第六話  非日常がもたらすもの

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夜の学校。 廊下も電気が付いておらず真っ暗だ。 「…うわっ!!」 静かな廊下にドーンっと大きな音が響く。 何もないところで転んでしまった。 膝を擦ってしまったようで、血が少し滲んでいた。 …またこのパターン。 「もう…いやだ…いやだ…」 痛みと苦しみと行き場のない思いが全部混ざって、場所を考えず大きな声で泣き喚いた。 もう限界だよ。 私は早川先生と有紗と…楽しく生活ができればそれで良いのに。 どうして浅野先生も神崎くんも、私のことを考えずに思いを伝えてくるのだろう。 「辛い…いやだ…」 廊下に座り込んで泣き続けていると、遠くから足音が聞こえてきた。 その足音はどんどんこっちに近付いてくる。 どこの教室か分からないけれど。 扉に背をくっつけて体育座りをして顔を隠す。 「……」 声を殺して泣き続けていると、足音は私の真横で止まった。 そして、優しく体を抱え上げられる。 「…真帆さん……。見つけました」 「え……早川先生…」 私をお姫様抱っこした早川先生は、どこかに向かって歩き始めた。 「先生…何で…」 「神崎くんと近藤さんが探していました。探し物を頼んだけど藤原さんが一向に戻ってこないと」 「…こんなに遅い時間なのに、何でまだいるのですか」 「文化祭前日は、教職員も総出で準備をしますので」 ひたすら歩き続け、先生はある部屋の前で止まった。 …数学科準備室だ。 先生は私をそっとソファに降ろし、備え付けられた電話機でどこかに電話を掛けた。 「…早川です。藤原さんを見つけました。怪我をしているようなので、手当をしてからそちらに戻って頂きます」 「…いえ、来なくて結構です。浅野先生は実行委員の生徒を監督しておいてください。あと、神崎くんと近藤さんにお伝えください。探し物は見つかってなさそうですよ、と」 そう言って電話を切った。 「……真帆さん。大丈夫ですか」 先生は私からの返答を聞かずに、力強く抱き締める。 浅野先生とは違う。 早川先生の包み込まれるような抱擁。 心の底から落ち着く感覚がする。 先生は少し力を緩め、そっと唇を重ねた。 「…浅野先生に、キスされそうになったのですね」 「え、何で知って…」 「本人から聞きました。キスしようとしたら逃げられてどこ行ったか分からないと。…馬鹿正直です」 そう言いながらもう一度唇を重ねた。 「僕という彼氏の存在を知っているのに。愚かです。多分、いつもと違う状況で…判断ができなくなっているのでしょう」 「………」 先生は私から離れて、教材が入っている棚から救急箱を取り出した。 「膝、痛いですか?」 「少し…。ていうか、ここに救急箱ありましたっけ?」 「真帆さんが何かと怪我をするので…。自前で用意しました」 「え、すみません…」 「僕の勝手ですから」 消毒液とガーゼを取り出す様子をボーっと眺める。 いつもの白衣ではなく、紺色の背広を羽織っている姿に胸がときめいた。 珍しく緩めに結ばれているネクタイ。 今日は開いているカッターシャツの第一ボタン。 少し崩れた、前髪。 「裕哉さん………エロい」 「はい?」 「色気が凄いです」 「……」 先生は無言で近寄ってきて、私の膝に消毒液を直接掛けた。 「痛い!!! え、直接!?」 「………浅野先生に抱き締められたこと、反省してください」 そう言って荒めにガーゼを貼り付けてくれた。 ずっと無表情だ。 「…裕哉さん、嫉妬ですか?」 「……いいえ。嫉妬を通り越して、浅野先生に怒りを覚えています」 救急箱を棚に戻し、私の肩を2回叩いた。 「…ほら、手当は終わりです。体育館に戻りますよ。夜も遅いですから。さっさと終わらせないといけません」 「……はい」 「僕も一緒に行きます」 差し伸べられた先生の手を握り、椅子から立ち上がる。 …待てよ。 先生も一緒に体育館に行くということは…。 津田さん…。 「先生、待って。前髪とネクタイ、いつも通りに直してください」 「え?」 「色気が凄いですから」 「………」 無言で鏡を覗き込み、前髪を手早く直す先生。 ネクタイも締め直して、目の前にはいつも通りの先生が現れる。 「それで宜しいです」 津田さんが変な気を起こしても嫌だし…。 前髪を崩しても良いのは、私の前だけ。 「……はぁ」 先生は小さく溜息をついた。 そして、強く私を抱き寄せる。 「色気ではないと思います。少しやつれていただけです。実行委員会が忙しくて遅くなるのは分かります。ですが、まさか一度も同好会に来ないとは思いませんでした。そんな状況で、今日はキスされそうになったと聞いて…とても正気ではいられません。怪我までさせられて…何ですか本当に…」 「怪我は自分で転んだだけです」 「原因が彼なことには変わりありません。浅野先生を庇おうと言うのですか?」 「何でそうなるのですか。違いますよ…」 ぎゅっと腕に力を入れて、先生は私から離れた。 「行きましょう」 数学科準備室を出て、ゆっくり歩き始める。 私は先生の一歩後ろを歩いて、背広の裾をちょっとだけ掴んだ。
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