風 第一章

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「お待たせいたしました」 と優之進が声をかけると、 「私どもが勝手に参ったのですからお気になさらず」 と男性は言って、縁側から立ち上がり、 「昨日は娘を助けていただきありがとうございました」 と深々と頭を下げて、 「花の父の高岸屋と申します」 と言った。 「はじめまして、平川優之進です」 と優之進も頭を下げた。 「お礼に我が家でご馳走したいと思い、お迎えに参りました」 と高岸屋が言ったので、 「お礼などいりません」 と優之進が断ると、 「花のためにもお越しください」 と高岸屋が言うと、花の顔が真っ赤になった。 すると、 「優之進先生」 という声が遠くから聞こえてきた。 声がどんどん近づき、垣根の間から道着をきた生徒が現れ、 「岡本先生が優之進先生を呼んでくるように言われました」 と息を切らせながら言ったので、 「何かありましたか?」 と優之進が聞くと、 「五人の侍が道場に押しかけてきて暴れています」 と呼吸を整えながら答えた。 「昨日の」 と花が言いかけたところで、 「高岸屋さん、花さん、いってまいります」 と優之進は頭を下げて走り出した。 「やっと来たか」 道場に入ると昨日刀を抜いた侍が、竹刀を肩にのせて立っている。 他にいる4人の侍は、昨日と違っていた。 床には生徒が数名うずくまっており、 「優之進、すまない」 と腹に手を当てて床に座っている岡本が言った。 騒ぎを聞きつけた町民達が、心配そうに道場の中を見ている。 「あなた達を許さない」 今まで誰も聞いたことの無い優之進の大きな声に皆びっくりした。 優之進は、床に転がっている竹刀を手に取り、手前にいた侍の胴を素早い速さで打ち抜いた。 「うわ」 と腹を抱えて侍が、床にうずくまる。 次々と侍達がかまえる前に優之進が、胴や腕を打っていくとそれぞれ打たれた場所を押さえて侍達は床にうずくまっていく。 「貴様」 と昨日の侍が、かまえようとする前に優之進は、侍の喉元に竹刀の先を寸止めした。 「うわー」 と侍は、大きな音を立てて床に倒れこんだ。 「みなさんにお詫びしろ」 と再び優之進の大きな声が道場内に響いた。 侍達は、正座して深く頭を下げた。 「お帰りください」 と優之進がいつもの声で言うと、侍達は静かに帰って行った。 入れ違いに、 「平川殿、薬を持ってきたので手当します」「 と高岸屋と花、奉公人が岡本と生徒達の手当を始めた。 「高岸屋さん、ありがとうございます」 と優之進が礼を言うと、 「私どものせいですから」 と高岸屋が言うと、 「高岸屋のせいではない」 と岡本が笑顔で言い、 「優之進、さすが江戸で一番強い剣士だ」 と優之進の方を見て言い、 「俺は、鼻が高い」 と笑った。 皆の手当が終わると、 「平川様、家にお越しください」 と優之進の近くにきた高岸屋に言われたので、 「はい」 と優之進は、笑顔で答えた。 高岸屋に向かう途中、 「優さん」 「優さん」 と町の人達から声をかけられ、すれ違う女性は振り返り、 「平川様は、たくさんの人に好かれていますね」 と高岸屋に言われたので、 「高岸屋さん、優さんでいいですよ」 と笑顔で言った。 高岸屋に着くと、高岸屋の妻が出迎え、 「この度は娘を助けてくださり、ありがとうございました」 とお礼を言い、 「このような綺麗な顔をされていて、剣術がお強いとは」 と言いながら、花の方を向いた。 花の顔がみるみる赤くなっていった。 「それでは食事にしましょう」 と高岸屋は言った。 食事が済み、食後のお茶とお菓子が運ばれてきた時、優之進の顔に笑みが浮かんだので、 「優さんは、甘いものが好きなの?」 と花が聞くと、 「はい」 と優之進は、笑顔で答え、うれしそうに饅頭を食べ始めた。 「優さん、家に遊びに行ってもいい?」 と花が聞くと、 「はい、いつでもお越しください」 と優之進は答え、 「今日はありがとうございました」 と見送りをする高岸屋一家にお礼を言って、頭を下げ、歩き始めた。 「素晴らしい若者だ」 と高岸屋は、遠ざかっていく優之進を見ながら言うと、 「優さんといると心が癒されますね」 と高岸屋の妻は言ってから、 「ねぇ、花」 と言うと、花は顔を赤らめて下を向いてしまった。 「優之進」 と稽古をつけていた優之進に岡本は声をかけ、 「お客さんだ」 と言ったので、座敷に入ると一人の侍が座っていた。 「先日は我が兄がご迷惑をおかけしました」 と優之進が岡本の隣りに座ると侍が謝り、頭を下げた。 「私は、岸川孫次郎と申します」 と言ったので、 「平川優之進です」 と優之進は、笑顔で言った。 「父から岡本殿、平川殿に謝罪してくるように言われました」 と孫次郎は言ってから、 「兄は、寺で修行することになり、心を改めることになりました」 と言った。 「それはいいことですね」 と優之進が言うと、 「失礼かと思いますが、こちらの道場で稽古したいと思うのですが」 と孫次郎が言ったので、 「分かった」 と岡本が言うと、 「ありがとうございます」 と孫次郎は、頭を下げる。 「ちょうど稽古中だから行きましょう」 と優之進が言ったので、二人で道場に向かった。 道場内は、たくさんの生徒がおり、熱気があった。 優之進は、一人一人に分かりやすく指導しており、 孫次郎も優之進から指導をうけた。 稽古が終わると数名の生徒が掃除を始め、優之進も掃除している。 「先生がずっと稽古終わりに掃除されているので、順番で生徒も掃除しています」 と一人の生徒に孫次郎は言われたので、孫次郎も掃除を始めると、 「岸川さん、ありがとうございます」 と優之進は、笑顔で言った。 (歳が近いのに素晴らしい人だ) と優之進の人柄に惚れ込んだ孫次郎は、 (平川殿を目標にがんばろう) と心に誓った。 「家に寄っていきませんか?」 道場の帰り道が同じだったので、一緒に帰っていると優之進に聞かれたので、 「はい」 と孫次郎は答える。 「優さん」 「優さん、おかえり」 と町を歩いているとたくさんの人達に声をかけられる。 (平川殿は、皆に好かれている) と孫次郎が思っていると、 「こちらです」 と優之進が、垣根の間を入っていくと、 「優さん、おかえりなさい」 と庭で遊んでいた子供達が、優之進のもとにやってくる。 「ただいま戻りました」 と優之進が笑顔で言うと、 「優さん、おかえり」 と花と万が、縁側からやってくる。 「先程は失礼いたしました」 と孫次郎が、花に頭を下げた。
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