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第一章1話
呪われ王子の婚礼
第一章
1
年も変わろうとする冬の頃――。
からりと晴れた青空に、寒さを緩める陽射しがまぶしいカルニア王国の石畳の大通りを一人の花嫁が人々の視線を独り占めにしていた。
純白のドレスに身を包む彼女は年の頃は十六、七ぐらいだろう。朱色の口紅が印象的で、白磁のような肌は、思わず触れたくなるぐらいに滑らかだ。ただし、皆の視線を集めているのは彼女の類まれな可愛らしい容姿のためではなく、その奇怪な様子のせいだった。
なにしろ、花嫁は荷車をその細い体つきには似合わぬ力強さで引いているのだ。
荷台の大半は書物で、あとは布団や鍋など日常品。麦袋に野菜の入った籠、少しばかりの少女の服や贈答品と思われる壺。大きな衣装箱。少女はそれを一人、ひっくひっくと汗を額にかきながら引っ張っていた。
その様子はどう見ても嫁に行くというより引っ越しだ。
見かねた見知らぬ人達が後ろから荷車を押してくれ、野次馬が彼女の後を付いてきたから、それなりに花嫁行列らしくもなったが、ある屋敷の一画に近づくとまるで潮が引くかのように人々は自然に離れて行った。代わりに、屋敷を囲っていた兵士たちが大きな声で叫んだ。
「おい! 花嫁が来たぞ!」
わらわらと集まる兵士たち。総勢十名と言ったところか。
「うそだろう……。まさか本当にくるとは」
「いや、今から気が変わるかもしれない」
唖然としている兵士を代表するかのように一人の男が進み出た。
「おい、あんた、正気か……」
「正気も正気。家財道具まとめて来たんだから」
少女は強気で彼を見返して言った。
「お前にはこれが見えないのか」
それで彼女は初めて視線を屋敷に向けた。鉄製の柵塀には無数にはられた悪霊払いの札。傾いた門には干からびた動物の死骸が魔除けの為か、いくつも吊されている。風の音が、ピュウピュウと心細い音が窓もろくにない中世の屋敷の中から聞こえてくるのは、不気味の一言だ。
「今からでも遅くない。考え直せ」
兵士の一人が必死の形相で少女の肩を掴んで言った。
「もう決めたことだから」
「止めとけ。ろくなことはない。なんなら俺が嫁入り先を探してやる」
「なんで止めるの? これは父の遺言だし、わたしはここ以外に行くところなんてないんだから、止めないでくれる?」
「じゃ、俺が嫁に貰ってやるからやめとけ」
「なんでわたしがあんたと結婚しないといけないのよ?」
兵士たちは彼女の言葉に頭を掻いた。中にはうなだれる者もいる。ただ一人だけ、にんまりと微笑んだ男がいた。
「よし! これは俺の勝ちだな。さあ、みんな金をだせ」
髭面の大男の掌が開いたかと思うと、『さあ、さあ』と言われるままにその他の兵士たちは、金の入った巾着を積み重ねていく。どうやら花嫁が本当にやってくるかどうかで賭けをしていたらしい。少女は呆れたようにため息を一つ吐くと、凛とした声で言った。
「そんなことは後にして、さっさと門を開けてちょうだい」
少女の名をエリーヌ・アベラール。
父は国の学府で教鞭を執っていた学者で、母は末端王族の庶子。一応、男爵令嬢である。
しかし、何年か前の政変で領地を失ったばかりか、父は大学の博士というまあまあの職を失い、母は心労で亡くなってしまった。よって彼女は現在激貧状態にあり、庶民と変わりのない生活をしてきた。
それでも屋敷を売り、細々と父は私塾をやっていたが、大した生活の足しにもならず、母を王族に持ちながら全く姫君らしい生活をしたことがない。そして頼みの綱の父親までが病に伏してからは、エリーヌが子供に字を教えて生計を立ててやりくりをした。それでも時というものは、無情にもやってくるものだ。父の具合が明らかに悪くなったのはこの二か月ほど前のことだった。
「エリーヌ、どうやら、わしはもうだめなようだ」
「お父さま、そんなことをおっしゃらないで。薬を買って来るわ」
「無駄な金を使わなくてよい」
「無駄かどうかは、わたしが決める。待っていて、今薬を買って来るから」
「エリーヌ、お前は若い。これからの人生がある。嫁に行くにも金がかかるから、薬など買うな。それより、わしが死んだ後は、以前からそなたのことを頼んである嫁入り先に行くとい。そのための蓄えもあの引き出しにある」
エリーヌは虚ろに父が指さす棚を見た。この貧しさでどうやって金を貯めたかと思うと彼女の胸は痛んだ。それも父が自分の薬代を惜しんで貯めた金だ。どれほどの重みがあるのかも分からなかった。
「心配するな、エリーヌ。とても見目のよい温和な方だ。聡明で我が家と縁組みするには不釣り合いなほど高貴な貴人だ」
「そんな高貴な貴人がどうして……」
「わしの弟子のひとりなのだよ。そなたのことを以前話したら嫁に欲しいと言って下さった。年末に婚礼をと以前から話していた。しかし、どうやら父は一緒に祝ってやれそうにない」
エリーヌは相手の身分が高いなら、きっと妾にされるのだと思って俯いた。それに父の手がやさしく彼女の頭を撫で慰めるように声音を和らげた。
「他に妻をもっておられぬ方だ。ただ、とても貧しく、少し事情のある方なのだ。悪い噂もある。それでも父はあの方より聡明でいて公平で優しい方を知らない。エリーヌは誰よりも父親思いの優しい子だから父の遺志に従ってくれるだろう?」
