風 第一章

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「分かりました」 と優之進は了承し、 「ありがとうございます」 と頭を下げ、頭を上げると左近の後ろの壁に桔梗の絵が飾られているのが見えた。 (本物ではないか) と優之進は心を打たれ、しばらく見入っていると、 「平川殿、いかがされた?」 と左近の言葉で、我に返り、 「後ろに飾られている桔梗が、あまりにも素晴しく見入ってしまいました」 と答えると、 「平川殿に差し上げよう」 と左近は立ち上がり、壁から絵を外し、優之進に渡そうとすると、 「いただく訳にはいきません」 と優之進が断るが、 「絵は、気に入った方が持っていれば喜びます」 と左近は、笑顔で言った。 「このようにたくさんいただいては申し訳ありません」 と優之進が言うと、 「私が好きでお渡ししているのですから」 と左近は言い、 「時間がある時にお会いできますか?」 と聞かれたので、 「もちろんです」 と優之進は、笑顔で言ってから、 「色々とありがとうございました」 と言って、頭を下げた。 家に戻り、父に左近とのことを話し、刀を見せると、 「いい刀だから大切に使いなさい」 と刀を見ながら言われ、 「その巻物は?」 と聞かれ、 「あまりにも素晴らしい絵だったので、見入っていたらいただきました」 と優之進は答えた。 部屋に戻った優之進は、桔梗の絵を見ながら、 (自分で描いてみよう) と思い、文机に置いてあった紙に絵を描き始めた。 なかなか上手く描けなかったが、何回も描いているうちに、心が落ち着きてきた。 そして、細かい所までよく観察するようになってきた。 そうすると初めに描いた絵よりも少しずつではあるが上手くなっていった。 それからは、道場でもらったお金で紙等の使う物を買い、部屋で剣術の稽古を終えた後、夜遅くまで絵を描き続けていた。 「優之進」 と道場から戻った優之進は、父が声をかけられ、 「部屋にきなさい」 と言われたので、父の部屋に行くと両親が座って待っていた。 「優之進にたくさん仕官の話がきている」 と父は言い、 「優之進は、剣と絵のどちらで生計をたてていくのだ?」 と聞かれた優之進は、迷うこと無く、 「絵です」 と即答した。 「優之進」 と父が言った時に、 (怒られる) と優之進が思っていると、 「遅くまで絵を描いていることは知っている」 と父は言ってから、 「絵を見てみたが、絵心の無い父でもとても素晴らしいと思った」 と笑顔で言った。 「ありがとうございます」 と優之進が言うと、 「人生は一度だけだから自分の好きな道を進みなさい」 と父が言ったので、 「はい」 と優之進が言うと、 「それと長岡から道場の近くに空き家があるから優之進に住まないかと言われている」 と父は言い、 「町の者が住んでもらいたいと皆言っているそうだ」 と言った。 優之進は迷っていたが、 「分かりました」 と返事すると、 「優之進は、家のことを色々手伝ってくれているから一人暮らしをしても安心です」 と言う母が淋しそうな顔をしていたので、 「母上の顔を見に遊びにきます」 と優之進が笑顔で言うと、母の顔に笑みが浮かんだ。 「どうだ、優之進?」 稽古が終わり、長岡とともに引越先の家を見にきた。 垣根に囲まれ、庭が広く、桜の木が隅に植えられているのを優之進はすぐに気に入った。 縁側があるので、桜が咲いたら花見ができる。 「気に入りました」 と優之進は、笑顔で答えた。 「優さん、いつ越してくる?」 垣根の開いている所に長屋の人達がたくさん集まってきており、 「明日には越してきます」 と優之進が答えると、 「わー」 と歓声がし、 「手伝いにくるからな」 「掃除は任せておいて」 と皆が言っている。 「優之進は、皆に好かれているな」 と岡本が言ったので、 「皆さんにはいつもお世話になっています」 と優之進は言った。 引越は、たくさんの人が手伝ってくれたおかげであっという間に終わった。 皆が帰った後、静かになった縁側に優之進は座り、葉の生い茂る桜の木を眺めていた。 (新しい生活がこれから始まる) 期待に胸を膨らませ、筆を手に取り、桜の絵を描き始めた。 「優さん、帰りかい?」 道場から帰る途中、町ですれ違う人達に聞かれ、 「はい」 と優之進が、笑顔で答えながら歩いていると、 「やめてください」 と女性の声が聞こえた。 優之進が、声の聞こえた方に向かうと、女性二人が五人の侍に囲まれている。 「どうしましたか?」 と優之進が近づいて行くと、 「なんだ、貴様は」 と一人の侍が、優之進の方を向いて言い、 「助けてください」 と女性が言ったので、 「そこをどいてください」 と優之進が、女性に近づこうとすると、 「貴様」 と一人の侍が殴りかかってきた。 優之進は、素早く相手の右側に体を動かすと勢い余った侍は、地面に転がった。 「貴様」 と女性を囲んでいた侍達が一斉に優之進の方を向く。 「優さん、やっちまえ」 騒ぎを聞きつけた町民達がたくさん集まってきて、侍達に野次をとばす。 一人、また一人と優之進に殴りかかっていくが、最初に殴りかかってきた侍と同じようにそのまま地面に転がっていく。 「ざまあみろ」 とたくさんの野次がとぶ中で、最後に残った侍が刀をぬくと、野次はぴたっとやんだ。 侍は、刀をかまえたまま動かず、優之進は刀を抜かずに侍をじっと見ている。 「うわー」 と言う声とともに侍は、刀を上に振りかぶって優之進に斬りかかっていく。 刀が振り下ろされる前に侍の前から優之進の姿は消え、むなしく刀は空をきった。 侍の右側に回り込んでいた優之進は、刀を持つ右腕を手刀で叩くと、 「いてー」 と侍は言って、刀を落とした。 「おぼえてろ」 侍は、優之進に叩かれた腕をさすりながら刀を拾い、他の侍達と逃げていった。 「ざまあみろ」 「二度と来るな」 と逃げていく侍達の背中に町民達は、罵声をあびせた。 「怪我はありませんか?」 と優之進が、女性達に聞くと、 「はい」 と答えてから、 「ありがとうございました」 と女性は頭を下げ、 「私は、薬の商いをしております高岸屋の娘の花と申します。こちらは、侍女の万です」 と言ったので、 「平川優之進です」 と笑顔で言い、 「気をつけてお帰りください」 と優之進は言って、歩き始めた。 翌日、稽古を終えた優之進が家に向かっていると、 「優さん、おかえり」 と長屋の女性達に声をかけられ、 「ただいま戻りました」 と優之進が頭を下げると、 「お客さんが来ているから縁側で待ってもらっているよ」 と言われたので、 「分かりました、ありがとうございます」 と優之進は言って、早足で家に向かうと縁側に男性と花が座っていた。
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