其の三: 初恋ノ君

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 少し色素の薄い(とび)色の髪と白い肌。  透ける青い色の瞳は、まるで和硝子(びいどろ)の様で、とても美しいと思った。 「この問題、わかる人」  先生のこの質問に真っ先に手を挙げるのは、決まって私と、その隣に座る青い瞳を持つ少年だった。 「じゃあ、善次君」 「二百三十九です」 「正解。ここの桁が繰り上がって・・」  先生が解説をしている間、私は隣の彼を睨む。井ノ原善次と私は、同じ尋常小学校に通い、成績を競い合う仲だった。まあ、そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。私は決まって彼の隣りの席を陣取っていたけど、彼の方はいつも我関せずといった風に、こうして黒板を見つめているだけだった。  青い瞳と、人形の様に白い肌。彼の目立つ容貌は嫌でも注目を集めてしまう。私が彼に向けていたそれとは、異なる意味合いのものではあるが。 「もう学校くんなよ、が。ここは日本人の学校なんだよ!」  彼に向けて投げつけられるのはこの様な侮蔑の言葉だけでなく、ときおり子供たちは石を投げつけたりした。この日もそうで、子供たちの投げた石の一つが、彼のこめかみの辺りに当たり血を滲ませたが、彼はまるで痛みを感じていないかのように、素通りするだけだった。すると子供たちは益々むきになって囃し立てる。 「うわっ、汚ねぇ。外人の血だ! 外人菌がうつるっ」  それが彼の日常だった。 「ちょっと貴方達! 何やってるのよ!」  幼児期は女児の方が、心も身体も成長していたりする。私が木の棒を振り回して走っていくと、いじめっ子の奴らは「うわ、やべぇ志乃だ!」と声をあげ、散り散りに逃げ去って行く。 「外人菌ですって!? そんなの感染るわけないじゃない。もう一度言ったら、この棒であんたの尻を叩いてやるから覚悟しときなさい!」 「だって母ちゃんが言ってたぞ! 遊女の子なんて穢らわしいって。汚いんだぞソイツは!」  奴らを追い払い一息つくと、私は先を歩いていた彼のところへ駆け寄った。 「善次、大丈夫!?」 「・・大丈夫」 「でも血が出てる!」  滲み出る彼の血を止めようと、私は懐からハンカチを取り出し、彼のこめかみへ当てがおうと手を伸ばしたのだが、それに気がついた彼は、その手を思い切り振り払った。  パシッと手を叩かれて、私は驚いて彼を見た。すると彼は気まずそうに、私から視線を逸らした。 「・・汚れるから」  子供心に、あいつらの暴言を少なからず、彼は気にしていたのだろう。しかし私は拒絶の理由が私のハンカチを気遣ったものであることに、ほっとしたのを覚えている。 「そんなの気にしなくていいわよ。少し抑えた方がいいわ。そうすれば血が止まるから」  彼の手を引き近くの切り株の上に座らせ、しばらくの間ハンカチを当て抑えていると、すぐ近くにある、あの美しい青い瞳に私はまた魅入られてしまった。 「綺麗よね、貴方のその目」 「え・・」 「硝子玉みたい。本当に綺麗だわ・・」  じっと透き通る青い瞳を見つめていると、彼はしばらくの後、こめかみを抑えていた私の手を退けて立ち上がった。 「もういい」  そう言って彼が歩き出したのを、私も慌てて追いかける。 「そうね。止まったみたい」 「・・thank you」 「え?」 「・・・・」 「ねぇ今、なんて言ったの? それって外国語?」 「なんでもない」  ────明治以前より開国の窓口となった横濱港。そこからほど近い永楽町と真金町に渡る約二万坪の土地に、主に外国人を接待する為に作られた『永真遊郭(えいしんゆうかく)』。彼はそこの遊女が産んだ、外国人との『あいの子』であった。
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