春一番

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 数か月前から私は寮で生活していた。過保護な両親の元を離れるために、遠方の女子大に進学したからだ。そして寮には様々な女子がいる。余暇の使い方なんて、十人十色だった。自室でひたすら編み物に励む子から、バンド活動に精を出す子まで。私といえば、自室で必死にメモ帳と向き合っていた。 「これはプライベートに踏み込みすぎだからやめておこうかな」  『どのフラペチーノをよく注文しますか?』にバツを付ける。  いくら私が注文に悩むことが多いからといって、よくない質問だと思った。私が聞かれたら、それを知ってどうするのかと怯えてしまうかもしれないから。 「こっちも。大事な家族のことはそっとしておかないとね」  『フウちゃんのお洋服の中でお気に入りはどれですか?』にバツを付ける。  彼の大切な家族であるフウちゃんは、白いうさぎのぬいぐるみで、時々SNSに登場しては私を笑顔にさせる。フウちゃんはたくさんのお洋服を持っていて、私のお気に入りは赤いジャンパースカートを着たフウちゃんだ。そのお洋服のほとんどが彼のお手製で、そこに彼の器用さが表れている。 「うーん、難しい!」 「なに悩んでるのよ~」 「わ、びっくりした」  突然後ろから話しかけられ、声を上げて驚いてしまった。寮で同室の友人だった。 「はるちゃんさ、また推しくんのことで悩んでるんでしょ。なんだっけ、ミュラ……」 「ミュラアキーくんね」 「そうそうその三浦くん」 「ミュラくんだから」 「絶対三浦あきおとかでしょ、本名」 「もう、それやめてぇ?」  友人の冗談に笑ってしまう。最初に言われた時から今まで、言われるたびに笑いが止まらなくなっている。ミュラが三浦からきているのではないか、それはSNS上でもよく見かけるし、仲間内でもいじられているのを何度も見てきた。だが、フルネームを予想する声はあまり聞いたことがなかったため、言われるたびに面白い友人だと思わされる。 「三浦くんも愛されてんね」 「ミュラくんだってば!」  ミュラアキーくん。彼は動画配信を生業としている有名人だ。男性で、おそらく私と同じくらいの年齢。ゲームが好きで、低音でゆったりと話す声が心地よいと評判だ。切れ者な彼によるゲーム実況はファン以外からも注目されている。  彼を知らない人にはいつもこんな風に説明をする。実際に彼女にも同じような説明をした。 私は彼の配信が大好きで、毎週火曜、木曜、土曜の21時からある定期配信は必ず見るようにしている。彼の真骨頂であるゲーム実況はもちろんだが、私は彼の雑談配信が好きだった。時々あるその配信は、彼の人柄が表れていて私を夢中にさせる。  そして実際、私はミュラくんへの質問で悩んでいた。何を質問すべきなのか、何なら聞いても失礼じゃないのか。それを考えることに、休日の半分を使ってしまっていた。  ミュラくんは、人との距離感を大事にする人だ。人の心に踏み込まず、踏み込ませず。私は彼のそんなところにも好感を持っているのだが、周りからは『壁がある』『ミステリアスだ』などと言われていることも多い。そんな彼へする質問だ、嫌な思いはさせたくない。 「……あんた気にしすぎじゃない?」  私のメモを一瞥した友人の一言だった。 「そう? でも、嫌な思いはさせたくないから」 「気を使われすぎるのもしんどいもんよ? あんたは気を使いすぎなの。勢いも大事!」 「そう、なのかなぁ」  一理ある。  彼女は今まで周りにあまりいなかったタイプの人で、歯に衣着せぬ物言いと、思い切りのいい決断をできるところがあった。ゆっくりと物事を考える癖のある私とは大違いで、私は彼女のそんなところに憧れている。 「そもそもこれなんのアンケートなの?」 「えっとね」  次の週末にミュラくんによるファンクラブ会員向けイベントがあることを説明した。その内容がオンライングリーティングで、ミュラくんと30秒間、一対一で話せるものであることまで告げると、彼女は顔をしかめた。 「それ大丈夫なの? だって男性苦手なんでしょ?」  そう。私も不安ではあった。  高校生の頃は必要事項以外で男子と会話をしなかったくらい、男性が苦手だった。この話を彼女にしたとき、おしゃべりな彼女が言葉を失っていたのを覚えている。 「ミュラくんは、その、ミュラくんとの30秒なら、大丈夫だと思うの」 「そっか! たしか中学までは話せてたんだもんね?」  まだ、私の中で男性への苦手意識が確立していなかったあの頃は話せていた。話せていたといっても、父と兄と、あと一人だけだけど。  『ハルカゼさん、ハルカゼさん』と、次第に私に心を開いてくれた男の子が懐かしかった。 「話せる子はいた、って感じなんだけどね」 「ふぅん? その言い方気になりますなぁ?」  彼女が企んだ表情になっているのを見て、ドキッとする。  その男の子も、異性と話すのが苦手だった。人と話そうとすると、睨みつけるような表情になる癖があった。そんな中、私が話しかけたことをきっかけにだんだんと仲良くなった。名前と容姿から、女の子だと思って話しかけたら、既に声変わりした低い声に驚いたのが昨日のことのようだった。  あの子は言葉にしなかったけど、きっと異性だけじゃなく、他人が怖かったのだと思う。 「特別な仲とかじゃないけどね。その子も人見知りだったし、ちょっと中性的な部分があったから。って、もう話ずれてるよ……」 「ほうほう? ま、頑張って話してみようって思えたんなら思い切っちゃいなよ」    あの子のこと、聞かれなくてよかった。話がずれたことを指摘してはいたけど、どこか安心していた。  でも、彼女の言葉に、急に自信が湧いた。思い切りよく決断ができるのってかっこいい。そう思った。 「じゃあ、思い切ってみる!」 「その調子その調子! じゃあ私出てくるから」 「いってらっしゃーい!」  私は彼女にそう告げると、『本名を私だけに教えてください』に二重丸を付けた。  スマホでファンクラブサイトにアクセスし、オンライングリーティングへの応募ページを開くと、聞きたいことを書く場所に『本名を私だけに教えてください』と記入する。呼び方については『はるちゃん』と記入し、応募した。 「はぁ……、応募しちゃったぁ。ふふ。ふふふ」  脳内でグリーティングのシミュレーションをする。  挨拶をして、呼ばれたい名前を名乗る。私の場合は、あだ名である『はるちゃん』と呼んでもらおうと思っている。呼び捨てを希望する人もいるらしいが、男性が苦手な私には、いくらミュラくんとはいえそれは困難だった。  そして質問である『本名を私だけに教えてください』を聞く。 「うんうん。……え? やばっ」  急に冷静になる。  私は何を聞こうとしているのだろうか。絶対にミーティングは当たらないどころか、ブラックリスト入りの可能性すらある質問を送ってしまったことに気が付いた。  手足が冷えていくのがわかった。口も乾いていた。眩暈がした。震えも止まらなかった。 「忘れ物忘れ物っ。ちょっ、はるちゃん息してる!?」  私を心配する友人の声が、頭の中で響いていた。
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