2.層雲峡へ

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2.層雲峡へ

 2024年7月27日。  朝マンションを出ると、JRで札幌駅に向かう。そして鐘の広場で、地下鉄さっぽろ駅から歩いてきた母と待ち合わせる。俺は紺のテーパードパンツに白いシャツ、白いスニーカー。茶色のバックパックを背負っている。  母は大きな花柄の赤いワンピースに緑のフラットシューズ、本革のボストンバッグ。ゆるいウェーブをかけた髪をハーフアップにしている。思い出の中の母よりやつれてはいるものの、あの頃のようにどこか幼なげな感じもする。  俺たちは軽く挨拶を交わすと改札口に入いり、無言でホームに立つ。  特急ライラック13号のグリーン車に乗り旭川へ。俺がスマホのゲームをして時間を潰している間、母は窓の外の景色を眺めていた。  母の故郷である旭川では下車はせず、石北本線に乗り換える。しょうゆ豚丼をふたつ買った母が、ひとつ「どうぞ」と俺に渡してくる。  そこから上川駅まで、俺たちは昼飯を食いながら、会話をすることもなかった。そして上川駅からバスで層雲峡に向かう。  層雲峡は大雪山国立公園にある、20キロ以上の断崖絶壁が続く峡谷だ。自然と気が引き締まる。バスを降りた俺は、母の後を追うようにホテルまで歩く。そこは俺が手紙を受け取るよりも前に母が手配していた。  ホテルの部屋に着き、荷物を置くと母が沈黙を破る。 「あなたのお父さんは昔に死んでいるの」  俺はたいして驚きもせず、目を逸らしたままソファに座る。  生まれた時から父はいなかった。母の中でも俺の父親に当たる人は消えたのだろう。  母は鏡の前に置かれた小さな椅子に腰掛けると、少しずつ、身の上話をする。  妊娠して当時の恋人から捨てられたこと。未婚で俺を産んだこと。両親から勘当され、逃げるように旭川から札幌に出てきたこと。シングルマザーが就く仕事はなく、水商売を転々としたこと。  黙って話を聞きながら俺は少し後悔した。母に感謝の言葉ひとつかけたことがない。母の日も父の日も、授業参観も大嫌いだった。  母は軽くため息をつく。 「40年前、このあたりの道は暗くてね。ホテルから花火大会の会場まで、街灯もなかったの」  斜め上を向きながら10歳のときの話をした母は、座り直す。 「私ね、乳がんなんだって」
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