3話

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3話

五月。  幽霊屋敷の伸び放題だった木々が綺麗に剪定され、芝生が刈られた。濃い紫色の藤の花で飾られた庭は華やかで清楚だ。白バラが咲き乱れ、かつての姿を取り戻した。  そう――今日、ここでエリーヌとリュカは結婚する。大聖堂で結婚式をあげるべきだという声も上がったが、エリーヌは極貧の父が誂えてくれたドレスを着たかったし、リュカは七年という月日を費やしたこの場所で婚礼を挙げたがった。 「私、エリーヌ・アベラールは生涯、夫、リュカ・デ・ルスン・カルニアを愛することを誓います」 「僕、リュカ・デ・ルスン・カルニアは妻、エリーヌ・アベラールを生涯愛することを誓います」  二人は誓いの言葉を交わしあい、リュカの手がエリーヌのベールに触れる。そっとそれを取り除かれれば、初めて出会った幽霊屋敷の庭での出来事をエリーヌは思い出した。 「アベラール博士が自慢していた以上に綺麗だ!」 率直な褒め言葉に赤面したあの日――。でも今日もリュカはエリーヌを紅潮させる。 「いつみても綺麗だ、エリーヌ……」  その声は以前にはない艶のあるもので、長身のリュカから注がれる視線に面はゆくなる。「それでは誓いのキスをせよ」 神官の言葉に、リュカの顔がゆっくりと近づいてきて、唇と唇が近づくと自然とエリーヌも目を閉じた。接吻は短かったはずだ。しかし永遠に続くような気がするほど、長く感じたのはなぜだろう?  会ったこともない「恐ろしげな人」に嫁ぐために家財道具すべてを持って越して来た時、こんな幸福が来るとはエリーヌは思わなかった。 『父上の病気はよくなってきているよ。式にも参列される』 そうリュカが教えてくれたのは昨日のことだ。摂政君、ドーク卿は毒を使い、解毒剤を定期的に与えることで王を操っていたが、リュカはその薬師を見つけることに成功し、毒の種類を特定した。王は今日のために体調を整え、式だけでもと参列してくれている。 『アラベラと、フェミリオ王子は?』 『二人は婚約を解消したよ。フェミリオは利用されただけだと訴えているけれど――おそらく半年は幽閉だろう。反省期間は必要だ。アラベラは国外追放となった。まぁ、あの性格だ。どうにか生きて行くだろう』 『そう……』 『たぶん、僕は王太子になる……』 『……うん』 『それでも付いてきてくれるか』  エリーヌは静かに微笑むと頷いた。 『あなたが呪われていたってついてきたのに、王太子なんて大したことないわ』 『そうだね。エリーヌは勇敢だった』  これが事件の顛末だ。日和見の貴族たちはこぞって摂政君ドーク卿を罵ったが、追従していた何人かは爵位を剥奪されたらしい。 そうして、日常が戻って来た。平和で美しい時間。花々はエリーヌの前で咲き乱れ、マグノリアは白い花を優雅につける――。 「エリーヌ」 「…………」 「エリーヌ」  はっと気づけばもう夜だ。あまりに結婚式披露のパーティーが忙しく、めまぐるしく人を紹介されたので時が経つのがあっという間で気づかなかったが、いつの間にか、うつらうつらしている間に、エリーヌは寝室にいた。それも自分の寝室ではない。 「ここリュカの寝室じゃない⁈」 「え? エリーヌの方が良かった?」 「いえ、そうじゃなくって……」  リュカが上着を脱ぐ。細いばかりの体だと思っていた人のシャツ越しの肉体は、薪わりで鍛えたとみえる逞しい姿だった。 「リュカ……」 「エリーヌ……怖がらないで」 「…………」  リュカの指がエリーヌの耳の下を撫で、下唇に触れる。接吻――そう思った。それが自然の流れだ。エリーヌは目を閉じ、時を待つ――しかしそれは一向に始まらない。  彼女は恐る恐る目を開けてみた。  すると本を片手に手順を一生懸命確認している夫の姿があるではないか。 「リュカ」 「ああ、ごめん、エリーヌ。師が残してくれた禁書でしっかりと勉強していたんだ。でもいざというときには記憶がすっとんでしまって……待って。今からキスをする。いや、その前に「君はなんて素敵なんだ」って言わないと――師は真理を学ぶようにおっしゃったから。『よく学ぶものだけが真理を得る」一朝一夕では極められそうにない」  リュカは全く以て「高貴な奇人」だ。間違いない。初夜に禁書を持ってことに挑もうなどという人物はそういない。そんな人を自分の夫に選んだ人物をエリーヌは思い出し、しばらく言っていなかった言葉を心の中で叫ぶ――  ――あのくそじじい!   でも微笑んでしまうのはなぜだろう。 エリーヌは本に夢中のリュカを睨むとそれを奪って放り投げた。 「リュカ、キスってこうするものなのよ」  エリーヌは彼の首に腕をまいてベッドに押し倒し、深いキスを施した。       了
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