其の三: 初恋ノ君

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 全身の血が沸騰したみたいに早くて、頭が混乱してなんだかくらくらする。  い、今の・・私の聞き間違い? 聞き間違いよね? だって私は、あれからずっと彼に避けられていて・・ 「え・・? そ、そうだったの? お前・・」  善次さんの突然のその発言に驚いていたのは私だけではなく、彼のお友達も、私のお友達も一様に虚をつかれていた。金森さんが驚いた風に、善次さんに苦笑いを向けている。隣りにいた歌子ちゃんが、「し、志乃ちゃん! 志乃ちゃんだって、どうする?」と、興奮した感じで肩を揺すってきて、私はようやくその答えが、聞き間違いではなかったことを悟った。  ど、どうするって・・どうしたらいいの?? 「こ、交際しちゃったりとかするの!?」  歌子ちゃんは頬を蒸気させ、目を輝かせながらそう聞いた。皆に好奇の眼差しを向けられて、あまりの恥ずかしさに、私は益々混乱した。 「こ・・交・・そ、そんなの、か、考えられな・・」  頭の中がぐるぐる回って、汗は滝のように吹き出してくるのに、言葉はうまく出て来ない。  しかし良子ちゃんの次の言葉で、沸騰していた私の血の気は一気に引いた。 「そっかぁ・・。志乃ちゃん、善次さんのことは興味ないって、いつも言ってるもんねぇ・・」  ────え。 「志乃ちゃん許嫁がいるんだもんね。仕方ないかぁ」  ────ま、待って・・違うの。それは意地を張っていただけで・・  でもどうすればいい? 本当はずっと好きでしたなんて、皆の前でそんな恥ずかしいこと言えな────・・ 「そうか。それは残念だな」  反射的に彼の声に顔を上げた。『違う』って、縋るみたいな目で。  だけど、足を組み、頬杖をついて私の方を見ていた彼は・・笑った。  あのときと同じ、冷たい和硝子(びいどろ)の瞳を、はっきりと私に向けて。 「お前をたらし込めば、福田屋が手に入ると思ったのにな」  ────その一言は、私だけでなくお友達一同を揃って凍つかせた。  ま、まさか・・皆の前で私のまんざらでも無い本音を晒した後でこき下ろし、恥を掻かせようとしてた・・?  私は一体、どれだけ彼に嫌われていたのだろう。その時の彼の、人を見下したあまりに嫌味な微笑みを、私は一生忘れないだろう・・。  彼はその後、壮絶な受験戦争を勝ち抜き、ナンバースクールの入試に見事合格。東京へと旅立って行った。そして帝国大学進学を経て横濱へと戻って来た彼は、その華々しい経歴に違わず貿易・造船業で大成功を収め、巨万の富を築くに至った。 ◇◆◇◆◇◆ 「何故お前がこんな所にいる。福田屋はどうした?」  さ、最悪だわ・・。  こんな惨めな状況を最も知られたくない相手に、こんなところで出会してしまうなんて────。 「な、何のことでございましょう・・人違いに、ございます・・」    青ざめ、か細い声で何とかそう答えたが、彼は立ち去ろうとした私の手を逃さんとばかりに掴んだ。 「!?」  顔を覗き込んだ彼から、サッと顔を背ける。また覗き込まれて、また逆に顔を背けた。すると彼は今度は、ガシッと私の頬を、その両手で挟み込んだ。 「!?!?」 「嘘をつくな、阿保」  最悪────・・
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