第三話 2人の数学教師

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<真帆の思い> 全然眠れなかった。 あの後、早川先生は何事もなかったかのように勉強を始めたけど、非常にびっくりした。 早川先生が伊東を追い出したこと、私を傷つける伊東が許せないと言ったこと…。 「ま~ほ。おはよう」 「あ、おはよ」 翌日の教室。自分の席に座ってボーっとしていると、有紗が肩を叩いた。 「えぇ! 目のクマやばい!! どうしたの!」 「いや…聞いてくれる?」 私は小声で、有紗に昨日の出来事を説明した。 「…………」 「有紗?」 有紗はボーっと固まっていた。そして机に手を付いて興奮し始めた。 「やっぱり早川先生もリーチじゃん!!!」 「ちょ!!! 声大きい!!!」 「あ、ごめん!!」 有紗は落ち着きを取り戻して、考えながら言葉を継いだ。 「それ普通の生徒に言う? 私には考えられないんだけど。早川先生も真帆に気があるとしか思えないよ」 「も、って何よ」 「伊東先生もってこと」 「………」 「選び放題 ♡」 「…私を軽い女みたいに言わないで」 2人とも気があるなんて、そんなこと有り得ない。 そして、全然分からない。 伊東も早川先生も、何を考えているのか分からない…。   放課後、私は律儀に数学科準備室へ向かう。 気が重い。   そして昨日の早川先生を思い出すと気持ちが少し落ち着かない。 頭、ポンポンされた。 認めたくないけど。…正直、凄くドキドキした。 「…はぁ」 「んお? …よぉ、藤原。そんな溜息つくと幸せ逃げるよ?」 「………」 いつもタイミング悪く現れる伊東。ニヤニヤしながら片手を上げてこちらに近付いてくる。 「私の前によく現れますよね」 伊東は表情を崩さず、腕組んで首を傾げた。 「いや違うだろ、藤原が数学科準備室によく現れているんだろ」 「職員室で過ごさないんですか」 「沢山の先生がいる中で落ち着かないよ」 とはいえ数学科準備室も別に落ち着くってわけじゃないけど。と笑った。 そんな風に笑う伊東に対して、妙に腹が立つ。 (ちり)のように積もった伊東に対する怒りの感情が溢れ出てくる。 「ねぇ、先生。ずっと気になっているんですけど。何で伊東先生はそんなに私に絡んでくるんですか。私を馬鹿にしては謝って、こうやって話しかけてきて。意味分かんないです」 私の態度が想定外だったのか。伊東は目を見開いて固まった。 「数学が出来ずに補習ばかりの私が面白いですか? 先生が受け持っている3年生にはいないですもんね。数学できない人」 全然口が止まらない。ここぞとばかりに溢れ出てくる。 伊東は固まったまま何も言わない。 「中学の頃から数学だけはできませんでした。その時も補習ばかり。高校入ってからも赤点回避できずにまた補習。どれだけ真面目に勉強してもできないんです。他の科目は全部90点以上なのに、数学だけ赤点。早川先生はそんな私を見捨てずに、夏休みまで補習をして下さり、今も私が理解できるまでとことん付き合ってくれます。本当に優しい方です。私、担当が伊東先生じゃなくて本当に良かった」 伊東の悲しそうに下を向いている。無言のまま何も言わず…静かに頭を掻いていた。 その様子を見て、やってしまった…そう思った。 「…すみません、言い過ぎました…」 冷静になり素直に謝ると、少し離れた場所から声が聞こえてきた。 「別に言い過ぎじゃないですよ、藤原さん」 「早川先生…」 廊下の角から現れた早川先生は、眉間に皺を寄せながら近付いてきた。 「途中から聞いていました。盗み聞きみたいになり申し訳ございません。伊東先生は藤原さんのことを何も知らないのに、容認できない言葉を浴びせました。僕、何度も言いましたよね。貴方には接点無いのだから、藤原さんには関わるなと」 眼鏡越しに鋭い視線を伊東に向ける。普段穏やかな雰囲気の早川先生から、怒りの感情が(にじ)み出ている。 「まずは藤原さんに謝って、その上で二度と関わらないことを約束したらどうですか」 「………」 「ほら伊東先生、早く。謝罪です」 伊東も眉間に(しわ)を寄せた。そして下唇を噛みながら後ろを向く。 「……」 そしてそのまま数学科準備室前から走り去って行った。 「何と大人気(おとなげ)ないですね。そして、生徒の前で廊下を走るなんて、教師失格です」   そう言いながら早川先生は眼鏡を外して溜息をついた。 七三分けにされた前髪が少し崩れていて、いつもと違う雰囲気になっている。 「早川先生、ごめんなさい。伊東先生のことも、数学の補習も…迷惑かけてばかりな気がします」 「…何を言っているのですか。この件に関しては悪いのは伊東先生一択です。数学の補習に関しては僕がやりたいからやっているだけですから」 早川先生は体を(かが)めて私と目線を合わせた。 「僕、伊東先生が藤原さんに絡むことで、藤原さんが益々数学嫌いにならないか心配もありました。数学ができないことは決して悪い事ではないです。ただ、高校生活が3年間あります。そこで藤原さんが少しでも数学が得意になれば、万々歳じゃないですか…。以前、数学が進路に影響してくるからと言ったのは本当ですけど、何より数学を少しでも得意になって自信として欲しいのです。藤原さんは数学のこと、まだ嫌いですか?」 早川先生はそこまで言って、ニコッと微笑んでくれた。 伊東に出会う前は早川先生のこと思って気が重くなっていたが、いつの間にかその気持ちも吹き飛んでいた。 「まぁ、数学は嫌いです。大嫌い。…それでも私、数学できるようになりたい。今は…少しだけ、そう思います」 そう言うと、早川先生は飛び切りの笑顔を見せてくれた。 「ふふっ。嬉しいです。藤原さん、その思い大事ですよ。僕はいくらでもお付き合いしますから」 早川先生は軽く私の頭をポンポンっとして、足を伸ばした。 「開始が少し遅くなりましたが、始めましょうか」 数学科準備室の扉を開けて部屋の中へ導いてくれた。   高校に入学してもうすぐ半年経つ。 “たった半年” なのに、色々ありすぎて頭がパンクしそう。
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