風 第一章

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「そうか」 土方は、 (隊に入ってくれれば総司と二枚看板になるのだが) と残念がった。 刀の鞘に手をかけた時に凄まじい気を感じ、さすがの土方も怖気づいた。 それが、今隣りを歩く優之進からは爽やか風を感じる。 「平川君は、風のようだ」 と土方が言うと、 「あっ」 と優之進が言ったので、土方が優之進の方を見ると、 「ちょうど雅号を何にしようか考えているところだったので、風にします」 と優之進は言い、 「ありがとうございます」 と深く頭を下げた。 (じつに惜しい) 土方は、歩きながらずっと思っていた。 「ちょっとここで待っていてくれ」 と土方は、屯所の一室に優之進を案内し、 「分かりました」 と優之進は言って、外の景色を眺めていた。 「待たせたな」 と土方は、数名の者と部屋に入ってきた。 「近藤です。先程はどうもありがとう」 と上座に座った近藤が言ったので、 「平川優之進です」 と優之進は、頭を下げた。 「沖田です」 「永倉です」 と座った者達に言われ、優之進は頭を下げた。 「平川君、僕と立ち会ってくれるかな?」 と沖田に聞かれ、 「総司」 と土方が言ったが、 「はい」 と優之進は、笑顔で答える。 庭に二人でおりると、竹刀を持った者が現れ、 「斉藤さんです」 と沖田が言ったので、 「平川優之進です」 と頭を下げると、竹刀を手渡された。 お互い一礼してから、竹刀をかまえる。 「これは」 と近藤が言うと、 「そうです」 と土方は、短く答えた。 先程までの爽やかな優之進と違い、竹刀をかまえると同時に、土方がさっき感じた凄まじい気をここにいる誰もが感じた。 お互い一歩も動かずにいると、 「僕の負けだ」 と沖田は言って、かまえを解いた。 「ありがとうございました」 と優之進は、かまえを解き、一礼する。 お互い剣の強い者同士だと動かなくても勝敗が分かるのかもしれない。 「平川君は、全く隙がない」 と縁側に並んで座っている土方達に沖田は言いながら、縁側に座り、 「撃ち込んだら僕が撃たれていたね」 と言うと、 「僕は、沖田さんの突きをどうやってかわすか考えていました」 と優之進が、笑顔で言うと、 「僕の手まで読まれていたら勝てる訳ないね」 と沖田は、声をあげて笑った。 「近藤さん」 と沖田は言ってから、 「平川君に隊士の稽古つけてもらおうよ」 と言うと、 「どうかな?」 と近藤に聞かれたので、 「京にいる間でしたら」 と優之進は答えた。 「平川君」 と近藤が言った時に、何を言おうとするか分かった土方は、近藤の膝に手をやると、 「よろしく頼む」 と近藤は言った。 「平川君、こっちだよ」 と沖田と優之進は、道場の方に歩いていく。 「惜しいな」 と近藤は言って、腕を組んで目を閉じた。 「優さんが、元気に早く帰ってきますように」 優之進が京に行ってから、毎日花は西の空を見ながら祈っていた。 毎日優之進の家に出かけていた花が、ずっと家にいるので、高岸屋夫婦はとても心配していた。 夕食が終わった時に、思いきって、 「花」 と高岸屋は言い、 「そんなに優さんのことが好きなのかい?」 と聞くと、花の顔はみるみる真っ赤になっていった。 「あら、まぁ」 と高岸屋の妻は笑みを浮かべ、 「私達は、花を応援するからね」 と言うと、 「ありがとう」 と花は、小さい声で返事をした。 「おう、孫さん」 優之進の家にやってきた孫次郎に大工の政が声をかける。 優之進がいるといつでもたくさんの人がいるが、今は一人もいない。 「政さん、何をされているのですか?」 と孫次郎が聞くと、 「子供達が遊んで荒らすから地面を平らにしてるんだ」 と政は言ってから、 「桜の木の辺は、優さんが毎晩稽古しているからな」 と言ったので、 「優さんが?」 と孫次郎が聞くと、 「そうだよ、動きがとてもきれいなんだ」 と政が答えたので、孫次郎はびっくりした。 (あれだけ強くても人が見ていないところで努力しているんだ) と孫次郎は思い、 (私もがんばっていこう) と心に決めた。 