其の三: 初恋ノ君

7/8

627人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
 彼は顰め面で、むんずと掴んだ私の顔を自分の方へと向けさせた。久しぶりに目の当たりにする彼の、日本人離れした掘りの深い美貌と、無理矢理対峙させられる。  ま・・待って・・  私今、頬を潰されて凄く不細工なのでは・・? なんて無様な再会なのかしら。泣いてしまいそう。 「まさか福田屋を潰して、夜逃げでもしたのか?」 「ち、ちがひましゅ」 「じゃあなんだ。言うまで離さんぞ」    顔を近づけられ鋭い睨みを効かされて、これ以上無様な顔を彼に晒したくなかった私は、遂に降参する事にした。 「夫と別れて家を出ました」  妹に寝取られて追い出された・・とまでは絶対に言えない。惨め過ぎる。彼の前でがっくりと肩を落とした私を前に、彼はあろう事か、口元に手をやり────。 「へぇ」  と言っただけだった。絶対に笑いを堪えている。 「も、もうよろしいでしょうか! 私、仕事がありますものでっ!!」  私は彼を置き去りに走り去った。  悔しい。悔しい。悔しい。  こっちは死ぬか生きるか、切実なのに。  相変わらずなんて、失礼な人────! ◆◇◆◇◆◇ 「いやぁ、井ノ原君の大成ぶりには驚かされるねぇ。さすが帝大卒はモノが違う」 「いいえ、私などは、たまたま運が味方してくれただけの、若輩者でございますので」 「随分と謙遜するじゃないか。我々の間ではそろそろ君は、政界に進出とでも考えているんじゃないかと、専らの噂だよ」 「先生もご存知でしょう。私の様な卑しい出生の者が政界進出など、滅相もない事でございます」 「君が本気で興味があるなら、やりようはいくらでもある。どうだ、私の娘と、一緒になるというのは」  ────運んできた焼物をお出しするのに、先に出ていた椀を片付ける。どこか意識が遠くに浮いている様な、そんな感覚がした。   「そうすれば君も工藤家の一員だ。どうだ、悪い話しではないだろう」  これは何かの罰なのだろうか。  ずっと心の奥底で怖れてきたこんな話しを、目の前で聞かされるなど・・ 「申し訳ありません、工藤先生」  ふと、皿を下げる手を捕まれた。  驚いて顔を上げると、彼は先生の方を向いたまま、こんなとんでもない事を言った。 「実はつい先程、この女性と婚約したばかりでして」  ────はい・・? ========== 初サポーター🎉のてまりさん✨お心遣いありがとうございます!
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

627人が本棚に入れています
本棚に追加