風 第一章

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予定よりかなり遅れて江戸に戻ってきた。 旅装のまま両親に帰還の挨拶に優之進は向かった。 「無事に戻ってきて安堵した」 と父は笑顔で言い、 「これで安心して寝られるわ」 と母も笑顔で言った。 「京はどうであった?」 と兄に聞かれ、 「江戸とはまた違ったとても素晴らしい所でした」 と優之進は言って、京で描いた風景画を三人に見せた。 三人とも、 (優之進の絵は、素晴らしい) と思いながら、行ったことの無い京の景色を堪能した。 「ただいま戻りました」 稽古中の道場に顔を出すと、 「優之進先生」 と生徒達が、優之進の周りに集まる。 「おかえり」 と岡本が、優之進の肩を叩き、 「おかえりなさい」 と孫次郎が、笑顔で言う。 「予定より遅かったな」 と岡本が言ったので、 「色々絵を描いてきましたので」 と優之進が言うと、 「優さんらしいですね」 と孫次郎が、笑顔で言い、 「花さんの所には行きましたか?」 と聞かれたので、 「これからです」 と優之進が答えると、 「ずっと優さんのことを待っていましたよ」 と言われ、 「それでは」 と出ていく優之進に、 「後で家でゆっくり京の話しを聞かせてください」 と孫次郎は言った。 「優さん、おかえりなさい」 待ちに待った優之進の顔を見たのに花は、涙が止まらなかった。 「ただいま戻りました」 と優之進が笑顔で言うと、 「京はいかがでしたか?」 高岸屋に聞かれ、 「魅力的な所ばかりでした」 と言い、描いた絵を見せると、 「優さんの絵を見ただけで京に行った気分になります」 と高岸屋の妻に言われた。 「行ってみたいな」 とようやく落ち着いた花が言うと、 「女子が行くのは色々と大変だよ」 と高岸屋は言い、 「優さんがいれば大丈夫か」 と言うと、花の顔が真っ赤になった。 「それでは家に戻ります」 と優之進は深く頭を下げると、 「私も行ってもいい?」 と花が言ったので、 「優さん、疲れているから違う日にしなさい」 と高岸屋の妻が言うと、 「大丈夫ですよ」 と優之進が、笑顔で言ったので、 「すぐ用意してくるね」 と花は、部屋を出ていった。 優之進が留守にしている間に武一郎は、岡本の道場に通い始めた。 父に、 「嫡子として剣術の腕をあげよ」 と言われて、道場に行くことになったが、武一郎は剣術が嫌いだった。 何回も行くのをやめようと思ったが、父に怒られると思い嫌々通っていた。 (僕とあまり歳が変わらないのに先生なんだ) 京から戻った翌日から道場に出てきた優之進を見て、武一郎は驚いた。 (この子は、稽古が嫌なのかな) 稽古をしている途中に武一郎を見た優之進は、 「もう少し竹刀を早く振ってみようか」 と武一郎に笑顔で言い、分かりやすく色々指導していく。 言われたように竹刀を振っていくと動きに無駄が無くなり、振りやすくなった。 「ありがとうございます」 武一郎が言うと、優之進は笑みを浮かべ、他の生徒を教え始めた。 「ごめん」 稽古をしている時に一人の浪人が入ってきた。 「優之進、立ち会ってくれ」 岡本が言うと、 「はい」 と優之進は返事をし、生徒達は壁際に皆座る。 優之進と浪人は、道場の真ん中に立ち、一礼すると竹刀をかまえる。 武一郎は、竹刀をかまえている優之進から凄まじい気を感じ、 (いつもと違う先生だ) と鳥肌がたった。 優之進は、どっしりとかまえたまま動かず、浪人は動かずというより足が前に動かないように見える。 優之進が動いたと皆が思った瞬間、浪人の額の寸前で優之進の竹刀は止まっていた。 「そこまで」 と岡本が言うと、優之進はかまえを解き、 「ありがとうございました」 と言って、一礼すると浪人はそのまま帰っていった。 (すごい) 武一郎は、優之進の強さに興奮し、 (僕も稽古がんばろう) と心に決めた。 武一郎は、道場でも家でも竹刀を振り続ける日々を送っていた。 「振りが、早くなりましたね」 優之進は、稽古中に武一郎に声をかけると、 「ありがとうございます」 と武一郎は、笑顔で答え、 (褒められた) ととてもうれしかった。 父にも、 「熱心だな」 と言われたばかりだった。 道場の帰り道、近くの小川のほとりに優之進が座っているのが見えた。 「優之進先生」 と武一郎が声をかけると、 「武一郎君」 と優之進が、武一郎の方を見た時に、優之進の膝元に目の前を流れる小川の絵が見えた。 「絵を描いていたのですか?」 と武一郎が聞くと、 「はい」 と優之進は答えて、筆をしまい、 「僕は、絵を描くことが仕事です」 と言うと、 「そうなのですか」 と武一郎は驚いた。 「もしよかったら家に寄ってきますか?」 と優之進が聞くと、 「はい」 と武一郎が返事したので、優之進は立ち上がった。 「優さん」 「優さん」 と道中、町の者達に声をかけられ、 (先生は、皆に慕われている) と武一郎が思っていると、 「ここです」 と言って、子供達の声が聞こえる垣根の合間に入っていく。 「優さん、おかえりなさい」 と垣根の間から姿を見せた優之進の周りに子供達が集まってくる。 「ただいまもどりました」 と優之進が笑顔で言うと、 「優さん、おかえりなさい」 と花と万、孫次郎がやってきて、 「ただいまもどりました」 と優之進は言って、深く頭を下げる。 「武一郎じゃないか」 と孫次郎が言い、 「こちらは花さんと万さんです」 と優之進が紹介したので、 「はじめまして、菊田武一郎です」 と頭を下げた。 「優さん、優さん」 と女の子達が言ったので、 「どうしましたか?」 と優之進が聞くと、 「こっち来て」 と女の子達は、優之進の腕をつかんで引っ張っていく。 武一郎もついて行き、石で囲った所で、 「この間まいた朝顔の芽が出てきたよ」 と女の子達は言った。 よく見ると土から緑色の芽が顔を出している。 「よかったですね」 と優之進が笑顔で言うと、 「優さん、花が咲いたら絵を描いてね」 と女の子達も笑顔で言ったので、 「はい」 と優之進が返事をすると皆喜んでいた。 「武一郎君」 と優之進は言ってから、 「武一郎君からは、剣術の芽が出てきましたね」 と笑顔で言い、 「ただ」 と言ってから、 「まだ芽の出ない種もたくさん武一郎君の中にはあるはずです」 と言って、武一郎の方を見て、 「今は剣術の芽を大きく育てていき、僕のようにこれだと思えることが出来たらその芽も育てていってください」 と笑顔で言った。 「はい」 と武一郎は返事をし、 「先生は、僕が剣術を嫌々やっていたのを分かっていたのですね」 と言うと、 「もちろん」 と優之進は言い、 「でも、今は毎日家でも稽古する程努力しています」 と言ったので、 「分かるのですか?」 と武一郎が驚いて聞くと、 「分かりますよ」 と優之進は、笑顔で言った。 「先生のように強くなり、たくさんの人から慕われるようになろうと決めました」
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