「そろそろ江戸に戻ろうと思います」 夕食後、優之進が言うと、 「分かりました」 と永井屋は寂しそうな顔をしたが、 「優さんを待っている方がたくさんいますからね」 と言い、 「絵に使う物は、私が用意いたしますので、多くの方の心を和ませてください」 と言ったので、 「たくさんの金子をいただきましたので、それだけで僕は十分です」 と優之進が断ると、 「私の気持ちです」 と永井屋は、笑顔で言った。 「えー、もう帰るの」 と稽古が終わった後、沖田はびっくりした顔をして言った。 「弟ができた」 と屯所にいる時は、ずっと優之進の側を離れなかった沖田は、寂しそうな顔になる。 「いつ帰る?」 永倉に聞かれ、 「明後日には帰ります」 と優之進が答えると、 「そうか」 と近藤は言って、目を閉じた。 「稽古代はきちんと払うから安心しろ」 と土方が言うと、 「多くの方に僕の絵を買っていただいたので大丈夫です」 と優之進が断ると、 「それは、また別だよ」 と永倉が、笑顔で言い、 「ありがとうございます」 と優之進は、頭を下げた。 「平川君」 廊下を歩く優之進に土方は声をかけた。 「はい」 と優之進が返事をすると、 「道場に行かないか?」 と土方が聞かれ、 「分かりました」 と優之進は、笑顔で答えた。 誰もいない道場は、とても静かだった。 「俺と立ち会ってくれないか?」 と土方が聞くと、 「分かりました」 と優之進は答え、お互い竹刀を手に取り、一礼する。 「手加減はしないでくれ」 と土方が言うと、 「はい」 と優之進が返事をすると、 「はじめ」 といつの間にか斉藤が、道場の隅に座っていた。 優之進がかまえると土方は、押し潰されてしまいそうな気を感じた。 (隙が無いし、足が前に出ない) と思っている間に優之進の姿が目の前から消えると胴を打つ寸前で竹刀が止まっているのが見えた。 「そこまで」 と斉藤の声がし、二人はかまえを解いて、一礼した。 「平川君、ありがとう」 と土方が言うと、 「ありがとうございました」 と優之進は、頭を深く下げた。 「隊に入ってくれないか」 と土方は喉元まで出かかったが、ぐっと堪えた。 屯所を出ていく優之進を皆で見送る。 沖田は、かなり落ち込んでおり、近藤は優之進の背中が見えなくなるまで見送り、 「惜しい」 と言った。 斉藤と二人きりになった土方は、 「斉藤、平川君の動きが見えたか?」 と聞くと、 「いつ動いたか分からない」 と言ってから、 「土方さんの言うように平川は風だ」 と言った。 (また会えるかな) 土方は、東の空を見上げて思った。 京を旅立つ時、永井屋にはたくさんの町民が見送りに来た。 滞在している間に多くの人達と触れ合った優之進を皆好きになっていたのだ。 「優さん、寂しいなー」 「またすぐ来てほしい」 と一人一人に声をかけられ、 「ありがとうございました」 と優之進は、頭を深く下げた。 「道中気をつけてください」 と言う永井屋は、涙を流しており、 「はい」 と優之進は返事をし、深く頭を下げて歩き始めた。 しばらく歩いていると、 「平川」 と斉藤に声をかけられた。 「斉藤さん」 と優之進が言うと、 「帰る頃だと思って待っていた」 と斉藤は言って、優之進の隣りを歩きながら、剣術のことや色々なことを話した。 「俺は、そろそろ戻る」 と斉藤が言ったので、 「ありがとうございました」 と優之進が深く頭を下げると、 「また来いよ」 と斉藤は言って、来た道を戻っていった。 京に行く時に、 (絵を描きたい) と思った所で絵を描きながら、優之進は江戸に戻っていた。 一番描きたいと思っていた河原で絵を描いていると、 「えい」 「えい」 と声が聞こえてきたので、筆を置いて声のする方を見てみると、子供達が一列に並んで竹刀を振っている。 優之進が子供達一人一人に色々と教えていると、 「ご指導ありがとうございます」 と遠くから声が聞こえ、優之進と同じ歳位の男性が走ってくる。 「所用で子供達から離れていました。近くで道場をやっている神野勇太郎と申します」 と勇太郎が言ったので、 「平川優之進です」 と言って、頭を下げる。 「平川さんは、剣術を教えているのですか?」 