其の五:恋に焦がれて

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 その時、先日ドレスを買ってくれたときの彼の言葉を思い出した。縁談を避ける為に妻が居るということにしたい、といった趣旨の。 (そ、そうか・・騙すならまず身内からというものね。使用人らの口から嘘がバレるといけないから)  全くもう、それなら先に一言説明して欲しいものだわ。それに光太郎さんにまで嘘をつかなくてもいいのでは? 「志乃様はお嫌なんですか? 善次様と再婚なさるのは」 「とんでもない! むしろそんな事になったなら棚から牡丹餅というか勿怪(もっけ)の幸いというか未曾有の大金星というか・・!」  はっっ!!  しまった、と我に返って暴走する自分の口を抑えた私は、そっと光太郎さんの方を見た。すると彼は真っ赤になった私に、にっこりと満面の笑顔を輝かせた。 「そうですか」  ば、ばれた・・絶対に私が善次さんにぞっこんだってばれたぁぁ。泣きそう。  その時、使用人の一人の女性が、私と光太郎さんを見つけて駆け寄ってきた。 「旦那様がお帰りになられました」 「おや。早いですね、珍しい」  光太郎さんが出迎えに向かおうとした背中に、私は死相を浮かべてしがみついた。 「こっ、光太郎さんっ・・後生ですから、どうか先程の件は善次さんにはご内密にっっ・・!」 「あはは。分かりました、大丈夫ですよー」  本当に大丈夫だろうか。死にたい。  悶々としながらも、使用人達の後について善次さんを出迎えに玄関へと向かうと、廊下の両脇にずらりと整列して彼に頭を下げる使用人達の姿があった。この屋敷では初めて見かける光景だ。光太郎さんが近寄り、自然な流れで彼の鞄を受け取る。 「随分お早いお帰りで」 「たまたまだ。志乃」  呼ばれて私はびくりと肩を飛び上がらせ、上擦る声で「はい」と返事をしたが、彼は私の姿を見るなり、やはり顔を顰めた。 「また使用人の真似事か? お前の様な家事の出来ない女に彷徨かれては、皆が迷惑するだろう」    ────さくっと、何かが胸に突き立った様な鋭い痛みを感じた。 「も、申し訳・・ございません・・」  瀕死の状態で何とかそう絞り出した私に、彼は手にした荷物を突き出した。それは私が料亭・三河屋に置いて来ていた、なけなしの荷物を包んだ風呂敷だった。 「あ・・こ、これ・・」 「三河屋の女将には先程詫びを入れて来た。もうあそこに戻ろうなんて考えるなよ、この尻軽が」 「────!?」  し、尻軽・・。考え無しに料亭なんかで働く、軽率な女と思われている。料亭で働いたのはあの一日だけで、身を売ったことなんて無いのにぃ。だって料亭の女中があんな接待までする仕事だなんて、知らなかったんだもの。あまりの衝撃で口をぱくぱくさせるだけで弁明の言葉が出てこない私を置き去りにして、彼はすたすたと廊下を歩いて行ってしまう。  余程悲壮な顔をしていたのだろう。見かねた先程の使用人女性二人が、「志乃さま、お気を確かに!」と励ましてくれたけど、そんな私に向けて、彼は最後にこんな言葉を投げた。 「志乃」 「はいっ」 「今日は外で食事をとる。半刻ほどしたら出掛けるから、お前も着替えて準備しておけ」 「は・・は?」  呆然として、歩いて行ってしまう彼の背中を見つめる。すると隣の二人が、こんな事を言って目を輝かせた。 「デエトでございますね♡」  デ・・ 「デ、デデデデエと」 「志乃様、お気を確かに! 早くご準備を!」  デエト・・なの? そんな訳ないわよね。きっとまた何か理由があるんだろうから、期待なんかしちゃいけないわ。でも二人で食事に出掛けるなんて、心臓がもたない・・
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