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20年後
「それのどこが黒歴史なの?」
娘の有未が、晩ごはんを食べながら訊いてきた。さらさらの髪をハーフアップにしているのは、落ちてくる髪がじゃまだからという、しゃれっ気のない理由からだ。
「黒歴史よ。
受験期なのに、そんな過ごし方ばっかりしていたんだから。あの時ちゃんと勉強しておけばよかったわ。そしたら再就職先も、もっと選択肢があったはずなのに。」
「ふうん。」
有未はそれ以上突っ込んでは来ずに、ご飯を平らげて、お茶を飲んで席を立った。
「んじゃ、上に戻るね。」
「はい、がんばって。」
有未は中学受験を控えていた。
その勉強のため、最近は部屋にこもりがちだ。
だが、私は知っている。
有未が去ってしばらく後、耳を澄ませば、ほら。
「ーーでね、あくのじゅうじか?って言われて、ソッコーで「いや、9時開店」だって!」
小さな声だが、しっかり聞こえておるぞ、娘よ。
まあ、話のネタを与えてしまったのは私なのだから、怒れる立場ではない。
「黒歴史になっちゃうぞー。」
洗い物に取りかかりながら呟いて笑ったが、呟き声はさすがに聞こえるはずもない。
(似た者親子とは、よく言ったものね。)
ふいに、進学で自然消滅してしまった真夏の声が聞こえた気がした。
私はリビングのカーテンの隙間に外を見た。
相変わらず夜の外は真っ暗で、家の中は明るかった。
「……意外と黒歴史では、ないかもね。」
インターホンが鳴った。
「はいはい。」
旦那さまのお帰りだ。
手の洗剤の泡を水で流して、エプロンで拭きながら、私は玄関に向かった。
今夜はどんな仕事の泣き言を聞かされるのか。
サラリーマンのリアルなんて知らなかった。
それを言うと、ママ友の中でもかなり親友に近い秋菜は、「いや、あんたのダンナは珍しいタイプだよ」と笑う。そんなふうに言われると、なぜかわるい気はしなかった。
「ただいまー! 聞いてくれよ、今日さあ……」
終
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