と勇太郎に聞かれ、 「はい」 と優之進が答えると、 「それでしたら是非道場に来てください」 と勇太郎に言われ、道場に行くことにした。 小さな道場であるが、稽古している人は多かった。 「もしよろしければ、ご指導お願いできますか?」 と勇太郎に聞かれたので、 「はい」 と優之進は答えて、一人一人分かりやすく説明して回った。 その間勇太郎は、優之進の側にいて教えていることを頭の中に叩きこんでいた。 稽古が終わり、生徒達が帰っていくと優之進は、箒を手に取り、掃除を始めた。 「平川さん、後で私がやりますので」 と勇太郎が言うと、 「大丈夫ですよ。いつもやっているので」 と優之進は、笑顔で言った。 数名残っていた生徒も手伝い、掃除が終わった。 「どうもありがとうございました」 と勇太郎は言い、 「もしよろしければお泊まりになってください」 と言ったので、 「ご迷惑じゃないですか?」 と優之進が聞くと、 「大歓迎です」 と勇太郎は、笑顔で言った。   「父が亡くなって、私が道場を継ぎました」 勇太郎の母が作った夕食を食べながら、勇太郎は言い、 「父は、剣術に優れていましたが、私は教えるのがやっとなのです」 と言ったので、 「多くの方が通っていますよ」 と優之進が言うと、 「父のおかげです」 と勇太郎は言った。 「ニ、三日滞在してもいいですか?」 と優之進が聞くと、 「はい」 と勇太郎は答え、 「僕は、絵を描くのが仕事なので、稽古の合間に絵を描かせていただきます」 と優之進が笑顔で言うと、 「そうなのですか」 と勇太郎は驚き、 「平川さんがいる間にたくさん剣術のことを教えていただきます」 と頭を下げた。 夜、勇太郎が廁に行こうとすると外から衣擦れの音が聞こえてきた。 (なんだろう) と勇太郎が外を見ると、優之進が剣術の稽古をしていた。 刀を一心に振っている姿は、とても綺麗だった。 (誰も見ていないところで努力しているのだな) と勇太郎は思い、部屋に戻ってから刀を振り始めた。 「平川先生」 と花の絵を描いていた優之進を道場の生徒が呼んでいる。 「どうされましたか?」 優之進が聞くと、 「道場に浪人が現れて、勇太郎先生が立ち会っています」 と言ったので、 「分かりました」 と優之進は筆を置き、道場へと向かった。 (やはり私では無理だ) 何度も撃ち込まれて、ようやく竹刀でかわしていたが、息があがり、 (次は耐えられない) と思った時に、 「僕がお相手します」 と道場に優之進が入ってくると、対戦を見ていた生徒達の視線が優之進に集まった。 「ふん」 と浪人は鼻を鳴らし、勇太郎は持っていた竹刀を優之進に渡す。 優之進は一礼すると、竹刀をかまえる。 先程まで勇太郎に撃ちかかっていた浪人は、一歩も動けずにいる。 「いかがされた」 と優之進が言うと、 「わー」 と掛け声をあげて、浪人が撃ちかかったと思ったら、お腹を押さえて倒れこんでいる。 道場内にいる者は、全員何が起こったか分からなかった。 「ありがとうございました」 と優之進は一礼して、竹刀を壁にかけた。 「平川さん」 と絵を描き始めた優之進に勇太郎が声をかける。 「優さんでいいですよ」 と優之進が笑顔で言うと、 「先程はありがとうございました」 と勇太郎は、頭を下げ、 「優さんの動きが、全く見えませんでした」 と言うと、 「そうですか」 と優之進が笑顔で言うと、 「稽古を重ねて優さんのように強くなれるよう努力します」 と勇太郎は言った。 「お互い強くなるように日々努力しましょう」 と優之進は言って、描いている途中の絵を描き始めた。 優之進が帰る時、道場の生徒をはじめたくさんの近所の人が見送りに来た。 「平川先生、ありがとうございました」 「優さん、元気でな」 と一人一人に声をかけられ、 「優さん、色々とありがとうございました」 と勇太郎は、深く頭を下げた。 「みなさん、ありがとうございました」 と優之進も深く頭を下げて、江戸への道を歩き始めた。 (今度優さんに会う時までに今よりもっと強くなります) 遠ざかっていく優之進の背中に勇太郎は語りかけた。
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