今まで父が人をそこまで褒めることはまずなかった。誰に対しても完璧を求め、弟子の多くは音をあげて去って行った。そんな父が勧めるのなら、本当にいい人にちがいなかった。それでもエリーヌは会ったこともない人に嫁がされる不安で涙が出てくるのが止められなかった。
「エリーヌ……」
「大丈夫よ。大丈夫……。ただちょっとだけ、ちょっとだけでいいから泣かせて」
ひとしきり泣いて、父の優しい手が彼女の髪を撫でてくれる感じていると、先逝く父を安心させてやらなければと彼女は思った。
父が元気なころは、『くそじじい』などと心の中で呼んで親不孝したこともあるけれど、死に際の父の願いを聞いてやるのが子の務めだ。彼女は顔を上げると涙を拭いた。
「お父さま。わかりました。お父さまがそこまで望まれますなら、わたしはその方に嫁ぎます」
「分かってくれたか。これでわしも安心できる。どうか、エリーヌ、あの方を支えてやっておくれ。 貴人だからと言って特別な気構えを持つ必要はない。ただ受け入れればいいのだよ」
「はい。お父さまに従い、夫に仕えます」
その後、それほど経たずにエリーヌの父は天国に旅立った。
エリーヌは、家族を失った悲しみに耐えながら、葬儀の手配や家から立ち退く手配に
追われて気丈に振る舞い、昨日ようやく嫁ぎ先を記した遺言状の封を切ったのだ。父との約束を果たすため、将来への不安と未来への期待に胸を躍らせながら――。
しかし、次の瞬間、父が言っていた『あの方』が都では知らぬ者がいない怨霊屋敷の呪われ王子だと知った時、彼女は遺言状を握り潰して蒼天を裂くほどの声で叫んだ。そう、
「くそじじい!」と――。
エリーヌは気味悪い門を前にして、呼吸を整え花嫁が顔を隠すベールを被った。そしてゆっくりと門が開かれると、背筋を伸ばして一歩足を踏み出す。
そこに男が一人いた。
長髪長身の優しそうな瞳の青年だった。顔に似合わず鶏に餌をまいていた。それが、門が開き、エリーヌが潜った瞬間、彼は大きな瞳を見開いて手を宙に浮かせたまま完全に硬直した。あまりの驚きに口さえ開けたままだ。鶏だけがコッコ、コッコと彼の周りを忙しなく歩き回っている。
「あの……」
エリーヌは、なにやらとても驚いているらしい雰囲気に、もしかしたら婚礼の話が伝わっていないのかも知れないと思った。それで説明しようと顔を隠していたベールとろうとした。すると彼は信じられない速さで彼女に駆け寄って両手で肩を掴んで言った。
「エリーヌか?!」
「はい」
「アベラール博士の?」
「はい。話は聞いていませんでしたか」
「あ、いや、聞いていた。聞いていたけど、本当に来るとは思ってはいなかった」
「なぜですか?」
「噂は知っているだろう?」
「ええ、まぁ。噂では殿下の目は鋭く、口は裂け、陰気な気を放っている人だと聞いてきましたけど……」
「それなのに来たのか!」
「父はもっと別なことを言っていたので、来てみることにしたんです」
エリーヌはちゃんと状況を話したくて被り物を再び取ろうとした。誤解があるなら正さなければならない。しかし、ベールに触れようとした瞬間、エリーヌの手首はがっちりと再び男掴まれて遮られてしまった。
「僕が外すよ、僕が君の夫だから」
「あ、どうも……。てか、えええええ?」
エリーヌはのけ反りそうになる。鶏に餌などやっていたから王子だとは思いもしなかった。本人を前にして彼を『目は鋭く、口は裂け、陰気な気を放っている人』などと言ってしまったではないか。相手は初対面の夫であり、高貴な貴人なのに――。
「いい? エリーヌ、いくよ?」
ところが王子はそんなエリーヌなどお構いなしに、恐る恐るエリーヌの顔を隠していたベールを外した。そして再び彼は石のようになった。
「アベラール博士が自慢していた以上に綺麗だ!」
エリーヌは、率直な褒め言葉に頬を首まで赤くなった。そしてベールごしでない青年もまた綺麗だと思った。静かな瞳と整った鼻。知的な眉、二十前後だろう。年齢を聞いていなかったので、年寄りでなかったことに安堵したし、寒空にボロボロの縹色の麻を纏っていても品位は失われていないのは怨霊屋敷のひきこもりと言われてもさすがは王の息子だと彼女は思う。
「エリーヌです。どうぞよろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げて、赤い顔を隠したエリーヌだったが、青年が膝を曲げてそれを覗き込んだ。
「こちらこそよろしく、エリーヌ」
「あの、殿下とお呼びすればいいでしょうか」
「殿下? あんまり王子でもないから、リュカと呼んでくれればいい」
「リュカ殿下……」
「いや、リュカでいい。リュカで。ここに咎める者もいないし」
「はぁ、よろしいのですか」
「それより荷を下ろそう。オノレ! オノレ!」
どうやらもう一人、住人がいるらしい。主の声に慌てて洗濯盥を持ったままの男が走って来て、エリーヌの姿を見つけるとそれを大きな音を立てて地べたに落とし、リュカ同様に一時固まってから空に響く声で叫んだ。
「花嫁が来たのか!」
「ああ。花嫁だ!」
「なんということだ。今日こそ神に感謝しなければ!」
なんとも大げさでだが、男は跪いて天地に感謝の言葉を述べながら十字を切ったり手を天に仰いだりした。当惑したのは勿論、エリーヌだ。
「あの……。なんでそんなに驚くんですか?」
「あ、いや、ほら、僕に関わる人はみんな死ぬから、花嫁など一生来ないと思っていた」
リュカの言葉で硬直したのは、今度はエリーヌの番だった。
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