第二話 真帆と数学

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終業式が終わり、夏休みに入った。 夏休みは家でゴロゴロしながら動画を見たり、漫画を読んだりする予定だったのに。夏休み初日からも平日は学校に来ていた。 早川先生との補習が始まって2時間が経つ頃、必ず頭を使い過ぎてショートし始める。 「藤原さん、お疲れ様です。今日は終わりましょうか」 「…はい。ありがとうございました」 もう勉強嫌だ…。 ヘロヘロになっている私の様子を見て、早川先生はクスッと笑った。  「今日も頑張りました。気を付けて帰ってください。また明日、お待ちしております」 「はい。ありがとうございました」 先生に向かって一礼をしてから数学科準備室を出る。 頭の中は公式や計算式がぐるぐると回っている。 もう、(いや)だ。本当に数学が(きら)い。 「…っと、あ。ごめんなさい」 ボーっと歩いていると反対側から来た人にぶつかってしまった。 「あ…藤原」 伊東先生だった。 3年生の先輩に囲まれているところを見た時以来だ。 「………」 無言で黙っていると、伊東先生はわざとらしく声を上げた。 「あぁ! そう言えば、早川先生が張り切っていたな。夏休みも藤原に数学を教えるんだって」 「……それが先程終わったところです。沢山勉強をしました」 伊東先生は少し考えたあと、わざとらしく手をポンッと叩いた。 「どうせあれだろ、どれだけ教えて貰っても、すぐに右から左に抜けていくんだろ? 今もう頭の中には何も残って無いんじゃないか? 既に空っぽだったりして~。ハハハハ」 ………何。何なの本当に。 拳が怒りで震えて止まらない。 思わず私は、手に持っていた教科書を床に投げつけてしまった。 「あっ…」 「伊東先生。そんなに馬鹿にして楽しいですか? 楽しいからこうやって私に嫌な事を言うのでしょうね」 「違う…」 (くや)し過ぎて涙が溢れてきた。何が違うのさ。 むしろそれ以外無いでしょう。 「伊東先生、大嫌い。さようなら。もう姿を見たくないです」 教科書を拾って足早に歩き始めた。 「………」 伊東先生は悲しそうな表情をしたまま突っ立っている。 何であんたが悲しそうな顔をするのか全然分からない。 私が数歩歩いたところで、後ろから別の人の声がした。 「伊東先生」 その声の(ぬし)は見なくても分かる。早川先生だ。 数学科準備室から出てきていた早川先生は、一部始終を見ていたらしい。 「本当に、いい加減にしてください。藤原さんと接点がない貴方が、何故そこまで関わるのですか」 「…」 「藤原さんは文句も言わず頑張っているんです。頭の中が空っぽ? それは貴方のことでしょうが。藤原さんは賢いです。どこかの誰かとは比べ物にならないくらいです」 早川先生の声、しっかり聞こえていた。 しかし私は何も聞こえていないフリをして、振り向かず階段を降りた。 伊東先生…いや、伊東は絶対、私を馬鹿にしている。 もう “先生” を付ける価値もない。 真面目そうな見た目して、数学だけ異常にできない私をからかって楽しんでいるだけ。そうに違いない。 (うわさ)で聞いて、外見がかっこいいと気になっていた時を凄く前に感じる。 そう思っていた自分が馬鹿みたい。 人は見た目だけじゃない。 かっこよくても性格が最悪なことだってある。伊東はまさにそれだ。 伊東の授業の様子などを見ることはないけれど、普段どんな様子なのだろう。誰に対してもあんな感じ? 私に対する対応と他の人に対する対応は同じなのか気になる。 「でも、悪い噂は全然聞かないよね…」 悔しい。私にだけそういう態度なら、無茶苦茶(むちゃくちゃ)(くや)しい。 「藤原!」 「!」 伊東が走って昇降口にまで来た。 私は急いで靴箱を開けて、ローファーを取り出す。 「藤原、待って」 「…待ちません。伊東先生と話すことはありません」 「俺はあるの。聞いてよ、その…さっきはごめん」 真っ直ぐ私の目を見ながら謝り、深く頭を下げた。 この前だって謝ってきたが、結局またこれ。 伊東にとって『謝る』という行為はその場しのぎだけなのだろう。 「何度謝ってきても同じです。前回の補習の時もそうでした。もう謝らなくていいので、関わらないで下さい」 「藤原…」 「生徒みんなにこんな感じなのですか? それとも私だけですか? デリカシーが無さすぎて、軽蔑(けいべつ)します」 「ちがっ…」 謝る伊東を無視して学校を後にした。 …言っちゃった。 …強く言っちゃった。 でも、伊東に言ったことは本当の気持ち。 補習が無ければ関わることの無かった伊東。 何なら今でも別に関わる必要のない人。 わざわざ馬鹿にする為だけに来ているだけだろう。 絶対楽しんでいる。 「補習が無ければ、今もまだ伊東のことをかっこいいと思っていたのかな」 わからない。 有紗に話を聞いてもらいたいな…。 夏休み、早く終わればいいのに。  
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