其の五:恋に焦がれて

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 綾────私から夫も家も、全てを奪った妹。 「やっぱり! お姉様よね!」  嫌・・  嫌よ。会いたくなんかないわ、この娘に。しかも善次さんの前で・・ 「────お姉様ぁ!」    綾は私に駆け寄り・・勢いよく私の身体に抱きついた。 (・・な・・!?)  驚いた私の内心を他所に、綾は私に縋り付き、涙を溜めて潤んだ瞳を私へと向けたのだ。 「ご無事だったのねお姉様・・お兄様とあんな事になって私・・まさか思い詰めて妙な気を起こしているんじゃないかと、お姉様の事が心配で心配で・・」  私はぞっと背筋を寒くした。  な、何なの・・  嘲笑われるなら分かるけど、心配していたですって? そんなの嘘に決まっている。一体どうして、そんな事を・・ 「その洋服に前掛け・・今どこかで使用人として働いているの?」 「・・・・」 「そうなのね? もしかして貴方様が、お姉様を雇って下さったのですか?」  綾はそう言って彼の方を振り返った。そして涙で瞳を潤ませたまま、感極まったかのように、突然彼の手を取った・・ 「ああ、姉をお救い下さり、どうもありがとうございます! また改めて、妹としてお礼に伺いますわ。私は豊田綾と申します。どうぞ貴方様のお名前をお聞かせ頂けますか?」  分かった────綾の狙いが。 「礼には及ばん」 「姉が今どこに居るのか、所在も分からないのでは私も不安で堪らないのです。どうか、どうかお聞かせ下さいませ」 「姓は井ノ原。山手の三丁目に住んでいる」 「井ノ原様・・まさか、貴方様はあの『海運王』井ノ原善次様でございますか? 道理で、何処かで拝見したお顔だと思いましたわ・・!」  この子は善次さんの顔を知っていたのね。だから姉を心配する良き妹を演じた。『海運王』に近づく、またと無い機会と踏んで。 「道中で突然お声掛けしてしまい、大変失礼を致しました。また折りを見て姉の様子を見に伺いますわ。その際に、また改めてご挨拶と、何かお礼をさせて頂きたく存じます」 「礼には及ばんと言っている。姉を労わるのはいいが、俺に対するこれ以上の心遣いは無用だ」  彼は綾にそう言い残して、足を進めた。私は無言でそれに倣う。綾の隣をすれ違うとき、あの子は私にこう言った。 「会いに行くわね、お姉様」  あの子は必ずやって来る。善次さんとの繋がりを求めて。  どうして・・私が貴方に何をしたって言うの。  夫も家も、お父様も・・私から全てを奪っておいて、それでもまだ足りないと言うの────?  夕食の支度を手伝って、でも食欲なんか湧かなくて、私はその後、部屋に塞ぎ込んでしまった。  私の居ない食堂で、善次さんと光太郎さんがこんな会話を交わしていたなんて・・その時の私は、全く気がついていなかったのだ。 「志乃様に一体どんな悪さをされたのです? 朝も怯えていましたが、戻ってからはまるで死人の様ではありませんか」 「道で妹に会った」 「妹? それと志乃様のあんなご様子と、どう関係が?」 「俺の知る限り、志乃には妹など居なかった」 「え? じゃあその女は、誰だったんです?」 「・・光太郎。明日、行ってきて欲しい所がある。俺の昔の馴染みが居る、興信所なのだが」 「はい。一応聞きますが、ご用件は?」 「豊田家の事を少し調べて欲しい」 「かしこまりました」
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