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義務教育である尋常小学校を卒業すると、大半の子供は家の仕事を手伝ったり、奉公に出たり、働くのが当たり前。なので中学校の数は、小学校に比べてとても少ないし、相当の学費も負担しなければならない。余程志しのある者と、実家が裕福である者しか中学校には進学しない。中学生が目指すもの、それは明治初期に創設された官立高等学校の入試に合格する事だ。全国にたったの八校、第一高から第八高までの番号を冠することから『ナンバースクール』と呼ばれているその高校群は、入学時点で帝国大学への進学が事実上確定となる。政財界の大物のほとんどを排出しているという、生え抜きの超精鋭集団なのだ。
しかし女子に生まれた時点で、その門は用意されていない。女学校で教えているのは相変わらず勉学よりも、家事を切り盛りし、後継ぎたる男子を教育する為に必要な教養・・『良妻賢母』教育である。裕福な良家の娘たちは、より良き結婚相手を見つけるために、こうした教養を磨くべく、高額な学費を払って女学校へと入学するのである。
その頃、私には尚弥という許嫁が出来た。女では家督を継ぐ事が出来ないからだ。
私がもしも男に生まれていたら。
何もかもが今とは違ったのだろうか────。
「見て見て。善次さんよ!」
一人の女学生が声を上げると、黄色い歓声が起こり、一気に女学生の群れが窓へとなだれ込む。
横濱第一中学校と横濱第一女学校とは、同じ敷地のお隣同士。別々の学校とはいえ、こうして彼を見かけることはよくある。
「きゃ〜今日も素敵〜!」
「あっ、こっち見たわよ!」
女学生たちは一斉に手を振ったけど、おそらく彼がそれに応える事はない。見なくても分かる。
「志乃ちゃんは全然、善次さんに興味ないのね」
「まぁね。私、許嫁がいるし」
「お堅いわねぇ。結婚する前くらい、いい男に夢中になったっていいじゃない」
「夢中になったところで、意味なんかないし」
というか────小学校のときに一方的に付き纏った挙句にとんでもなく嫌われた・・なんて事は、絶対に言えない・・。
「入学以来ずっと首席だもん。善次さんならナンバースクール入り出来るんじゃないかって、先生達にも期待されてるんでしょう?」
そりゃそうよ。善次さんは小学校のときから、飛び抜けて頭が良かったもの。皆は認めなかったけど。
「帝大卒なら将来は約束されてるみたいなものだし、今のうちに顔見知りになっておけだなんて、お父様にまで言われちゃったわ」
昔は親ぐるみで、遊女の子なんかとは仲良くするなって蔑んでいた癖に、本当に世間って調子がいいもんだわ。
「それにあの魅惑的な青い瞳と美しいお顔・・本当に憧れちゃうわよねぇ」
昔から私は気づいてたわよ、善次さんが綺麗だってね。皆は外人だ、あいの子だと、散々だったけれどね。
「ああ・・なんかすっごく苛々するぅ・・」
「志乃ちゃーん。さっきからどうしたのよ、そんなに頭を抱えちゃって??」
本当にどうかしてるわ。自分のことでもないのに、昔の色々を思い出して勝手に腹を立てて。私には全く関係のない事なのに。
「こういうところが鬱陶しくて目障りだってことなのかしら・・」
「ん? 志乃ちゃん、何か言った?」
「ううん、なんでもない。ごめんね今日はずっと難しい顔しちゃって」
「志乃ちゃん、もしかして、あの日?」
「え? あ、う、うん。そうなの」
「わかるぅ〜。私もすっごくお腹痛くなるもの〜」
お友達と三人でそんな話をしながら、学校の門を出た、その時だった。軽薄そうな一人の男子学生が、こう声をかけてきたのは。
「ねぇねぇ。福田屋の志乃さんと、田中和菓子店の良子さんと、吉竹硝子の歌子さん、だよね?」
「え・・そうですけど・・」
「俺さ、金森食品の、金森っていうの。伊勢佐木町で店やってるんだけど、今からうちの近くにある寄席を見に行こうかな〜って思ってるんだけどさ。よかったら皆も、一緒にどう?」
「えっ・・? でも・・」
「あ、ちなみに、あいつらも一緒」
彼が指さした方を振り返ると、そこに居たのは二人の男子学生ともう一人・・一際目立つ、碧眼の美少年────。
ぜ・・
善次・・さん?
「行きます!」
唖然とした私の横で、良子ちゃんと歌子ちゃんが声を張り上げた。
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