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みみず、みみず。
これは、私が小学校六年生頃の話。
当時、私の家族は引っ越しを繰り返していた。お父さんの仕事の都合ってやつで、全国各地様々な件を回っていたというわけだ。
お父さんの仕事の詳細はよくわからないけれど、全国各地の工場の監査や調査?をするような仕事だったと朧気に聞いた覚えがある。数日出張に行くだけではなく、いろんな工場の抜本的見直しを任されていたとかなんとか――いや、もう十年も前のことなので、このあたりも間違っているかもしれない。
とにかく。
私とお母さんは、お父さんと一緒にいろんな場所にお引越しするのが珍しくなくて、私もまたそれを苦に思うようなタイプではなかったと言っておく。今まで同じ学校だった友達と離れてしまうのは悲しいが、メールや電話でやり取りすることもできるし、何も外国に行くわけでもないから絶対会えなくなるわけでもない。お父さんの影響か、小学生のうちから一人で電車で遠くまで遊びに行ってしまうタイプだったので、余計辛くなかったとも言う。
引っ越すたびに新しい環境になるのはわくわくしたし、新しい学校で友達が増えるのはむしろ楽しいことだった。我ながら能天気で楽天的な性格だったので、他人に向かってグイグイ行くのも厭わなかったし、男子の友達も少なくなかったように思う。
さて、ここまでが前提。
六年生になってすぐ私たちが引っ越したのは、ある山の麓にある小さな村だった。この村の傍にお父さんの会社の工場を新しく作ることになったので、お父さんと社員数名が村に一時的に移り住むことになった、という流れだったような気がする。
元々その村には別の会社の工場があったのだけれど、その会社が倒産してしまって建物がまるまる空き家になってしまい、不便なところなので土地の管理者も困っていたところでお父さんの会社が買い取ったというわけらしい。
「うちの会社の機械、結構大きい音もするんですが、大丈夫えですかね?しかも、夜も稼働しますし……」
お父さんもお父さんで、村の人には結構ぺこぺこ頭を下げていた気がする。
お父さんの会社の工場は人里離れた場所にあることも多かった。お父さんの様子から察するに、騒音の問題があって人がたくさん住んでいるような場所に工場を建てるのが厳しかったのだろう。
一方村の地主さんも地主さんで、不便すぎる場所にあるでっかい工場を完全に持て余していたから、買い取りたいと言ってもらえて大助かりだったようだ。
「とんでもない!むしろ、こんな不便な土地と建物を買ってくださって、村としては本当に助かってます。しかも、本格的に稼働したら移住してくれる方もいるだろうとのことで……ええ、ええ、本当に嬉しいです」
やっぱり、東京とかの都会とは土地の値段が段違いらしい。
引っ越し先のアパート、家賃がとんでもなく安くてお母さんがひっくり返っていた。過疎化が進んだ村からすると、私達みたいな存在は大助かりだった、ということなのだろう。
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