すばらしい新映画館

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  SF  会社員の夢原順一はネット動画でこの広告を見て、いち早くその夢のような新しい映画を体感しようと思った。最新のスマートフォンやテレビなどの電化製品が発売されたとなれば、前日から店の前に並んでしまうような質であるゆえ、この類の話にはめっぽう弱い。マーケティング用語で言えば、典型的な「イノベーター」である。商品そのものの価値以上に、自分が最も早く新時代のモノに触れた、という優越感に浸りたい。少し前は、妻も娘も「浪費はやめて」と嫌悪感を示していたが、最近はすっかり諦めたようで何も言ってこなくなった。そもそも十分すぎるほどの稼ぎがあって、父親としての役目をしっかり果たしているのだから、文句を言われる筋合いはない、と当の順一は考えていた。  新しい映画館は、正式なオープンに先立ってプレオープンでお披露目されるということで、むろん順一はその抽選に申し込んだ。結果は当選。こういう運には昔から非常に恵まれているから驚きはしなかったものの、順一の顔は思わず綻んだ。  プレオープン当日、六本木に建てられた新型の映画館は多くの人で賑わっていた。但し、大半の人間は落選者であり、この日に新しい映画を体験することはできない。彼らは、せめてこの場所にいるということで優越感に浸りたいらしい。そして、SNSにそのことをアップするのだ。なんたる愚行! と順一は思った。この場所に来るだけなら誰にでもできる。だが、自分は違う。体験の感想を高らかにSNSで語ってやろう。順一はそう心に決め、周囲の人間を押しのけて、当選者だけが入場できるゲートへ向かった。  ゲートを通ると(体内のチップが自動で認証してくれる)、案内係の男がにこやかな笑顔で待ち受けていた。 「いらっしゃいませ。本日はプレオープンにお越しくださり、誠にありがとうございます」  順一は軽く会釈をした。 「早速、ご案内いたしますが、お手洗いはお済みですか?」  一刻も早く新しい映画を体験したい順一は、「大丈夫です」と即答した。 案内係に誘導され、会場に入ると、約三十機のカプセルが整然と並んでいた。カプセルは、昔流行った酸素カプセルと形が似ている。「上映中」との文字が表示されたカプセルを見て、順一はかなり悔しく思った。  でもすぐに、こう考え直した。世間全体から見れば、自分は最も早い体験者の一人に変わりはない。  そして、また優越感に浸るのだった。 「ご希望の映画は『ゾンビとの死闘』でお間違いないですか?」  抽選予約時に視聴可能な映画一覧が表示されていて、ホラーを選んだのを順一は思い出した。順一は無類のホラー好きだった。とはいえ、今回は映画の内容などどうでもいい。最新鋭の科学技術を駆使した映画を観ることさえできれば順一にとっては十分だった。 「はい」と順一が答えると、案内係が続けた。 「ご予約時にも再三『注意書き』でご確認いただいたとは思いますが、今一度、特に注意していただきたい点を申し上げますね。まずは、……」  こういうのには、うんざりだった。順一は何か商品を買っても説明書の類は読んだことがないし、むろんプライバシーポリシーや利用規約など一文字も読まずに同意欄にすぐチェックするタイプだった。話を遮って順一は言った。 「大丈夫です」 「ですが、お客さま」 「散々注意書き読んだので大丈夫です。早くしてくれますか?」  案内係は一瞬むっとした表情を見せたが、すぐに微笑を取り戻し言った。 「失礼いたしました。それでは、こちらをお読み頂いて、ご署名をお願いいたします」  順一は差し出されたタブレットの表面に指で署名をした。むろん、何が書かれてあるのかは確認していない。靴を脱いで開口部からカプセルに入るように言われると、順一はすぐさまカプセルの中に横たわった。 「それでは、お楽しみくださいませ」  と案内係が言うと、静かな音を立ててカプセルの開口部が閉じた。