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感情
「咲希ちゃんは俺と会ったこと覚えてるって言ってたよね?」
「はい…施設にいる頃にあゆちゃんが来てくれて、それから大ちゃんも…」
「そうか、聞いてもいい?」
「何かありました?」
「咲希ちゃんは頭を撫でられるのは、もう怖くない?」
俺はその質問はしてはいけなかったと思ったが、思わず聞きたくなってしまった。咲希ちゃんからは曖昧な答えが返ってきた。
「たぶん、大丈夫だと思います」
「たぶん?」
「そういう行動を今まで誰かにされたことがないのでわからないんです。確かに子どもの頃はそういった行動というか、男の人が近くにいて手を挙げるだけでも怖いと感じていましたが、今はだいぶ忘れていることも多いから…だから大丈夫だと思います。ただ…潜在意識の中ではまだ残っているのか、いまだにうなされることがあるんです。泣いてる自分に気がついて目が覚めることも…そうするとなんだかまだ自分はそこから抜け出せてない気がするんですよね。いつになったら治るのか…こればかりは仕方がないのかもしれませんね」
そういって寂しそうに笑う咲希ちゃんの頭をゆっくりと撫でた。
「怖くない?」
「はい。大人なのに撫でられると嬉しいです」
「じゃあハグもしようか」
「えっハグですか?」
「うん。さっきは俺とあゆみが夫婦かもって思って戸惑ったんだろ?ハグをするとね幸福感や満足度の効果があって、痛みや苦しみがやわらぐから幸せな気持ちになりやすいと言われているよ。日本人にはハグの文化がないからわからないけど、人生を生き抜くには1日4回のハグが必要。心のメンテナンスには8回。そして成長には12回。と言ってる人もいるんだよ」
「12回…そんなにですか?」
「そう。ちょっと多いよね。ようはスキンシップなのかな。ハグすると気持ちが穏やかで心が満たされるから」
「大ちゃんはハグする人はいるんですか?」
「いや…いないよ」
「じゃあなんで私なんですか?」
「咲希ちゃんには必要かな?ってよく眠れるおまじないみたいなものだね」
「おまじない…」
「そう。怪我した時、痛いの痛いの飛んでけ〜っていうでしょ」
「はい。昔、大ちゃんにもしてもらいました」
「あぁ…あれはエアーだったけどね」
「ごめんなさい」
「ん?どうした」
「私が怖がると思って…」
「気にしてないよ。それよりご飯にしよう。咲ちゃんを起こしてから仕上げをしようとしてたんだ」
「私も手伝います」
パスタを茹でてペペロンチーノを作った。咲希ちゃんは手際よく、スープやサラダをついでくれた。
「いただきます」
「これ美味しいです」
「そうよかった」
「男性でもご飯を作れる人いるんですね。大ちゃんはよく作るんですか?」
「たまにね。気分転換になるんだ」
「そうなんですね」
「どうかした?」
フォークを置いて俯いている咲希ちゃんに声をかけた。
「健吾さんはご飯だけは作れなかったんです。他のことは手伝ってくれることも多かったのに、お義母さんが料理の先生だったからかもしれないですけど、なにかって言うとお義母さんのこのご飯が美味しかったとか言われてしまって…ってすみません。食事中なのにこんな話して」
「いや、いいよ。心の中のものは吐き出したほうがいいから。それよりも咲希ちゃんはその人のことが好きだったの?」
「え?好き?」
「うん。男性として。例えば気づいたらその人のことしか考えられなくなっていたり、抱きしめられたいとか触れ合いたいとか…」
「そういう感情ってあまりよくわからなくて…」
「でも、セフレがいるってわかった時、苦しかったんでしょ?それはその人が好きだからじゃなくて?」
「違います」
思わずはっきり言ってしまった。私が健吾さんに抱いてた感情はさっき大ちゃんから言われた好きとは違う。私は悔しかったのだ。1年半も一緒にいたのに女に見られなかったことが、そう言う行為の対象外と言われてる気がして…だから好きとは違う。思えば一緒に暮らしてるから愛情が沸いていただけで、実際にはさっき大ちゃんに抱きしめられた時の方がドキドキしたし、あゆちゃんと夫婦じゃないってわかった時、嬉しかったんだもん。でも今さっき気づいたこの気持ちは隠さないといけない。絶対に…じゃないとここにはいられなくなるから。
「咲希ちゃん?大丈夫?」
「大丈夫です」
なぜか咲希ちゃんにそれ以上は言わないでという感情が見れて、そのあとは他愛もない会話で食事を終えた。片付けは咲希ちゃんがすると言うので俺は書斎に籠った。ある人物に連絡をするために…
「夜遅くに悪い。今大丈夫か?」
「珍しいな園田から電話なんて、また厄介な仕事か?」
「まぁ…お前が前に話した健吾って覚えてるか?」
「あぁ…あの貿易会社の次男坊だろ?確か中嶋健吾だったか」
「やっぱりあん時ちゃんと調べて貰えばよかったよ」
「何かあったのか?」
「俺がボランティアしてた施設覚えてるだろ?そこにいた子がそいつと暮らしていた」
「その子幾つだ」
「もうすぐ20歳だ」
「よかったな。20歳になった途端、売られてたかもな」
「やっぱりそうか…」
「俺たちもその事件に関しては追ってるが、事件はそれだけじゃないからな。でももう一度追ってみるよ」
「悪いな。佐竹頼むわ」
そう言って電話を切った。
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