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大理石でできている証言台の床で、私は泣き崩れている。冷たい大理石は、心さえも冷やしていくようで悲しみが止まらない。
「そんなに現世に心残りがあるのか?」
閻魔大王は、大きな身体で私を見下ろし、憐れむような顔で諭した。
「私は三ヶ月後に結婚するはずだったのに、突然事故にあい、彼に別れも告げずに死んでしまいました。一言だけでも、感謝と別れをどうしても言いたいのです……」
「お前は、現世で人を恨む事もなく、怒りさえももたず、穏やかに過ごしてきた。お前は今から極楽行きだったが、その悔いを極楽で背負い続けては意味がない……。一度だけ現世に戻り、別れの時間をやろう」
「あぁ……あ、ありがとうございます」
感謝の言葉を述べると意識はなくなった。
目を覚ますと見覚えがある健介のマンションの前にいる。健介は、私が突然居なくなり、憔悴しているはずだ。
私を見て、始めは驚くかもしれないが、きっと喜んでくれる。
いつものように優しく抱きしめてくれるだろう。
はやる気持ちを抑えながら、健介の部屋のインターホンを押した。
ドアを開けた健介は、私を見ると、悲痛な声を出し、勢いよくドアを閉めた。
私は思わず閉めたドアを開ける。
健介は腰を抜かし、後退りしながら呟いていた。
「ち、違うんだ……違うんだ……ごめんなさいごめんなさい……」
それは私が期待していた健介の表情ではなかった。明らかに今まで向けられた事がない、異様なモノを見る眼差しを私に向ける。
今の私は事故で壊れた身体ではない。
閻魔大王は元の身体に戻してくれていた。
着ている白いワンピースだって、天使を思わせるくらい輝いていて、怖さなど一つも感じない。
健介の反応が想像と違い胸を締め付けられるが、きっと私が死者で、知らない世界の者がゆえに怯えているだけだ。
弱虫な健介には私が別人に見えているのかもしれない。
「健介。美紀だよ? 怖い思いさせたかった訳じゃないの。どうしても健介に、好きになってくれた感謝とサヨナラが言いたくて来たの。好きになってくれてありがとう」
健介はさっきまでの震えは嘘のようにピタリと止まり、目を潤すと鼻をグスンと啜った。
「美紀……。俺の方こそこんな俺を好きになってくれて、ありがとう」
私は涙が溢れる。
不細工になった顔を健介に見られたくなくて、顔を両手で覆う。
最後の別れは笑顔の顔で記憶に残りたい。
それが私のできる唯一の事だと思うから。
「健介〜お風呂気持ち良かった〜。やっぱりニ人で入れば良かったねぇ〜」
聞き覚えがある若い女の声が聞こえる。
私の視線の先には、親友の愛里が濡れた髪で、浴室に繫るドアから出てきた。
愛里は目を見開き、健介はバツが悪そうに頭を押さえている。不穏な空気に変貌した。
「愛里……」
私は頭の整理がつかず、続く言葉が見つからない。なぜ健介の部屋の風呂に愛里が入っているのか? 正当な理由が何も浮かばない。
「美紀? 幽霊? 本物? ……私と健介が付き合ってるから化けて出てきたの?」
「え? 健介と愛里が付き合ってる……?」
まだ私が死んで日が浅い。
嘘だと否定してほしくて健介を見たが、無言のまま項垂れている。
確かに健介は、自分に自信は無いし、寂しがり屋だ。所謂ダメ男だがそれでも私には優しいし、一緒に生きていきたい人だった。
私が居なくなり寂しいのはわかるが、流石に常識がズレている。愛里は、下を向いている健介の頭を優しく撫で、口角をあげ笑った。
「健介は大丈夫よ? 私とお腹の子供と三人で幸せになるから……」
「お、お腹の子……?」
私は呆然とした。
しかし、死者の私にできる事は何もない。
私は愛里の言葉を聞き、身体の中から熱いマグマのようなものが湧き出てくるのを感じた。
勝手に身体に力が入る。握りしめている掌は爪が皮膚に刺さり、痛みさえも怒りの一部に含まれる気がした。
「健介は私と結婚するの! 美紀が別れてくれないから、健介が駅のホームで美紀を押したのよ。健介をそこまで追い詰めて、本当にかわいそう……。でも安心して。私達は幸せになるから、美紀も安心して成仏してね」
愛里は、黙ったままの私に清めの塩をかけ、合掌をした。身勝手極まりない。
私は信じていた人達に裏切られ、絶望に打ちひしがれる。私の人生は何だったのだろう?
「本当に健介が殺したの?」
「いやぁ……死ぬなんて思わなくて。怪我するくらいでよくて……別れ話をするきっかけが、欲しかったんだ。美紀はどんどん式の準備進めるし。どうしようもなくて……」
「絶対許せない……」
気がつけば白いワンピースは黒く変色し、天使なんて言葉とは程遠い。
目が血走る。
今まで味わった事がない汚い黒い感情と、逆に胸がすくような開放感を感じる。
私は二人を追いかけた。
二人は逃げながら私に物を投げつける。
物が当たった痛みなんて何てことない。
胸の痛みの方が上回るのだから。
そして、とうとう二人を追い詰めた。
二人は逃げ場を失い、隣の家のベランダに逃げようと、ベランダの手摺に身を乗り出す。
私は微笑むと、二人の身体をそっと外へ押し出した。
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