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池の底へ
おかあさんはカナに、『引っ越すこともおばあちゃんたちには黙っていなさい。』と言いつけ、その日の夜中に引っ越しの準備を始めた。
カナもお母さんに言われた通り、眠かったけれど、学校に行く時に持てるだけの物を持って、それでもおばあちゃんにはばれない様に、ランドセルの中と、学校のバッグに必要なものを全部入るだけ入れて、他の物は置いて家を出た。
その日はお母さんは会社を休んだようで、放課後学校までカナを迎えに来た。
「白井駅前のホテルをとってあるわ。お金はカナの将来の為に使いたかったけど、今だけ、逃げる間だけはお父さんの残したお金を使わせてね。
おかあさんはカナの事はしっかり守りたいの。お父さんが亡くなる前に約束したの。」
白井駅は黒井町からは大分離れているのでカナは学校も休むことになるのだが、今はそれどころではないらしいことは、カナにもわかった。
「ねぇ、おかあさん。7年経つと上がってくるって蝉みたいだね。でも、上がってきた子供達は別に羽化はしなかったんでしょう?脂漏化っていうの?になっても死んでいたんだよね。」
「それがねぇ、警察が確認できなかった子供が何人かいるのよ。行方不明になって7年後に池から上がってくるって言うのが確実になってからはもちろん、遺体を回収したけれどね。」
「あのさ、おばあちゃんちの階段の右の上に黒い影・・あったよね。」
「カナ。見えてたのね。
あのね、なんの証拠もないから言えないけど、あれ、多分おばあちゃんの身体から追い出されたおばあちゃんの心だと思う。
おばあちゃんに見えていたのはおばあちゃんになっているもの。と言ったらいいかしら。」
「え?おばあちゃんになっているもの?おばあちゃんじゃないの?」
「おかあさんは本当の親子だからわかるわ。あれはおばあちゃんじゃなくて、池から上がってきた誰かが羽化して化けたものよ。
あの黒い池から子供が上がって来たときの池の土の臭い。お母さんは忘れられないわ。お母さんが中学生の頃からおばあちゃんからあの池の土の臭いがするの。それに急におばあちゃんのお料理がヘタになった時期があってね。
夕食の支度を手伝おうとしたお母さんが声をかけたときに、振り返ったおばあちゃんの眼が白目になっていて背中から黒い何かがフワフワと上がっていた日から、元通りのお料理に戻ったわ。
多分、あの家の階段にいる黒いものはあの身体から追い出されたおばあちゃんだと思う。おばあちゃんが自分の身体に戻っている時だけ身体が耐えられなくて白目になるんだと思う。
おじいちゃんからも池の土の臭いがするのよ。
おじいちゃんは昔はもっと喋ったの。やっぱりお母さんが中学生の頃ね。急に何も話さなくなったの。
おじいちゃんの口から出るのは『ちゃんと勉強しなさい。』っていう一言だけなの。
多分、警察に見つかっていない遺体は羽化して、羽化した体から出た魂は人の身体を乗っ取るのだと思うわ。
お母さんはあの最初の遺体が上がった時の臭いを覚えているから、その臭いがすると、寝ていても目が覚めるし、多分あの羽化した遺体たちに乗っ取られる隙を与えなかったんだと思う。」
「なんで羽化してるって思うの?」
「何故って、警察が回収できなかった遺体を家のお風呂場で見たのよ。
脂漏化した遺体の背中が割れて何かが出た後、その何かが遺体をもう一度池に捨てに行くところまでね。」
「羽化って言っていいかはわからないけど、背中が割れるところなんて、蝉の羽化とそっくりじゃない?そして、全く違う姿になるのよ。」
「カナがおばあちゃんに質問したから逃げなきゃいけなくなったの?」
「正体がばれたとなったらきっと逃がしてくれないでしょうからね。
きっと、おばあちゃんになっているものが、最初に行方不明になった池に入った子供だと思う。その後は友達を求めて池に呼んだんだと思うの。
多分お母さんが見つけた遺体は最初の行方不明の子供ではなかったって事ね。」
カナはあの黒々とした池の水を思い出して、改めて氷を被ったようにゾッとした。
それから、カナとお母さんのミチは白井市に引っ越した。
以前お父さんが亡くなる前よりも少し小さい2DKのマンションだけれど、カナとミチの二人暮らしには十分だった。
白井市の方がミチの職場には近かったのでミチの帰宅も早くなった。
黒いものは白い土地には追いかけては来なかった。
そして、引っ越して半年ほどたった時驚くようなニュースがテレビから流れた。
「今日朝5時頃、○○県黒井町が突然の地割れにより池に沈みました。池は元々黒井町にあった池で、詳しい調査はまだですが、地質学者によれば、黒井町全体が、この池を埋め立てて造られた場所であった可能性が高いとの事です。町の中に何らかの歪が起きて、町ごと池に吸い込まれた様な有様です。
現在確認できている被害者は黒井町にお住いの池中ミチオさんとサチさんのお二人だと言う事です。
繰り返します・・・・」
同じニュースが繰り返された。
転校先の小学校ではカナが黒井町から来たことを知っているクラスメイトから色々尋ねられたが、カナは母のミチに言われた通り、『ちょっとだけ住んだ場所だから、あまりよくわからない。』と答えた。
警察から、被害に遭っているのは両親ではないかと事情を聞かれたミチは、
「確かに実家のあった場所ですが、父母とは縁を切って長いので今も住んでいたのかはよくわかりません。」
と、答えた。
大きな池となってしまった黒井町は今は誰も住むこともなく、黒黒とした水をたたえている。
そこまで大きな池も中々ないので、周囲の市でそこを買い取り、池を整備して観光名所にしたいと言い出した。
現在は蓮の花や菖蒲などが咲き、遊歩道ができて池の上を散歩できる美しい場所になっているそうだ。
花や水草のおかげでどうやっても黒く見える池の水も良くは見えないという。
ただ、今回沈んだはずである、ミチの父のミチオと、母のサチになっていたものが7年後に池から上がってくるのではないかと、ミチとカナはひそかに恐れている。
【了】
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