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夏、産まれてすぐ、わたしは捨てられていた。きらきらとまぶしい太陽の光を今も覚えている。
幸いにもそこには優しいひとがいっぱいいて、わたしは飢えることなくそのひとたちに育てられた。そのひとたちの身体から出るミルクはとても甘くて美味しくて、わたしはそれが大好きだった。
だけど、そのミルクを好きなのはわたしだけじゃなかった。時々、黒いひとたちが来て、わたしを育ててくれるひとを叩いて、身体にむしゃぶり付き、ミルクを無理矢理飲んで去っていくのだ。
「あのひとたち、何?」と聞くと、「大丈夫よ、悪いひとたちじゃないから」と返ってきた。
「ミルクをあげる代わりに、私たちを守ってくれるのよ」
わたしはその言葉を信じることにした。黒いひとたちは怖かったけど、わたしには何もしてこない。
事件が起こったのは、わたしの身体が成長して変化したある日のことだった。黒いひとたちがわたしを無理矢理攫って行ったのだ。育ててくれたひとたちと離れてわたしは、日の当たらない地下にある、そのひとたちの住処に連れてこられた。そこは複雑に入り組んでいて、黒いひとが何千、何百と集まっていた。わたしはただ怖くて震えていた。やがてわたしは、狭い一室に閉じ込められた。
黒いひとたちはとても働き者で、食べるために朝から晩まで細い体に鞭打って歩き回っていた。わたしは部屋の中で彼らから食べ物をもらっていた。その代わりにと、彼らは成長したわたしの身体を求めた。それで働き者の彼らのためになるのならと、わたしも気持ち悪かったがそれに応えた。毎日毎日、暗い部屋の中で、彼らはよってたかってわたしの身体をまさぐり、下半身を舐め、湧き出るわたしの蜜を吸い上げる。
恐ろしくて、悲しくて、こんなところから抜け出して懐かしいひとたちのいる日の当たる場所へ戻りたい。そう最初は思っていた。だけどすぐに、わたしは慣れた。ここにいればわたしは動かなくて済む。あの頃とは比べ物にならないほど、色んな種類の美味しい食べ物がもらえる。身体が汚れたら全身清めてもらえる。トイレの心配もいらない。可愛がられ、大事にしてもらえる。外より快適だ。対価は、身体を与えるだけでいい。動かずに寝ていたため、やがてわたしの身体は丸々と太っていた。
黒いひとたちが運ぶ食料がいつしか量も少なく貧相なものになり、段々と外に行くひとは減り、いつしか誰もいなくなった。
やがて再び彼らが外に出るようになり、食料も元通り豊富になった頃、わたしは部屋を移った。そこで、身体がずっと固まったままになってしまった。ずっと動かないでいたせいだろうか。黒いひとたちが心配している。身体を求められても、応えられない。
そして長い間、わたしは眠っていたらしい。目が覚めると、私は手足の細い、美しい姿に生まれ変わってた。身体を伸ばし、ここにはいられないと悟った。部屋を出て、すぐ上を見上げる。そこにはあの日通った入り口。降り注ぐまぶしい光。
早く出なくては、と本能が警鐘を鳴らす。理由はわからないけど、ここのひとたちはもう私を必要としてくれない、それどころか私を私だとわかってくれない、と直感する。ほら、あそこにふたり、私を見つけて追いかけてきた。侵入者を追い出せと言っている。
私は逃げた。わたしを可愛がってくれたひとたちから逃げて、長らく見なかった、もう忘れかけていた懐かしい光のもとへ。早く、早く。
私は巣の穴から這い出し、そして羽を広げて空へ飛び立った。季節は、もう夏だ。
夏のうちに、私はわたしの産まれた、あの懐かしい場所に卵を残すことに決めた。私はもう長くない。でも大丈夫。きっと、懐かしいひとたちがそだててくれるはずだから。
クロシジミ(黒小灰蝶)
チョウ目(鱗翅目)シジミチョウ科ヒメシジミ亜科に分類されるチョウ。
成虫は年に1回、6-8月頃に発生する。幼虫は、若齢のうちはアブラムシなどの分泌物を摂取するが、2齢後期になるとクロオオアリの巣内に運ばれ、アリに育てられる。アリが好きな蜜を尻から出す代わりに、アリからえさをもらう。翌年の6-7月頃に蛹となる。
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