だ。 「殿下、これは一体――」 「帰宅した」 「七年です。七年も留守にして、『帰宅した』? 陛下はお会いにはなりませんよ」 「それはお前の憶測だ。陛下は僕の父であるのだから、なぜ会わないと決めつける?」 「何度も帰ってくるように使いを出したのに、お帰りにならなかったからです」 「僕は一度だってそんな使者の訪問を受けていない」 「…………」 「僕は呪いを解きにここに来た」 「殿下――」 「呪いは呪うヤツがいるから起こるんだ。そうだろう?」  隊長は渋い顔をする。  ここでリュカを通せば後で摂政君に処分されるかもしれない。しかし、リュカはれっきとした第一王子。ここが彼の家であり、あるべき場所。通さないわけにはいかなかった。 「お通りください、殿下」 「ああ」  リュカはぎゅっとエリーヌの手を握ると、後ろから付いてくるオノレを振り返って微笑んで見せた。
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