黒か白

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 被害者がみんな鶴野歯科(つるのしか)の患者だったと、判明するのに、たいして時間はかからなかった。被害者の遺族に「歯医者に通っていませんでしたか?」と、訊けばよかったのだ。  鶴野は三十歳の歯科医で、応対が丁寧なので患者からの人気が高かった。  日置警部が「患者の歯が異常だという事に気がついてたんでしょう?」  そう訊くと、鶴野は大きく溜息をついて、このように釈明した。  「私は患者の求めに従って治療しただけです。患者は虫歯じゃないのに、みんな歯が黒ずんできてました、あれじゃみっともなくて外で仕事もできない。そんな悩みに対応したんです」  「黒ずんでいた?」  「ええ、日増しに黒くなるって、とくに女性の患者さんは悩んでいましたよ」  これは重要な証言だった。それなら田川の主張は法的に通らない。  (やはり奴は人間を殺してしまったんだ! つまり有罪だッ!)  証言をメモしながら日置は、さらに鶴野に訊いた。  「医者に行くことを勧めなかったんですか?」  それについては鶴野は「無駄ですね、歯の他はどこも悪くないのに、誰も病院なんかに行きたがらなかったんですよ。全員、仕事があって精密検査を受ける時間なんかないし、熱もない、健康そのものなんですから。それに人間ドックを受診したところで骨まで真っ黒になっているのがわかりますか? わたしは無理だと思いますね」  そう訊かれると、日置は少し考えてから、「確かに、誰も歯が黒ずんだくらいで、骨の心配なんかしませんね」と、答えた。  骨以外は内臓も異常がないのだ。その人間をバラバラにしない事には超音波やX線、たとえMRI検査でも発見できたかは怪しい。              *  次に日置が話を訊いたのは、鶴野歯科に勤務する歯科助手の上賀茂幸恵(かみがも ゆきえ)だった。彼女が田川と飲み友達なのは、大学のゼミの田川の同級生から聞き出していた。  《歯が黒い患者たちは、歯科医の鶴野の勧めで、歯にセラミックのカバーをかぶせていた》  この情報を田川は飲み友達の上賀茂から聞き出して、被害者たちの秘密を知ったらしい。  歯科助手の上賀茂は「まさか、あんな事になるなんて、考えもしなかったんです」と、涙を流した。  日置は「わかります、まあ、ああいったサイコパスと呼ばれる連中は、なにがきっかけで正体を出すか知れたもんじゃない。あなたは無事で幸運でしたよ」と、その娘を責めなかった。まだ二十歳そこそこの新米だ。威圧的に出たら、怯えて黙り込んでしまう。  「怖くて名乗り出ることが出来ませんでした――すみません」と、告白されても、「まあ、そんなもんですね」と、受け流し、日置は「昨今は些細なミスでもSNSで、赤の他人から口汚く罵られてしまいますからね。酒屋で気が緩んで、患者の秘密をしゃべったのはいただけませんが、そのくらいで、猟奇殺人が起きるのを予測できたはずがないですよ」  そう安心させて、上賀茂から、こんな証言を引き出した。  田川は上賀茂から《黒い歯は、とても削りにくく、すぐドリルが駄目になってしまう》と、聞いていたらしい。  (それで、田川は興味を持ったわけか)と、日置は思った。                  *  次に日置が訪れたのは大学病院だった。  外科医の園田(そのだ)教授は、「そんな病状は聞いたことがありません。全くの未知のウィルスの仕業としか思えませんね」と、答えるだけだ。  この初老の教授は、禿頭を掻きながら、「とにかく骨と遺体を調べさせてもらわなくちゃ、なんとも意見の言いようがない」と、遺体の引き渡しを要求するだけで、具体的な証言が取れなかった。                *  次に日置は生物学の教授に話を聞いたが、木村(きむら)教授は開口一番、「悲劇だよ、その田川という学生はなんと短絡的な真似をしてくれたんだ!」と、白髪を振り乱して怒り出した。  