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きゃはは、と声の方を追いかける。だんだん近づいてくる、助けてという声。ばしゃばしゃと大きな音を立てている。間違いない、誰か溺れてる。転ばないよう慎重に、なるべく急いで声の方へ向かう。
「助けて!」
「きゃははは!」
「誰かあ!」
「虫みたい、かっこわる!」
一緒に叫ぶ声と、笑う声が交互に聞こえる。僕は立ち止まった。
「た、助けて! おねがい!」
「何してるの? 早く助けないと溺れて死んじゃうよ!」
「なんで助けてくれないの!? ねえ!」
「ほらほら、馬鹿がもうすぐ死んじゃうよ」
その言葉にも僕は無反応だ。ザーザーと大きな音を立てた雨音が響き渡る。すると初めて女の子の声に別の感情があらわれた。
「なんで何もしないの、本当にこのままじゃ死んじゃうんだけど!」
「なんで君が焦るんだ」
僕の冷静な声に、女の子が一瞬言葉を詰まらせた。
「前にニュースでやってた。溺れてる人はね、『助けて』なんて言えないんだよ。顔が半分沈んでしまって実際は声をあげられない。だから溺れていることに誰も気づかないんだってさ」
ドラマとかではよく助けてと大声で叫んでいるけれど、実際はそうじゃない。助けてと叫べるのは、ライフジャケットなどを着て常に体が水面にある状態だ。
「助けを求めている子が何も言わなくなったね、どうして?」
「そ――」
「僕はね、とても耳が良い。助けを求める声と君が交互に喋っているのに気がついたよ。それに大雨の中でどうして君の声を聞けたんだろうね」
雨の音はすべてをかき消す勢いだ。ここまではだいぶ歩いた、店の中にいてそんな遠くの声が聞こるのは明らかにおかしい。この辺りだって近隣の住民はいるはずだ。何故その人たちは出てこないのか。
「冷静になればなるほどおかしいことが多い。生身の人間が、どうして冠水したところにはまってしまうんだ。車が入ってしまったのならともかく。あともう一つ」
助けを求める女の子の声は完全に聞こえなくなった。溺れてしまったわけじゃないのはもうわかってる。
「君は今まで、雨上がりで死んでいく生き物を笑ってきた。でも今回は雨が降ってて、水害そのものなのに笑ってる。今までと明らかに違う。なんで?」
「う、え、えっと、えっと」
どうやら思考回路が子供そのものなのは間違いないらしい。真正面から正論を言われて何も言えずにいる。
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