渡邊医院のおじいちゃん先生

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 それから何年か経って私たち家族は引っ越した。  行こうと思えば、いつでも行ける程度の距離ではあったけれど……。  風邪くらいで電車やバスを乗り継いでまでは行かなかった。  それと不思議なことに引っ越した町にも渡邊医院と似たようなたたずまいの医院があったから。  和風の庭といい、玄関の重い引き戸、畳の待合室……。  渡邊先生よりは少しお若い先生だったけれど……。  この医院は奥様もお医者様で、ご夫婦で開業されていた。  それから私たち家族は風邪をひいたり、私が急性腸炎になった時も診てもらっていた。  行く度に渡邊医院を思い出してはいたけれど……。  そして月日は流れ、私は就職をして車の免許も取った。  若葉マークが取れた頃に、ふと、あの町に行ってみたくなった。  車で走れば、三十分程度で行ける懐かしい町に……。  ひとりでドライブを決め込んで、子供の頃、住んでいた町を訪ねた。  今のようにナビなんか付いていなくてもいくらでも走って行けた。道はしっかり頭の中に入ってる。  真っ直ぐな道を走って懐かしい町に入ると見た事もないスーパーが出来ていた。  ここは昔ボーリング場だったはず……。  その少し先に私が住んでいた家がある。  ところが信じられないくらい広い道路が出来ていて、懐かしい家はどこにもなかった。  十数年ぶりに訪ねた町はすっかり変っていた。  じゃあ渡邊医院は……?  この県道を道なりに走って行けばカーブがあって踏み切りを渡って、もう少し走れば左側にあるはず……。  なんだか不安になってきた……。  あれから十数年……。  白髪がふわふわして……。 先生クセ毛だったんだ。  丸い鼈甲の縁の眼鏡をかけていた。  その眼鏡の奥から、とても優しい目で診てくれていた。  私が小さかった頃の渡邊先生の年齢を考えると、もう八十歳近くなられただろうか?  そのままカーブを過ぎて踏み切りを渡って少し走って車を左に寄せて停めた。  車を降りて、このあたりだと思う場所を歩いた。  黒い板塀も和風のお庭も見当たらない。  やっぱり渡邊医院はもうないんだ……。  でもここだ。ここに間違いない。  代わりにビルが建っていた。  ビルは三階建てで入り口には渡邊ビルと書いてあった。  よく見ると二階には渡邊クリニック。  そういえば先生の息子さんが東京の大学病院に勤めていると子供の頃に聞いたことを思い出した。  きっと息子さんと一緒に元気に患者さんを診ているんだろう。  あの懐かしい渡邊医院には会えなかったけれど……。  今でも私の心の中には鮮やかに確かに渡邊医院はあるから……。  お庭も重い引き戸も、あったかい火鉢も。  眼鏡の奥の優しい目も。  あのかすれた 「偉かったねぇ」の声も……。    ~ 完 ~
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