あの日の約束

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あの日の約束

 和音(かずね)は小学校一年生のときに引っ越しをした。せっかくできた友達と離ればなれになってしまい、次の学校で友達ができるか不安だった。両親と一緒に隣の家に挨拶に行ったときが優幸(まさゆき)との出会いだ。 「はじめまして、和音くん」  小学生の和音からしたら高校生というだけで大人に見えるのに、優幸はとても綺麗な顔立ちをしていて一目で惹かれた。 「……かっこいい……」 「え」 「お兄さん、かっこいい!」  思ったままを口にすると彼はきょとんとしてから「ありがとう」と微笑んでくれた。  十歳も年下の子どもの相手などつまらないだろうに、優幸はいつも和音の相手をしてくれた。鬼ごっこをしようと言えば本気で捕まるし、かくれんぼも手加減なし。ずるい、と言いながら、そういうところも恰好よく見えた。  あるとき、クラスの担任が結婚し、和音も優幸と結婚したいと思った。その日、学校から帰ってきた優幸に「優幸さんのお婿さんになりたい」と言うと、彼は驚いた顔をしてから破顔した。 「お嫁さんにならしてあげる」  優幸と結婚できる、と嬉しくて、「じゃあ優幸さんのお嫁さんになる」と約束した和音を、優幸は優しく見つめていた。 「優幸さん、また部屋散らかして」 「あー、ごめん」 「いいけど」 「いいなら言うなよ」  ソファにのった服を片づけながら換気のために窓を開ける。  社会人の優幸は大手企業で働いている。大学二年になった和音は優幸の部屋に通い片づけをする。これは和音が高校生の頃からの手伝いだ。昔から片づけが苦手な優幸を放っておけなかったから。  和音が高校生になったとき、ひとり暮らしをしている優幸の部屋に遊びに行ったらとても散らかっていて、「よかったら片づけを手伝ってくれ」と言われた。仕方ないなあと思いながらも嬉しくて、それ以来和音は時間のあるときには優幸の部屋を訪れる。本当にお嫁さんみたい、とどきどきしながら片づけをするのだ。  優幸はもうあんな約束は覚えていないだろうが、和音には大切な言葉。あれはつまり、彼も和音が好きだという意味だったのだと思うだけでぽうっとなった。約束から十三年経った今ではどうかわからないけれど。 「食事作るから優幸さんは座ってて」 「悪いな」 「悪いなんて全然思ってないくせに」 「ばれたか」  和音を追いかけてキッチンに来た優幸に髪を撫でられる。見あげれば昔と変わらない優しい微笑みにどきりとする。 「いつもありがとな」 「……好きでやってることだから」 「それでも、だ」  きっと優幸は和音が片づけや料理が好きだからやっていると思っているのだろうが、そんなわけがない。たとえ好きでも自分以外の部屋を片づけたり人のために料理をしたりするために毎週通ったりしない。たしかにどちらも嫌いではないけれど、優幸は特別だ。優幸が好きだから手伝っている。だがそれを正直に言っていいのかわからない。大人な優幸には和音はいつまでも子どもに見えているだろうし、こんなに地味な和音を意識などしてくれるはずがない。  そういえば来月は優幸の誕生日だから、念のためバイトを休みにしてある。そう考えて、念のためってなんだ、と苦笑する。  きっと優幸は大事な人とすごして、その相手は和音ではない。いつか結婚して家庭を持つのだな、と思うとなんとも言えない気持ちになる。もしそのときが来たら喜ばなければいけないとわかっているのに、そんなことができるほど和音は大人ではない。ずっと優幸のそばにいたい。  優幸の部屋から帰る途中で誕生日プレゼントを探そうと思い、なにがいいだろうと乗り換え駅の駅ビルを見てまわる。  夕食を終えると、優幸がいるときは駅まで送ってくれる。泊まるのはだめだといつも言われている。今は和音だってひとり暮らしをしているのだから泊まっても問題ないと言ったのに、優幸は「俺に問題がある」と言う。その意味がわからないが、彼がだめというならおとなしく帰ることにしている。恋人ではないのだから仕方がないか、とため息をひとつ零す。  彼の恋人になる人はどんな人だろう。考える和音の頭にふわふわと女性の影が膨らむ。とても綺麗でスタイルがいい女性――頭の中でできあがった女性にもやもやする。和音のほうが優幸のことをよく知っているのに、と存在しない女性に嫉妬して苦笑いした。  そんなことよりプレゼントはなにがいいだろうと見ていたら入浴剤のショップを見つけた。色とりどりのバスボムが並んでいて、お風呂でリラックスしてもらえるかも、とそれを手にとる。粉末の入浴剤よりも楽しそうなのでバスボムに決めた。三つ入りのボックスを購入し、ラッピングしてもらった。喜んでくれるといいな、と緩みそうになる口もとを押さえて電車に乗った。
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