夫へのラブレター

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 夜はいい。夫がいる。夫の腕の中で眠る時間は、私の中で一番安らかなときである。その点、朝はだめだ。夫が出掛けると、途端に寝込む日が多いのだ。過眠症――この言葉を私は24歳にして知った。不眠症も併発しているので、夜はフルニトラゼパムという、睡眠薬の中で最終兵器ともいえる薬を常用している。それがなければ私は眠れないのだ。睡眠不足だから昼間寝てしまうとかそういうものではない。薬を飲んでいるから日中眠くなるわけでもない。――私の体は、狂っているのだ。  夫の腕の中で眠るようになって、フルニトラゼパム二錠と睡眠導入剤二錠を飲んでいた私は、そのどちらも徐々にだが一錠ずつ減らすことに成功していた。人肌は心を落ち着かせてくれる。眠りに(いざな)ってくれるのだ。これは私からすると奇跡に近い出来事だった。夫といれば、治るかもしれないという希望が見えてきたのだ。  けれどいつからだったろうか、人と会うのが怖くなったのは。人混みは本当にだめだった。とにかくパニックになる。だから、外には夫がいるときにしか行けなくなった。頼れる誰かがいてくれないと、怖くて外に出られないのだ。一人暮らしのときはそれでもなんとか買い物に出掛けては、冷蔵庫に入るだけの食材を買い込んだものだった。  独り身の時、仕事は行ける日だけ出勤するということしかできなかったため、水仕事をやるしかなかった。皆、あまり知らないだろう。夜職の女にハマる人は尚更知らない。みんながみんなではないけれど、訳アリでその仕事をやるしかない人が山ほどいるということを。 そこから、救い出してくれたのが夫だった。  夫への感謝を、私は伝える術が分からない。どれほどの感謝を込めても、言葉にし尽せないほどの幸せを私は貰っているのだということを、どうしたら伝えることができるだろう。そればかりが心を覆うこともある。  パニック障害からの双極性障害を併発したのは、26歳の頃だったと思う。正確に診断されたのは、何件も精神科を変えては合わない先生と出会ってを繰り返したあと、やっと7件目にして出会えた良い先生のいる病院だった。私は33歳になっていた。先生との相性、それは精神病の患者にとって本当に大きなことである。合う薬に出会うためにも何度も薬を変えて、合わない薬に会う度に副反応で何度も苦しむことになる。仕事もままならなくなると金銭面でも苦しくなり、どんどん精神的に追い込まれる。そういったことを、皆知らないのだ。  今でこそまだそういう病気があると認知されやすくなってきたはずの社会でも、本当のところ、なぜ仕事に来れないのか、サボっているだけじゃないのか、と裏で囁かれる日々になるのが現実だった。  障害年金という制度をどこで知ったか、私は34歳にしてそれを申請をすることができた。これでさえ、先生がいかに協力的な内容を書いてくれるかで大きく変わってくる。私の人生がすこし好転し始めた瞬間であった。
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