カプセルの外は何も見えない。カプセル内の明かりが徐々に弱くなり暗くなってゆく。まるで映画館のように。いや、「まるで」じゃない。これが最新鋭の映画館なのだ、と順一は自分の間違いを笑った。今自分は時代の先頭にいるのだと考えると胸が高鳴った。 「目を閉じてください」  のアナウンスが流れ、順一は目を閉じた。不思議と眠くなってきた。    気が付くと順一は、廃墟と化したニューヨークの街に立っていた。衝撃的だった。これが映画だとは到底信じられない。 「おい、何やってんだ。ゾンビに見つかるぞ!」  振り返ると銃を持ったアメリカ人男性が手招きをしていた。これは、どうも日本語吹き替え版らしい。事前に確認していなかったが、英語が不得手な順一には都合が良かった。建物の中に入ると、先ほど声をかけてきた男の他に、三人の大人が身を隠していた。みんな埃まみれで、怪我をしている。 「余計な人助けはいらねえぞ、オースティン。ゾンビに気づかれたらどうするんだ」  見るからに屈強そうな男が言った。 「目の前の人間を見捨てることなんぞ俺にはできねえんだ、カルロス。それに、ゾンビなんかみんな俺がぶっ飛ばしてやるぜ」  オースティンが答えた。いかにもありがちな映画のワンシーンだとは思ったが、自分の存在が物語の変化に影響を及ぼしているのだと考えると、興奮せずにはいられなかった。これぞ、最先端! と順一は思った。 すると突然、「どん!」と建物の天井から大きな音がした。  と同時にグラマラスなボディーをした美女が悲鳴を上げた。天井の音より、むしろその女性の声の方に順一は驚いた。 「メアリー、君のこと、絶対、何が、あっても、俺が、守って、みせる」  荒い息を立てながら端正な顔立ちをした金髪の若い男が言う。 「心強いわ、トーマス」  と、メアリーが答えた次の瞬間だった。  天井を突き破って、蜘蛛のような姿をした巨大なゾンビが金髪のトーマスを丸呑みにした。  オースティンとカルロスは、すぐさまゾンビに銃を連射した。ゾンビは激しく暴れ回った。ゾンビの大きな手足に当たって、順一は建物の外に吹き飛ばされた。あまりの痛みに、しばらく起き上がることができなかった。横になったまま建物の方に目をやると、ゾンビがメアリーとカルロスを丸呑みしようとしていた。先ほど丸呑みにされた金髪のトーマスは既にゾンビ化していて、オースティンに襲いかかろうとしている。順一は、すぐそばに銃が落ちていることに気が付いた。どうやら、オースティンかカルロスの銃がこちらまで飛ばされてきたらしい。順一は、ゾンビ化した金髪のトーマスに照準を合わせて銃弾を放った。奇跡的に頭に命中し、ゾンビのトーマスは倒れた。オースティンが駆け寄ってきて、 「助かったぜ、マイフレンド!」  と言った。  しかし、次の瞬間、例の蜘蛛のような姿の巨大ゾンビが、オースティンを吹き飛ばした。そして、順一は丸呑みにされた。  順一は、すぐさまゾンビとなった。  生きた人間を求めてニューヨークの街を歩き回るゾンビに……。  順一に意識なるものは、既に存在していなかった。ただただ生きた人間の血を求めるという本能だけに支配されていた。  むろん、これが映画の中であることなど順一には、もう知る由もない。  昏睡状態の順一を見て、妻と娘は唖然とした。医者から「もう二度と目を覚ますことはない」と聞くと、二人は膝から崩れ落ちた。  妻は映画館を運営する会社を訴えたが、請求はあっさり棄却された。順一があらゆる危険を書面上で受け入れ承諾していたからだ。いや、書面上だけではない。口頭による説明を聞いて、それを承諾していた。(と運営会社は主張した)  映画鑑賞規約の一部には、こう記されていた。  カプセル型の映画館の利用者数が従来の映画館の利用者数を上回った、と今朝の新聞が小さく伝えていた。
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