第二話 2人の時間

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駅を出発しておよそ5分後、早川先生の家に着いた。 前回来た時は真っ暗であまり見えなかったが、今日は周りが良く見える。 先生の家は、大きな2階建てだ。 車2台分のカーポート。 家の前に作られている花壇。 広々とした庭…。 ただ、どこも荒れていて手入れされている様子は無い。 呆然と周りを眺めていると、先生に肩を叩かれた。 「お恥ずかしながら、外まで管理が行き届いておりません」 「あ、いえ…別に何も思っていませんが…」 「……ガーデニングが趣味の父が作った花壇です。花壇も庭も、父が手入れをしていたのですけどね」 そう言いながら玄関の扉を開けた。 「どうぞ」 「あ、はい。お邪魔します…」 広い玄関。 前回はスニーカーが置いてあったが、今日は先生の革靴が2足置いてある。 「………」 やっぱり、先生以外の人が住んでいるような気配が無い。 ご両親は一緒に住んでいないのかな。 1人で住むには…大きすぎる。 「こちらにどうぞ」 リビングに通され、ソファに座るよう促される。 部屋の中はかなり手が行き届いているようで、とても綺麗な空間だ。 荷物を置いてソファに座ると、先生も隣に座った。 そして、思い切り抱きついてきた。 「…ふふ、子供みたい」 「子供で良いです」 抱きついたまま、私の頭をわしゃわしゃと撫で回す。 「髪がぼさぼさになるんですけど…」 「問題ありません」 いや、私が問題あるのだけど!! そう思うが、口に出しては言わない。 先生の顔があまりにも幸せそうで…。 「…先生、成長しましたよね。あんなに学校で触れていたのに、自制心が良く働いています」 「名前で呼んでください」 「…ふふ」 私からそっと唇を重ねて、先生の目を見る。 「裕哉さん、成長しました」 「でしょう。僕もやればできます」 そう言う表情は笑顔だったが、目からは涙が零れていた。 「…感情が渋滞していますね」 「大渋滞です。…はぁ、お恥ずかしい」 私は先生から零れる涙を指で拭う。しかし、拭っても溢れてくる。 「…先生の心が心配です。私にお話をしてくれませんか。頼りないかもしれませんが…」 そう言うと、先生は下を向いて目を伏せた。 そして少し黙り込んだ後、呟くように口を開いた。 「真帆さんは頼りないことありません。…正直、伊東先生の件からやることが増えて…疲れています。浅野先生もやる気はあるのですが物覚えは悪く…引き継ぐ予定だった業務は引き継げていません。それなのに同好会に関わりたいとか訳の分からないことを言って…僕の邪魔をするじゃないですか。真帆さんに触れたくても理性で捻じ伏せて、お休みの日もなかなか会えないから…同好会の2人きりの空間で我慢しようと思っていたのに。浅野先生が邪魔だから、癒されることもできません。疫病神ですかね、彼。…多分、心が限界です」 前半は教師としての早川先生。後半は1人の人としての早川先生。 2人の先生が浅野先生の存在に悲鳴を上げている。 …というか浅野先生、ポンコツか。 伊東よりも仕事ができないってことか。 「こんなこと、真帆さんに言うことでは無いですけどね。すみません、僕もダメな教師です」 ゆっくりと先生の頭を抱きかかえて撫でる。先生は俯いたまま、大人しく撫で回されていた。 サラサラで指通りの良い髪。 どれだけ撫で回しても飽きない。手触りが心地良い。 「……私では解決できないことに、悲しみを覚えます。私が生徒で無ければ…先生を支えることができたかもしれないのに…」 「真帆さんが生徒だったから、こうやって出会えました。僕はそこを否定するのはナンセンスだと思います」 顔を上げて、再び唇を重ねる。 離れた後、どちらからともなく微笑んだ。 「ごめんなさい真帆さん。泣き言はここまでにします。折角のお時間ですので、有意義に過ごしましょう。今日は何をしましょうか?」 先生はそう言いながら『鳥でも分かる!高校数学②』を取り出した。 「え、何で!?」 「ふふふ」 「数学をするなら帰ります」 「冗談ですよ」 本を机の上に置き、再び私の体を抱き寄せた。 優しい手付きに心臓が飛び跳ねる。 「映画観ますか? ホラーとコメディがあります」 「ホラーは怖いです…」 「ではコメディを観ましょう」 棚から1枚のDVDを取り出した。パッケージには『学園上等、羽佐間(はざま)クラス』と書かれている。 …何これ? 全く聞いたことが無いタイトルだし、俳優さんも知らない人ばかり。 「これが意外と面白いのですよ」 「有名な映画ですか?」 「有名ではありませんね」 先生は手際よくDVDを入れ、私の隣に座った。 リモコンで再生ボタンを押すと、大きなテレビに映像が映し出される。 『ここは私立星榎学園高等学校。偏差値が高いとは言えないこの学校には、生徒からも保護者からも恐れられる教師が居た…。勿論教師からの信頼も絶大…。その名も、羽佐間(はざま) 朔耶(さくや)』 「ぶふっ!! …え?」 『羽佐間 朔耶。彼が歩けば生徒が泣く。