「と、いいますと?」  そう日置が訊くと、木村は短気な男らしく、自分の眼鏡を振り回しながら、このように答えた。  「人間の免疫システムは実に複雑で、例えばウィルスが体内に入った場合、ウィルスに対する耐久性を身に着けるべく、猛烈な速さでDNAの組み換えが始まるんですよ。それはまさに《進化》と言っていい、その田川という青年は黒という色から《怪物》を想像して、勝手に怯えたんだ! そして変化が起きた人々を殺して回ったんでしょう。実にバカバカしいことだ!」  その口から炎でも吹き上げんばかりの勢いに辟易しながら、日置は、このように宥めた。  「まあ、まあ、落ち着いてください、先生、つまり、被害者は何かの原因で遺伝子に変化が起きていたという事ですか?」  「まさにそうだよ! ウィルスばかりじゃない環境の変化でも生物は進化を始める。今は仮設の段階だが、あの骨だって、なんらかの進化の過程だったかもしれないじゃないか!」  「進化の過程ですか? それはどういう?」  「比喩でもないんでもない! 文字通り進化だよ、これは! だいたい、この地球の環境だって大きな目で見れば異常なんだ!」  「異常? 地球がですか?」  「もともと酸素なんて毒ガスと一緒で、初期の古代生物を虐殺した元凶だったんだ。それがミトコンドリアを細胞に取り入れることで生物は酸素を克服したんです。あくまで仮説だが、今度の場合だって、人間はなんらかのモノを取り入れることで炭素を克服したかもしれないじゃないか!」  「自然にですか? 誰が意図した訳でもなく?」  「そうとしか考えられないね……。それとも警察じゃ、宇宙人の仕業といいたいのかね?」  「いや、それは……捜査は始まったばかりですし……」  「まあ、そうだろうな、宇宙人が犯人でしたなんて、バカげた発表などできるはずがない。だからこそ、これは《進化》と考えるしかないんだ!」  あまりの話の飛躍に、日置は「はあ」としか、返事のしようがない。  (やはり超自然的な存在の仕業としたほうが、しっくりくるような……)  と、内心、木村の説に疑問が広がっていくのを感じていた。  それを尻目に、木村のエキセントリックな話は続く。  「人類は皮膚や筋肉でなく、空気中の炭素を吸収して骨の組織にしたんだ! これは工学科の友人から聞いたんだが、カーボンファイバーの強度は鉄以上というじゃないですか。人は……。いや、生物は年々増え続ける炭素ガスを克服することで、より強靭な肉体を持つ事が出来るようになったんですよ! たぶん温暖化してゆく地球の変化に順応したんでしょうねえ! それを田川という馬鹿野郎は殺してしまうんて! なんて、マヌケなんだ! ヘイトクライムですよ、あれは!」  「その進化した生物は、たとえば焚火の煙を吸っても平気なんですかね?」  そう訊くと、木村は「いいじゃないですか、それで、何の不都合があります、もっとも骨が炭化してるんだから火に近づきすぎると、内部から燃えてしまうかもしれませんがね。つまり人体発火だ」と、真顔で答えた。  「じゃあ、これからも、そんな人間が増えるんですか?」と、さらに問えば、「そりゃ増えますよ、進化は自然の摂理ですから――どん、どん、どん、どん」と、木村は答えるのを聞いて、日置は釈然としないものを感じていた。  (それが、人間と呼べるんだろうか? いや……余計なことを考えるな!)  日置警部は頭を左右に振った。木村の話を聞くうちに、いつのまにか《黒い骨の人》に対して、認識が《被害者》から《バケモノ》へ変化していくを知って、彼は自分でも驚いていた。  (それじゃ田川と同じじゃないか、それを決めるのは政府で、今の仕事は田川を牢屋に叩き込めば、それでいいんだ)と、考え直し、木村に対して、「貴重なお話をありがとうございました」と、日置は頭を下げた。                      了    
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