風 第一章

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(あれ) いつものように父と兄が、剣術の稽古をしている様子を縁側で正座して見ていた優之進は、違和感を覚えた。 (目がおかしいのかな) 優之進は、目を擦ってみたが変わらない。 (おかしいな) と思いながら、父と兄の稽古を見続けた。 でも、隣りに座って繕いをしている母の動きは、いつも通りに見えた。 夜、いつものように昼間に父が兄に教えていたことを思い出しながら、庭で拾った太い棒を振っている時に今まで感じたことの無い気を感じた。 (あれ、どうしたのかな) と思っていると、棒を振るスピードが早く、動きもかなり早い。 (昼間は父上と兄上が、稽古している時だけ動きが遅く見えるし、今日は変だ) と思い、早く寝ることにした。 翌日もやはり父と兄の稽古中の動きは遅く見えた。 (なんでだろう) と思っていると、父が兄に打ち込んでいく姿が見えたので、 「兄上、面」 と優之進は、仲良しの兄に向けて言うと、兄は頭上に竹刀を持っていく。 父の視線を感じた優之進は、 「父上、申し訳ございません」 と言って、頭を下げた。 「優之進、何故父が面をうつと分かった?」 と父の声がしたので、 「はい、肘が上の方に動いたのが見えたので」 と優之進が答えると、 「そうか、こちらに参れ」 と父に言われたので、庭に降りると、 「武之助と立ち会ってみよ」 と父は言って、持っていた竹刀を渡す。 「父上、優之進は一度も稽古したことがありません」 と兄が言っても、父は何も言わず、腕を組んで立っている。 優之進は、いつも父と兄がやっているように兄の前に立って、一礼すると竹刀をかまえた。 すると急に 「待て」 と父は言ってから、 「父が立ち会おう」 と言って、兄から竹刀を受け取って、優之進の前に立ち、一礼し、竹刀をかまえた。 父は全く動かず、優之進も動かなかったが、父が急にかまえを解き、 「優之進、部屋に来なさい」 と言って、部屋の方に歩いていく。 「はい」 と優之進は返事をしてから、立ち去った父に向かって一礼し、父の後を追った。 兄と二人で部屋に入ると、 「座りなさい」 と父に言われたので、父の前に座ると、 「優之進」 と言ってから、 「そなたが毎日部屋で一人で稽古しているのは知っている」 と言い、 「先程、父は全く動けなかった」 と言ってから、目を閉じた。 今、目の前に座って爽やかな雰囲気の優之進とは違い、たちあった時には今まで感じたことのない気を感じ、前に出ることも出来なかった。 (この子には、剣の才があるのではないか) と父は思い、 「優之進、これから岡本の道場に行くぞ」 と言って、立ち上がったので、 「はい」 と優之進も言って、立ち上がった。 三人で道場に行くと、道場主の岡本は、 「どうした?」 とびっくりした様子だった。 父と岡本が、二人だけで話をし、 「優之進、竹刀を持ちなさい」 と父に言われたので、 「はい」 と優之進は返事をして、壁にかけてある竹刀を手に取った。 岡本も竹刀を取り、お互い一礼してかまえる。 (平川が言っていたのはこのことか) かまえてから優之進から発せられる気に圧倒された。 隙は見えず、足を前に進めることも出来ない。 (こんな若い子に負ける訳にはいかない) と自分を奮い立たせてから、岡本は得意技である渾身の突きを繰り出した。 早い突きであったが、竹刀の先で払われてしまい、目の前には優之進の姿は無く、岡本の左側に回り込んでいた。 岡本は、そのまま片手で胴を狙って竹刀を横に振るが、優之進は素早く後ろに体を動かしたので、岡本の竹刀は空をきった。 「優之進、打ち込んできてもいいぞ」 と岡本がかまえ直してから言うと、 「はい」 と返事が聞こえたかと思うと、あっという間に間合いを詰められ、岡本の胴の手前で竹刀は止まっていた。 「まいりました」 と岡本は言って、かまえを解いたので、優之進も 「ありがとうございました」 と言って、かまえを解き、一礼した。 「優之進、俺の所で師範になってくれないか?」 と汗を拭きながら岡本が聞いてきたので、 「僕がですか?」 と優之進がびっくりして聞くと、 「そうだ。ちゃんと手当は払うからさ」 と岡本が笑顔で言うと、 「優之進、そうしなさい」 と父も珍しく笑顔で言ったので、 「分かりました」 と優之進は、返事をした。 優之進は、岡本の道場で剣術を教えることになった。 道場には、侍やその子供、町人が通っており、急に現れた優之進が師範と聞くと、 (こんな若造が師範なのか) とバカにしていたが、時々道場にやってくる腕自慢の者達を一撃で倒す様子を見て、考え方を改めていき、稽古を岡本より優之進に指導してほしいという者ばかりになり、 「俺に教えてほしいと言う者がいなくなったわ」 と優之進の父に嘆いていた。 そして、あっという間に、 「江戸で若いが一番強い剣士がいる」 という噂が江戸中に広まっていった そんなある日、道場で稽古をしていると、 「優之進、ちょっと」 と岡本に呼ばれた優之進が座敷に入ると、一人の侍が座っていた。 「壬生藩の長岡と申します」 と長岡は言って、頭を下げた。 「平川優之進です」 と優之進も頭を下げると、 「我が主左近が、是非平川殿にお会いしたいと申しているので参りました」 と長岡が言ったので、優之進が隣りに座る岡本の方を見ると、 「父には言っておくので、行ってきなさい」 と岡本が言ったので、 「分かりました」 と優之進は答えた。 館の一室に案内され、 「すぐ主は参りますので、少々お待ちください」 と長岡は言って、優之進の隣りに座ると、廊下を歩く人の気配を感じた。 「よく参られた」 と言いながら、左近が部屋に入ってきたので、長岡とともに頭を下げていると、 「面をあげてください」 と声がし、 「鳥居左近です」 と左近は、笑顔で言った。 「平川優之進です」 と優之進が言うと、 「私とそれ程歳が変わらないのに江戸で一番強い剣士とはとてもすごいです」 と左近は笑顔で言ってから、 「長岡」 と言うと、長岡が優之進の前に一振りの刀を置いた。 「平川殿のような方に是非使っていただきたい刀です」 と左近が言ったので、 「いただく訳にはいきません」 と優之進はすぐ断ったが、 「平川殿」 と隣りに座る長岡が頭を下げたので、優之進が困っていると、 「私が持っていても宝の持ち腐れなので」 と左近は言い、 「ただ、この刀で人を斬らないでほしいです」 と言った。
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