そんな逸話を持った、最恐で最強な…教師の鏡!!!』 テレビ画面には、羽佐間と呼ばれた教師が職員室から教室まで歩く映像が、ナレーションと共に映っている。 羽佐間は3年A組と書かれた教室の前で少し止まり、勢いよく扉を開けた。 『オラァァァァ!!!! 席つけぇぇぇぇぇい!!!!』 羽佐間は生徒に向かって声を掛けた。男性の裏声ボイスが響く。 「え、え? ちょっと待って、先生」 「どうしましたか?」 多分この映画の最初の笑うところ、羽佐間の裏声。 ここで笑うべきなのだろうけれども。それ以上に気になることがある。 「いや、ちょっと…え?」 リモコンを持って一時停止ボタンを押す。 まだ後ろ姿しか映っていないけれど。 これ…多分。というか、絶対。 羽佐間役って、早川先生じゃない!? どういうこと!? 「この人、先生ですよね?」 「ふふ、どうでしょう。まぁ最後まで観ましょう。短編映画なので40分くらいで終わります」 そう言って再生ボタンを押した。 『羽佐間センセ、オハッシャーッス!!!!』 『おはよう、可愛い生徒たち』 長ランに短ラン、リーゼント。竹刀。 引きずるくらい長いスカート、丈の短いセーラー服。適当に結ばれた赤いタイ。 昭和のヤンキーを彷彿させるような生徒達が言われた通り席についた。 そして、ついに羽佐間の顔が映し出される。 『今日も元気に…勉強するぞオラァァァァァ!!』 『オォォォォ!!!!』 七三分けに黒縁眼鏡。黒いスーツでネクタイをビシッと締めている。ヤンキーとは正反対の見た目をした…羽佐間。 「いや、早川先生!!!! どう考えても先生でしょ!!!」 「まぁ最後まで観て下さい」 至って冷静な先生。その表情は少し嬉しそうだった。 先生に言われた通り、大人しく最後まで映画を見た。 羽佐間が早川先生なのでは、という疑惑を除けばなかなか面白い内容だった。 他の先生の言うことを全く聞かないヤンキーたちが、羽佐間の言うことだけはしっかり聞くという設定から始まる学園コメディ。画質は少し粗いが画角は上手だった。出演者の表情も素敵。 「真帆さん、この映画良かったでしょう?」 「良かったですけど…これ何ですか本当に」 改めてパッケージを見る。羽佐間は後姿だけが写されていた。 「実はこれ、僕の友達が撮った作品です。自費製作作品となっております。羽佐間は…そう、僕です。8年前の僕が主役として演じている作品です。あの…あれです。教師になった記念ですね」 それを聞いて思わず笑ってしまった。 教師になった記念で映画を撮ってくれるなんて、良いお友達。 「演技上手いですね。見た目は先生なのに、声と喋り方が結びつかないので脳が錯覚していましたが」 「かなり頑張りました。俳優では無いので棒読みにならないようにだけ気を付けましたが」 先生はキッチンの方へ行き、飲み物を用意し始めた。 私は改めてパッケージに目を向ける。 私が知らない頃の先生。 何だか複雑な感情で心がモヤモヤする。 「今、この友達は新米映画監督として活躍しているのですよ。本当、頑張り屋な人です」 「有名になったら凄いですね」 「なれたら良いですけれども」 マグカップを2つ持って戻ってきた。 中身が白い。牛乳かな? 「真帆さん、どうぞ。ホットミルクです。ここに、これを入れてお飲みください」 ポケットから丸いチョコレートを取り出して渡してくれた。 先生はピンクの銀紙を剥いで牛乳の中に落とす。 そしてスプーンでゆっくりかき混ぜると、チョコレートが溶けて中からハートの形をしたチョコチップが出てきた。 「わぁ…可愛い…!!!!」 「ホットミルクチョコレートです。真帆さんもどうぞ」 「はい、ありがとうございます」 私も同じようにチョコレートを入れてみる。かき混ぜると、星の形をしたチョコレートが出てきた。 「可愛い…!! 凄くおしゃれですね」 「生徒が話しているのを聞いて気になったので買ってみたのです。そしたら予想以上にハマってしまいました」 先生がマグカップに口を付けるのと同時に、私も飲んでみる。 口の中に甘くて温かいチョコレートの味が広がる。 「美味しい…!」 「でしょう。いい歳をしたオッサンが少し恥ずかしいですが」 「そんなの関係ありませんよ。何が好きでも、それが先生です」 そう言えば、学校の自動販売機で早川先生と遭遇した時にいちごミルクを買って飲んでいた。その時に甘い物が好きって言っていたっけ。付き合う前の話。 マグカップの中に浮かんでいる星の形をしたチョコレートに目を向ける。 先生が好きな飲み物。それにすら愛おしさを覚えた。 「ところで真帆さん。いつまで先生と呼びますか?」 「あ、そう言えば…へへっ」 先生は先生だもん。 そう呼ぶことに慣れているから、つい先生と呼んでしまう。 「じゃあ、裕哉さん…?」 「何で疑問形ですか」 「ふふ、ちょっと照れます」 「今更ですね」 そう言いながら私に腕を伸ばし、ギュッと力強く抱き締めてくれた。    
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